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サラダと歌会と部屋に積みあがってゆくでかどんでんの話

7月6日火曜日。
1987年のこの日に、「サラダ記念日」という現代短歌集が発行されました。言葉は悪いのかもしれませんが、当時は虚を突いたように現れたこの古くて新しい自由な短歌群が一大ブームを巻き起こしたものでした。NHKだかで「短歌ブームを追う」なんて感じの番組が放映されていたような記憶があります。
そして2021年のこの日。短歌専門誌である月刊短歌研究が90周年記念として、アイドルに短歌を詠ませてみるというナナメ上からのイベントを開催するというアナウンスがありました。その名もアイドル歌会。そのまんまどーん。
なんじゃそりゃと思いながらも、ご参加されるメンバーの中には真山りかさんのお名前が。はぁこりゃもう観に行くしかないじゃないですか。それなりのチケット争奪戦になったのですが、運よく2次募集で当選。さっそうと出かけてゆくぼくだったのでした。

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前段が長くなりましたので、まずは結論から書きましょか。
これが思いのほかとても面白く、色々と刺激のあるイベントでありました。

短歌なんていう言葉は、ぼくのような学の浅い者にとってはすぐに学校での授業のいやな思い出に結びついてしまって、とても堅苦しいもののように思えてしまうもの。
でも万葉の頃からの人々にとって、歌会なんていったらきっと一大レジャーのひとつですよね。ぼくらが音楽フェスで様々な歌手の歌に酔いしれるように、いにしえの彼らは歌人たちの三十一文字に酔いしれていたはず。この日のイベント壇上の4歌姫による歌の応酬を見て、ぼくは時空を超え当時の貴族たちの盛り上がりにどこか通ずる気分になったような気がしないこともなかったのです。

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そうだ。壇上にアイドル様は4人いらしたのでした。
まじめなソロアイドルで短歌ガチ勢、ゆっふぃーこと寺嶋由芙さん。キャラの使い分けと立ち回りが器用で弁の立つ、でんぱ組の鹿目凛さん。ぼくにとって全く未知の存在で爆発力のカタマリ、鶯籠(とりかご)の駄好乙(たむこ)さん。そして捧げられた血と肉の先でたおやかに優しく微笑む、我らがエビ中の真山りかさん
そこに司会者兼選者としてニッポン放送のゴボウこと吉田尚記アナ、選者として歌人の笹公人さん、月間短歌研究編集長の國兼秀二さん、さらにサラダ記念日著者の俵万智先生ご本人の4人による講評や解説とともにステージが進行していきます。

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短歌ガチ勢の寺嶋さんも含め、アイドル皆さんは短歌の自作は初めてだったとのこと。でも見るからに皆さん良いアンテナを持っていそうな雰囲気。実際、事前の俵先生によるコーチング授業では皆さんの筋がだいぶよかったそうです。
配信もあったので進行の詳細リポ的なことは端折りますが、第一部では「ファン」「ステージ」とテーマに沿った短歌を4人がご披露。それを見て感じたことを4人が自由な視点から、そして選者が専門的な知見から感想を語る形。既述の通り、4人のアイドルはそれぞれキャラのタイプが違うものの、タイプが違うからこそ生まれてくる共感や新たな視点からの感想が重ねられご披露されていきます。


・・・なるほど三十一文字で描かれた世界というのは、その間口の覗きかたによって、文字数の何十倍も何百倍もの景色に広がっていくのだなと。限られた文字数という不自由の中で、詠み人の間口を作る感性と選者のそれを覗き込む感性がぶつかり合って、時空がどんどん拡がってゆく。そういうものだとはやんわり理解していたつもりだったものだけれど、アイドル&選者のぶつかりあいを目の前で見せられると、やはりそのエネルギーには圧倒させられるものなのだ。中学高校での授業などと違って、このやりとりにするすると引き込まれてしまうのです。
第一部終了。

