仮面ライダーはテレビの中の絵空事。

「仮面ライダーはテレビの中の絵空事。」

予告編で流れたこの台詞は、僕の心を一気に掴んだ。

 突然だけど、僕は仮面ライダーが好きだった。過去形にしちゃうのは平成仮面ライダーまでしかちゃんと見てると胸を張って言えないから。でもともかく、仮面ライダーシリーズを見てるような高校生だった。

 仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVERは、2018年に公開された仮面ライダーのオールスター映画である。平成という年号にこだわって、平成ジェネレーションズというシリーズ名が冠されたこのシリーズは、今までのオールスター映画とは違って、練られた脚本やライダー同士が邂逅する必然性などといったことがファンから評価されていた。そして、平成仮面ライダーが20作続いたことを記念し、平成という元号が終わるタイミングで作られた本作は、平成仮面ライダーの集大成ということもあって期待値はかなり上がっていた。

 自分も当時公開されて割とすぐに見にいった記憶がある。そしてこの作品は期待値を悠々超えてきた。さらっと組み込まれたサプライズに、返信後の姿があるからこそできる、過去の音声を利用した本人ボイスの戦闘シーンといった、仮面ライダー好きなら興奮せずにはいられないヒーロー映画だった。その時はそれ自体の興奮と、ストーリーも面白かったというように感じたし、それ自体に満足していたように思う。その感情を共有したくて、いろんな人が書いた感想記事を読み漁っていたように思う。その感想を読んで納得が行ったり、そこよかったよねと思ったり、楽しみが広がっていたと思う。

 自分が映画を楽しんでいたことは理解してもらえたと思うが、なぜ急に4年くらい前の映画の感想記事を書く気になったのか。そのきっかけ自体は、お正月に東映特撮YouTubeにて無料配信されていたのをもう一度見たからである。落ち着いて今見てみるとあの頃とは少し違った感想を抱いた。そして、無料公開に伴ってされたプロデューサーさんのツイートを見てまた一つ考えることになったからである。ここから先は、ガンガンネタバレ込みで感想書いていくことにする。(今更気にする人なんていないだろうけど。)

 さて、ネタバレを自分の中で解禁したので、ストーリーに触れていこう。今回の映画は舞台設定がかなり特殊で、仮面ライダーがテレビの中の存在である世界、つまりは現実の世界に、仮面ライダージオウやビルドの面々が召喚されているという設定であった。メタ的な展開自体を扱うことにはリスクが大きいとも思えるけど、それに挑戦する姿勢と実際に成し遂げてしまったのがうまかった。戦闘シーンの周りに観客を置くことで、今まさに戦闘シーンを見ている映画館の我々のように、この世界ではあくまでヒーローショーの中の存在であるということを示しているのは見事だった。そんな世界で、自王の主人公である常盤ソウゴは、自分が虚構の存在であるということを突きつけられ、それに悩みながらも戦っていくということが物語の主軸であった。

 そこに関わらせてくる前作の仮面ライダーが、敵に意図的に作り出されたヒーローだった仮面ライダービルドだったのも、この物語を絶妙なバランスで成り立たせることにもつながっている。作られた存在だからこそ、「俺たちはここにいる」という台詞の重みが増している。

 さらに、この映画最大のサプライズが、仮面ライダー電王役の佐藤健の出演である。試写会もなく、初号版や台本でも隠されていたこの超サプライズは、電王という時をかける仮面ライダーの特殊性によって、テレビシリーズではなく、映画での登場になったらしいが、それだけではなく、記憶の中で存在しているという作品のテーマも相まって、この映画で登場する意味があったといえる。

