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愛されなくたって幸せなら良くないですか?


どうも、こんばんは。
土曜日の夜だから、夜更かしですか?
いいですね。お供します。

明日も仕事の方は、スマホを閉じて寝ましょう







26歳。




この歳になると、色んな方から「若いうちにいい人捕まえて、いっぱい愛された方がいい」と言われます。愛情に溢れた余計なお世話をありがたく頂戴する私ですが、

3年前、23歳の頃、同じようなことを思ったことがありました。

そして、ふと、その思考に疑問を持ちました。

「本当に愛されたいの?」



当時の私は、早く結果を出したくて、朝5時に起きて、6時半には職場で仕事を開始し、1番遅くて終電ギリギリで帰る、そんな毎日を送っていました。当然、メンタルがきつい時は誰かに頼りたくなったり、寄りかかれる相手を求めるのですが、

よーく考えてみた結果、別にそれは"誰か"である必要もないなぁと思いました。

煩わしさがなく、自分が必要な時にのみ愛されたいと願う私にとっては、"頑張らなくて良くて、落ち着ける居場所"があればそれでよかったんです。欲していたのは"愛される"という労力のいることじゃない。

どういうことかと言うと、
愛されるイメージとして、与えられることを連想する人が多いですが、私は逆です。私からすると、愛情を受けることは、相手から"私"を求められる感覚に近い。

…伝わりますかね?



極端ですが、例えると、
あなたに会いたい=会ってほしい、顔が見たい
あなたにあげたい=受け取ってほしい
あなたと一緒にいたい=同じ時を過ごしてほしい
あなたに幸せになってもらいたい=笑顔で過ごしてほしい

相手の願いが、愛に込められている感じ。
なので、私からすれば、愛されることは、こちらがその願いを受けとって、叶えることであり、そういう意味で"与える行為"なんです。相手の願いを叶えられるのは私以外いない、という前提ですので、私がそれを叶えられない場合、相手は満たされないことになります。

"愛される"は一般的には、相手の言葉、行動、態度から好意を感じることと言われますが、それは"好きと言われる"とか、"プレゼントをもらう"とか、そう単純ではないんですよね。

相手の好意を"重い"と感じたことがある方は、きっとこの感覚をわかっていただけるんじゃないでしょうか。寄せてもらう好意の分、受け止めるこちらの器も問われ、億劫になり、重いと感じるんだと思います。


多忙で、仕事一直線、そんな状態の私が、愛されたい、でも煩わしい、色々な葛藤があった結果、

「私を愛して(求めて)くれる人は、私から愛されることを望んでいる人であり、私が幸せにできる尊い存在である」

と思えるようになりました。
(相手から求められないと結局不幸やん!と思う人もいると思いますが、それは最後に書いてます。ゆっくり行きましょう。)

一方で、自分の愛情(願い)を受け入れて(叶えて)もらえなかった時、人は深く傷付き、落ち込みます。そういう経験をしている人は一定数いると思います。私もあります。

逆の立場の相手も同じなんですよね。応えられないもどかしさや罪悪感が残る。

だから、あの、タイトルに戻るんですけど、


愛され(求められ)なくても、幸せなら良くないですか?


こと恋愛において、愛されているから幸せなのではなく、愛してくれる相手の願いを叶え、相手を幸せにできる状態に、私たちは幸せを感じている気がするんですよね。

その感覚を知るためにも、恋愛したいかもわからないけれど、恋愛をしていないと人生負け組と感じてしまうから、とりあえず誰かとくっついてみる。急いでるならいいですが、そうじゃないなら、よく考えてから行動する方がいいですね。

だって、誰かに愛されても、その人を愛する(幸せにする)気持ちが持てないのなら、相手は離れてしまうし、幸せにできなかった自分を責めたくなりませんか?反省がある恋愛は心の蓄えになります。しかし反省がありすぎるのはトラウマになり、誰かを愛することが怖くなってしまうので遠回りです。


愛されることは、幸せへの特権のようで、皆一度は欲しがりますが、相手を傷つける可能性があること、自分も傷つく覚悟のいる行為であると、私は思います。なので、必要以上に愛されなくていいんです。私からすれば、今楽しくて、幸せなら花丸ですが、いかがでしょうか。


さいごに






今誰からも愛されていない(求められていない)

と感じる人へ










あなたが心の底から欲しているものは、

本当に"愛されること"なのでしょうか。

愛されたいというのは誰にですか。

誰から愛されると満たされますか。

みんなからですか。



それとも自分からですか。



本当は、




"愛される"ことで"幸せになりたい"と思っていませんか。


そうであれば、愛されることはあなたにとって、さほど重要なことではないのかもしれません。愛されること意外にも、幸せになることはできます。

そして、確信を持って言いますが、

幸せだから、人から愛さ(求めら)れるんです。


上で長く書いていたものをまとめると、
愛されることは、自分が幸せになることではなく、"相手"を幸せにする行為です。

よって、"私"が幸せになりたいのなら、他の誰かから求められることを待つのではなく、あなたの好きなように生きて、幸せになってください。誰かや、何かにとらわれることなく、まずは自分の願いを叶えましょう。

人間はみんな自分から愛されて(求められて)いますからね。自身の願いを叶えた幸せな人は、周りからも愛され(求められ)ます。

だって、「私は幸せ」=「私は誰か(私)を幸せにできた」人なんですよ。自分を幸せにできない人からすれば、希望を持てる対象です。モテます。

ただ、そこまで行くと、そういう人たちに魅力を感じなくなります。自分から誰かを求める(相手に願う)方が、よっぽど幸せだと思うか、自分を求めた内の誰かを幸せにするほうが幸せだと思うか、それはあなた次第ですね。



いつだって自分の感覚を信じてください。





余談ですが、

中学生の頃、短歌を学び、面白いと感じたため、色んな国の「愛している」を調べた時期がありました。面白いことに、多くの国では、"愛"に当たる言葉が動詞になります。つまり、愛は"する"ものなんですよね。

そこで1番しっくり来たのが、スペイン語。

Te quiero…Te(君)、queiro(欲しい)

つまり、あなたを(私に)ちょうだい

なんですよー!!!!

もう、相手の渇きや熱が伝わってきません?!

言語を通して、私なりに「愛"している"」という行動と状態を解釈すると、相手を求める、愛=相手を受け入れる、共に在りたい、といった究極の受容であるとともに、際限ない願望に思えて仕方がありません。

相手を求めて求めて仕方がない、誰かを渇望する気持ちを止められない、この感覚はきっと幸福感と葛藤と色んな気持ちが入り混じり、表現できないものなのかもしれないですが、ひとつ言えることは、それだけ魅力溢れる「何か」に出会えたら幸せですよね。


あ、

別に、愛するものが"人"である必要はないんですよ。仕事でも、物でも、目に見えない何かでも、ありだな、と。






最後まで読んでいただきありがとうございます😊


また長くなっちゃいました。反省。
1700字程度を目指して。また書きます。



明日は寒くなるらしいので、暖かくしてお過ごしくださいね。



では、良い1日を。

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