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第二部は「念力・付け句大会」です。
まずアイドル様が上の句575部分を開示して、他のアイドル様や、客席なり配信画面前の観客がツイッターを用いて下の句77部分を付けるという試み。イベントは観客参加型の企画となって、先ほどまで垣間見ていた壇上の世界に自分自身の感性をぶつけられるというアクティヴな時間に変貌。うん。歌会楽しいぞ。
せっかくなのでここからは、ぼく目線のドキュメントで進めてみます。

念力・付け句大会は上記の通り、アイドル様4人が上の句575を開示なさいます。

ぼくは血と肉そしてたおやかな笑顔でお馴染みまやまさんによる上の句という大宇宙に、自分の14文字というちっぽけな小部屋をジョイントさせて頂こうと、客席にてスマホでツイッターの画面を開きました。
彼女の上の句は「あしたやる 言ったつもりが ずるずると」です。なんて麗しい花のような十七文字なのだろう。

さあ下の句だ!おりてこい我がインスピレーションよ!こい!こい…!どうしたイン山スピ夫さん!いますぐぼくの脳内にカモン!
…もちろん短歌なんて心得がありませんので、「コレだ!」っていう言葉が出てこないんですよね。トップバッターであったまやまさんのお題には、まったく自分の言葉をアジャストさせることができませんでした。時間切れ。くやしい。
まやまさんご本人にチョイスされていたのは「あしたやる 言ったつもりが ずるずると コスプレ衣装 徹夜で仕上げる」というものでした。なるほどわかるわかる。

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続いてゆっふぃーさんによる上の句。
「真夏でも 健気に働く ゆるキャラに」…ふむふむ。
まずはアイドル様同士で付け句をするエキシビジョン。まやまさんは「大喜利じみてしまったけど」と前置きの上で、「真夏でも 健気に働く ゆるキャラに ライバル登場 次週へ続く!」と麗しい花のような笑顔とともに受けてみせます。なるほど、遊び心によるの言葉のように見えるけれど、実はここにゆるキャラ同士での競い合いのし烈さが表現されている。のどかに見える情景も、厳しい現実がどこに隠れているかわからないのだ。
たとえば舞台で笑いあっているこの4人のアイドル様だって、実際はライバル同士だったりするじゃないか。この下の句を見ているぼくらだって、まわりの観客と闘っている最中でもあるんだ。深い。深いよまやまさん。日本の文壇にニューエスト至宝が凱旋してますよ。何をのんびりしているんだノーベル財団!今すぐ日本に来てまやまさんをその目で目撃するんだ!そして落ち着くんだ自分!

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三人目は自由闊達な感性と自由闊達な発言連発の駄好乙(たむこ)さん。
上の句は「膝抱え 積んだCD 見つめては」というもの。…思い当たる辛い過去があるのか、乾いた笑いでどよめく客席。ぼくの脳内にもでかどんでん・シンガロンシンガソンというふたつの謎の呪文が響きます。
しかしここにきてぼくの脳内にイン山スピ夫さんが急降下。さきほどのまやまさんによる付け句、そのまんま頂いて下の句につけてみたらどうだろう!閃いてしまったぼくはさっそくツイート。このほとばしりは止められないのだ。

『膝抱え 積んだCD 見つめては ライバル出現 次回に続く!』どうだ!
いわばこれはサンプリングってやつだ。短歌ってのは、ぼくに言わせればヒップホップなのさ。付け句の渡しあいというのは、つまりラップバトルそのもの。そこからさかのぼれば80年代のブロンクスが産んだサンプリング文化にたどり着く。ぼくのこの手法っていうのはブロックパーティから平安への逆輸入なのさ。決して苦し紛れに盗作に手を染めたわけでは、ない!きっと。

『膝抱え 積んだCD 見つめては ライバル出現 次回に続く!』
司会のゴボウことよっぴー吉田さん、拾ってくださっちゃうんですよね。そしてこの下の句を「かぶせてきた~!」と反応してくださるまやまさん。麗しい花のようなたおやかな笑い。や、ほんとすいません。

