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幼稚園に行きたくない!

私の子供の頃の家族構成は、両親、父方の祖父母、そして私は三人きょうだいの真ん中。7人家族だった。
私は年少の学年まで家庭保育で、年中の学年から幼稚園に入った。

今思えば、環境の変化についていけなかった、とかそんな感じなのだろうが、私は幼稚園に行きたくなくなり、登園拒否を起こした。

行きたくない、それを母に言わないといけない。なぜ行きたくないのか理由を聞かれるので、理由がないといけない。
そこで私は考えた。

「おなかがいたい」

実際には痛くない。
しかしもちろん母は身体を心配して、私をありとあらゆる病院に連れて行った。
小児科、内科、健診などができる大きな病院…etc
若干5歳にして私はバリウムを飲み、お腹の中を撮影する機械にもかけられた。
(その年齢であのツラい検査を乗り越えたなんて私エライ!)

が、悪いところはどこもない。当然だ。本当はお腹は痛くないのだから。
問題は身体ではなさそうだ、と気付いた母は、今度は何かの紹介で、地元の大学病院の心理学教室のようなところに私を連れて行った。
そこで私は臨床心理士さん的な人と一緒に箱庭で遊んだ。
子供がその箱庭でどのような遊び方をするかを観察して、発達や性格などの特徴を診断するらしい。

結果は、「ハレちゃんは、一度にたくさんの物事を考える傾向にあるようです。頭の中がパンパンの状態です。今にも爆発しそう。ガス抜きをしてください。」
と言われたそうだ。実際には絶対もっと専門的な事、もっと多くの情報をフィードバックされたのだと思うが、母の記憶で聞かされた内容はこんな感じ。

さて私。「おなかがいたい」に替わる、幼稚園に行きたくない理由を考えついた。

「ようちえんのSくんがこわい」

Sくんというのは、大柄で肌も真っ黒に日焼けし、元気いっぱいで明らかに目立つタイプの子。実際にはSくんとは何の関係もなかったが単に目に入った子の名前を言ったような感じだったのだと思う。
(後にSくんとは地元の中学校で再会して、彼も当時のことは覚えており、関係なかったのに巻き込んでごめんね、とちゃんと謝った。)

それに対して、今度は私は園長先生と面談をした記憶がある。
どんな話をしたのかは全然覚えてない。

でも最初に幼稚園に行きたくないと言い出してから、ずいぶん時間は流れたと思う。
その頃には、私の中で行きたくないという気持ちが消えていて、何がキッカケかは分からないが幼稚園に行くようになった。(その後もチック症状的なものは続いていたが)
これが年中の時の話で、年長の学年は一度も休むことなく皆勤賞をもらって幼稚園を卒園した。

以上のことは、周りの大人達からの話と、私自身のうっすらとした記憶で成り立っている一連の出来事なので、事実とは異なる部分もあるかもしれない。
というのを前提としてだが、当時のことを大人になって考察してみた。

登園拒否となったキッカケについて
仮説
①それまで家庭保育だった環境からの、集団での社会生活についていけなかった
②大家族の中で、親と密着する時間が少なかった

①については文字通り。
②については、子供の頃の私は、割と聞き分けの良い子供だったようで、少なからず無理をしていた説。
言葉にならない、無意識の「もっと自分に構ってほしい」というサインだったのではないか。

この仮説②が正しかったとしたら、散々母親に病院に連れまわされ(めちゃくちゃ心配してもらえた)、園長先生と面談をし(色んな大人が関わってくれた)ことで、自分なりに、もう満足!となったので、その後幼稚園に行けるようになったのではないか。。。

うん、なんかそうかも。
今更誰も答えは持ってないし答え合わせはできないけれど、なんか合点がいくな、と思った。

これらの周りの情報と、曖昧ながらも自分の記憶とで、なんか稀有な体験をしたような気もする。
不登校の経験とはまた違うけど、今後の子育てのヒントに、ちょっとくらいはなりそうだ。

一年後に小学校入学を控えている息子。
保育園に通っている今の時点でもそうだが、息子の何らかのSOSや、サインが出た時には、見逃さないよう、自分の経験から敏感に察知してあげられたらな、と思う。

私の幼稚園以降の後日談。
おそらくもっと大人に構ってほしかったのであろう子供の頃の私。
しかし意図せず3人きょうだいの中で、大人になって実家を出たのが私が一番遅かった。
それまで3人に分散していた親の目が、家の中で子供は私一人となり、一気に私に集中し、煩わしく思ったのはもっともっと後の話。
構って欲しい時に構ってもらえず、構ってほしくない時に構われる、、笑
構って欲しい気持ちの需要と供給は、なんともすれ違いだなぁと、今苦笑いをしながら思い出にふけっている。

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