 そして、この映画でやはり避けて通れないのが、中盤のモモタロスの台詞「馬鹿野郎、俺たちもお前を忘れるかよ。良太郎。」である。これを初めて劇場で聞いた時、この台詞は製作側、そして視聴者の声に違いないと思わずにはいられなかった。いつからか、平成仮面ライダーシリーズは若手俳優の登竜門となり、売れっ子俳優になっていく姿を見せられてきた。でも少し悲しいことに、売れれば売れるほど、いろんな事情によって仮面ライダー作品で見られることは減っていき、再演することはないのではないかと思ってしまうことがある。だからこそ、この一年前に福士蒼汰が出るってなった時に大盛り上がりしたし、この先のオールスター映画にも期待をしてしまう。実際、この映画でも菅田将暉が忙しすぎて出れなかったというエピソードがあるくらいで、ヒーロー映画でも大人の事情はどこかに絡んでしまうし、それによる諦めもどこかにある。佐藤健の演じる野上良太郎も、佐藤健がすぐに売れたこともあって、これまで客演する時は子ども化したした姿か、モモタロスの姿で、登場することが多く、今回もそうだとどこか割り切って劇場に向かった人が多かっただろう。だからこそ、その壁を超えて登場してくれた佐藤健の良太郎をみて、「僕らもあなたが演じたこの役をいつまでも忘れないですよ」という想いを抱かずにはいられないのだ。そして、その後に本人ボイスの仮面ライダーたちを見て、またテンションが上がるのだ。

 ここまでは、始めた見た時の感想とそう変わらないのだが、最後に考察しなくてはならなかったのが、白倉プロデューサーのツイートである。映画の中では明かされなかったアナザーWの正体は、東日本大震災のときに、現実を助けてくれるわけではなかった仮面ライダーを踏まえて、ライダーファンからアンチになってしまったという設定があったことが明かされたのだ。この映画の根幹には、決して現実ではないがゆえに、現実を救えるわけではないという仮面ライダーの存在を問うというテーマがあり、それを示唆するようなセリフは多い。そして、アナザーWについても、ライダーのファンだった時期があり、それが東日本大震災を機に変わったと考えるとWくらいまでは好きだったんだろうと思えるし、そうなると、テキトーなセリフを使ってくるジオウ勢に腹が立ったり、いろんな指摘をしていたのにも頷ける。さらに、その設定をうまく処理できずに全カットになってしまったということも、実際にそういう思いをしたかもしれない存在がいることを考えると、答えのない問いなんだろうなと思ってしまう。

 仮面ライダーを見ている時、どこまでを現実だと思っているのだろう。僕が仮面ライダーを見るようになったのは、小学生高学年だった。その頃の僕には、アニメもドラマも特撮も現実とは違うということはもうわかっていた。では、それを自覚したのはいつだろうか。子供の頃に見たヒーローは、現実にいると思っていたのかもしれないが、それは現実に仮面ライダーと会ったことはないし、巨大ロボが戦っているのも見たことはないし、変身アイテムを使っても実際に変身できるわけでもない。きっと子供たちもどこかでは自分たちの現実と繋がった空間ではないことは自覚しているのではないか。でも、それでも、辛いことがあった時、怖いことがあった時、虚構の存在に助けを求めるのだと思う。

 くしくも、この映画にもいろんな大人の事情が絡んでいる。誰が出れて誰が出れないのか、あの変身はできるのかとか。自分たちで自分たちの存在を虚構だと言い切ってしまう強さだってある。この作品から、平成ライダーが凸凹なこととか、戦隊もライダーもモチーフが被ってるだの、いろんなメタ要素に切り込んでいく作品が多くなっていく。これはある意味過去を否定せずに、これからも今まで通りその瞬間に、それぞれの記憶の中に生きていくという気概を感じる。ジオウという作品自体がアニバーサリー作品であり、いろんなスターが客演してくれた。ある種平成ライダーシリーズの締めくくりとして完璧だった。そして、時代は変わった。仮面ライダーシリーズだけでなく、さまざまなエンタメは、コロナに悩まされることになった。戦争というテーマを扱うのも難しくなった。やりたいことができなくなった作品だって、苦労しているなということも察してしまえる作品もあった。そうなるとやっぱり、どこか現実の影響を、虚構の作品にも感じてしまう。それでも、こんな辛い時にこそ、今はないものとわかりながら、僕らは虚構の世界にのめり込む。そしてその世界に生きるキャラクターたちに感情移入する。

 最後に、あえて言おう。仮面ライダーはいる。確かに僕らの中に生きている。そして、僕は本当に仮面ライダーになりたかった。そんなことを思えるような映画だった。無料公開は明日まで(1月9日まで)。仮面ライダー好きはもちろん、一度でもヒーロー作品を見た人は是非。

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