ほんとは、思ったよりもファンキーに短歌イベントが進んでいたので、こういったカブセのような手法ってアリなのかナシなのか、どのようにツッこまれるのだろうかと試してみたかったのです。ほんとよ。
そしたらよっぴーさんは、この句を受けて、握手会でのカギ閉め競争(その日の最後の握手者となることを狙うオタクたちの握手列でのかけひき)の風景が見えるといったコメント。真山さんもそれを受けて、自身が握手会で見てきた光景に関する麗しい花のようなコメント。
ああ、なるほど。ぼくが実験的に送ってみたやつも、確かにそう受け取ることができるじゃないか。大量のCDを介したライバルってのも、世の中には存在するものだ。送ってみた本人の手を離れ、思惑を超えて広がってゆく下の句の世界。はぁすごい。

ちょっとしたこそばゆさがあったのは事実。だけれど転じてですね、平安の頃にも明治期にも平成令和の文壇にも、同じように作者の手を離れたからこそ、大きく評価されてしまった短歌なんてものも存在するのではないか。歴史的な名作の中にも、もしかしたら選者が深読みを重ねたことで、作者の意図と違うところで評価が高まってしまったものもあるのではないだろうか。
ぼくはそんなことを考えていました。

や、実際にそういうことがあったとしてですね、ちょっと笑える状況なのかもしれないけれど、それはそれで素晴らしいことだと思うのですよ。
少しひねった関連付けになりますが、アイドルもロックバンドも、はたまた演劇やミュージカルなどでも、「作品は演者と観客のみんなで作るもの」なんて言われることがよくあります。実際、観客と演者が一緒に盛り上がったりしたからこそ完成に近づいた作品という実例を、ぼくも何度も目にしてきたような気がしています。決して大げさな話ではなく。
短歌のこの作者と選者でのやりとりも、ある意味どこかほのかにちょびっとそっくりじゃないですか。そしてオタクの皆さんて、深読みとかしてアイドルさんを持ち上げたり、深読みして病んでしまったりするのが大好きじゃないですか。短歌とオタク文化って、いろいろとそっくりじゃないですか。

斯様に、アイドルと短歌って、きっと物凄く相性が良いものなのです。企画をみたときなんじゃそりゃと思ったものですが、いろいろな側面からみて、このふたつの世界は親和性に満ちているものだったのです。この企画は成功するに決まっていたのです。

ぼくの出したいたずらな下の句が、よっぴーさんとまやまさんに持ち上げて頂くほどの価値のあるものだったのかどうかはわかりません。でもあのやりとりがあったおかげで、短歌ってのはエンタテイメントなのだな、短歌ってのはコミュニケーションなのだな、短歌ってのは人と人との繋がりだったのだなと。少なくとも短歌なんて何にも知らなかった無学なぼくが、なんだかそんな理解にたどり着くことができたような気がしているのです。

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といった色々があって、2時間ほどの短歌イベントは、少なくともぼくにとっては大きな意義と刺激に満ちた、有意義な時間となったのでした。まやまさん笹公人賞おめでとうございました。そんなくっつかないで。

どんな首にも正面から向き合って、暖かくも真摯な評を述べられていた選者の笹さん、國兼さん、そして俵先生。彼らよりも、もうちょっとだけぼくらに近い位置から解釈の宇宙を拡げ、出演者や観客の句を持ち上げてくれたよっぴーさん。なにより、初挑戦の短歌と向かい合って笑顔で奮闘した歌姫4人の皆様。とても良い時間を有難うございました。
特段、よっぴーさんの流れるような司会っぷりと、バックヤードにある知識と知性、人選等のプロデュース能力。これら凄いものだったなと感じさせられています。ただのゴボウじゃなかった。

一首できた。
  品切れで 苦し紛れの かぶせ技 ゴボウつまんで 染み出る味わい
                      ・・・お粗末さまでした。


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もうちょっと論を広げると、エンタテインメントと有観客イベントについての話などにも辿り着いたりするのですが、それはまたそのうち。
ひとまずこのアイドル歌会。第二回があれば、ぜひまた参加してみたいですね。

それではそろそろ寝ますです。
おやすみなさいグー。

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