自己紹介をさせてください①—浪人生、僧侶になる。—

こんばんは。2回目の投稿をさせていただきます。

まず始めに。新型コロナウイルスにより罹患された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。そして、医療現場に置いてこのウイルスと戦っていらっしゃる全ての方にお礼を申し上げます。そして少しでも早い事態の収束を念じております。

本格的にブログを書いていくにあたり、読者の方に僕のイメージを少しでも持っていただけるよう、今回から何度かに分けて自己紹介をさせていただこうと思います。読んでいただけたら嬉しいです。

前回の投稿でもお話しさせていただきましたが、僕は浄土真宗本願寺派の僧侶です。現在24歳で、僧侶とならせていただいてから6年が経とうとしています。

東京のお寺に3人きょうだいの長男として生まれ育った僕にとって、僧侶になって家を継ぐということは、ほとんど確定事項でした。小さい頃から住職(僕の祖父)と共に、行事の際のお勤めには出させていただいてましたし、お寺を継ぐ立場にあることは僕もある程度自覚していましたが、今日に至るまで「家を継げ」と明言されたことはないのです。それではなぜ僕が僧侶になったのか、そしてお寺を守っていこうと決意したのか、少しだけお話しさせてください。

一般的に、お寺の後継ぎとして育てられた方は大学進学時は仏教系の大学に行かれる事が多いと思います。じっさい、浄土真宗の僧侶の方は、龍谷大学卒の方が圧倒的に多いと思います。

しかし、僕はその道を歩みませんでした。家族からその道に進む事を強制されたこともありません。大学は好きなところに言っていいと言うのです。ただし、その代わり先に僧侶になる資格=得度は受けてこい、とのこと。ちょうど良い塩梅に1年浪人した僕は10日間予備校を休んで京都の西山別院という研修施設での得度に望んだのでした。(あと車の免許も取った)

。。。勘の良い方なら既にわかったかと思いますが、自由に大学に進んで良い条件として僧侶になったわけです。すなわち、それは大学の間だけは自由に好きな事をやって良いということだったわけです。僕がそれに気づいたのは大学3年ぐらいの時でした。

という具合に僧籍持ち・免許持ちの浪人生という非常に稀有な肩書を持った僕は、慶應義塾大学文学部というところに入学することになります。

こうして無事に僧侶兼慶應大生となった僕は、入学してしばらくのうちは自分が僧侶であることは二の次で、必死に大学生を努めておりました。そんな中、とある一つの転機が訪れます。(続く)





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