僕は少し怒っている

僕は、少し怒っている。いや、怒っているという表現が正しいのかは分からない。そもそも、あんまり感情的に物事を捉えない方だし、少なくとも、なんらかの偏った感情を抱えた状態で、ある程度以上のボリュームの文章を書くということは避けてきた。でも、いま、こうして、感情のままに文章を書いている。

何の話か。ワニの話だ。

結末に不服は無い

昨夜、ワニが死んだ。終わり方には賛否があるだろう。でも、別に、どういう終わり方だって、それは作者が描きたいように描けば良い。それを、鑑賞者である僕たちがとやかく言うのは違うと思う。創作者は好きなように創作し、鑑賞者は好きなように鑑賞すればいい。相手方にああだこうだいうのは、マナー違反だと思う。

だから、作品そのものについて、何かモノ申したい!という気持ちは微塵もない。作品にも、作者の方にも、100日間のエンターテイメントを提供してくれたことに対する感謝の気持ちでいっぱいです。

マーケティングってさ、プロモーションだけじゃないだろ?

じゃぁ、何に対して僕はこんなにイライラしているのか。それは「終わった直後のセールス攻勢」だ。

ワニが死ぬ。普通に生きているワニが、死んでしまう。仲間と共に楽しく過ごし、落ち込んだことも乗り越えて、彼女もできて、みんなと一緒にお花見をする・・・そんな「普通の幸福」を捕まえたワニが死ぬ。

カウントダウンによって、どんどんみんなの緊張が高まり、ピークに達したときに、ワニが死んだ。

鑑賞者は、それぞれの立場で、いろいろことを思ったはず。悲しいと思った人もいれば、結末に疑問を抱く人もいたでしょう。自分の人生や、過去の経験と照らし合わせた人もいたかもしれません。みんな、それぞれに「ワニの死」を受け止めていた。

そこに、いきなり投下されたのが「書籍化、映画化、グッズ・イベントのお知らせ」。そして「ガチャっぽいグッズ販売」

わかる。わかるよ。話題の絶頂、人気のピークだもんね。そりゃ、ここを逃す手はないですよ。いけ!いまだ!どんどん売り込め!ってなるよね。わかる。気持ちは分かる。でも、ちょっと待て。

これまで、スタンプ販売くらいしかしないで、無償で100話も公開してきたわけです。クリエイターがしっかり収入を得るためには、マネタイズしないといけません。そりゃそうです。しっかり、お金を稼ぐべきです。わかる。わかるよ。でも、でもね。ちょっと待ってよ。

以前も書いた通り、マーケティングは、プロモーションだけではないよね?ちがうよね!?そんなの、業界の偉い皆さんは、みんなみんな、分かって企画してるんだよね。だよね???

プロダクトを毀損してないか?

マーケティングの基本フレームは、STP+3P +1Pです。

まず、STPを明確化します。「価値の選択」です。
・Segmentation:マーケットを複数のセグメントに分ける
・Targeting:どういう人達(=セグメント)に価値提供するのか
・Positioning:その人達に対して、どういう差別性を持って接するか

次に4P(Product、Price、Place、Promotion)の最初の3つ、すなわち「価値の提供」を固めます。すなわち、
・Product:どういう商品なの?どういう価値訴求なの?
・Price:いくらで販売するの?
・Place:どういう流通経路で販売するの?
です。

この後に、1P、すなわち「価値の伝達」です。
・Promotion:どうやって買い手に情報を届けるか

これらが、しっかりと整合し、シームレスにつながっていることが、マーケティングの目指すところです。

そ れ な の に 、な ぜ 、今 回 の よ う な 対 応 に な っ て し ま っ た の か 。

ワニの死から数時間以内に行われた一連のプロモーションは、「プロダクトの破壊」です。もう少し、やわらかく言うとしても「プロダクトの価値の毀損」です。

創作キャラであっても「死」は重い

死、というのは、重いテーマです。取り扱う時には、最低限の注意が必要です。今回の、ワニのストーリーにおいては、死は、丁重に扱われてきました。

死というイベントは、例えそれが予告されていたとしても、鑑賞者に大きない衝撃を与えます。天のアカギ、FF7のエアリス、ワンピースのエース、バナナフィッシュの(昔ネタバレするなと怒られたので内緒)、タッチの和也。多くの死が、多くの驚きと感動を与えてくれました。

キャラクターが魅力的であればあるほど、その死は、悼まれます。

在りし日のキャラ、存命中のキャラのことを思い出させるのは、極めて効果的です。今回のワニのケースで言えば、いきものがかりの楽曲に合わせて、ワニのストーリーを振り返るのは、素晴らしいイベントだったと思います。(もしかすると、人によっては、年末の「笑ってはいけない」のエンディングような ”パロディ感” を感じた人もいるかもしれませんが、それは、個人の感じ方なので、ここでは論じません)

これは、プロダクトの一部とも言えますし、プロダクトの価値を強化したと僕は感じました。

僕たちが求めていたのは「余韻」であり、「与えられた結末を消化する期間」だったのではないでしょうか。

しかし、そのあとに続いた、唐突な「売らんかな」マーケティングは、プロダクトを殺しました。余韻を消し去り、消化不良の状態のまま強制的に現実世界に引き戻しました。

作中でワニという存在を殺した直後に、その「ワニの死という重大イベント」を殺したのです。

誰に、何の価値を提供し、どうやってお金に換えるのか

作品を作ることは大変なことです。そして、お金を稼ぐことは尊い事です。しかし、だからこそ、大変な思いをしながら世に出された創作物の価値が「マーケティングのやり方」によって毀損されてしまうのは、とても悲しいことだと思います。

僕は、誰かを批判するつもりもありませんし、何かを否定したくてこのnoteを書いているわけではありません。(普段よりも感情的になっているので、そういう気持ちが出てしまっているかもしれませんが、本意ではありません)

クリエイターが、しっかり稼ぐことができるように業界を変えていく試みは素晴らしいです。ワニのストーリーは、非常に可能性を感じる取組だったと思います。

しかし、だからこそ、僕は、ひたすら悲しいのです。そうか、僕は、悲しいのか。怒っているわけではなかったんだな。折角の良質なコンテンツが、何らかの「外的なモノ」によって毀損されるのが、僕は悲しかったんですね。(ちょっと気持ちの整理がついてきましたが、もう、ここまで書いてしまったのでタイトルはそのままにしておきます)

僕は、いわゆるマーケターではなく、経営戦略や事業戦略を描くところをお手伝いすることが多いお仕事です。そのため、プロモーションのことは、よくわかりません。しかし、「提供価値は何か」を考え続けることでお金を頂いている僕にとって、「提供価値の毀損」は絶対に避けるべき事態です。

今回のプロモーションの失敗は、ブランド価値を毀損するような大幅値引き(Priceの失敗)や、本来置かれるべきでないお店への商品配置(Placeの失敗)などと同じです。

本件を受けて、僕は、商品やサービスの価値と真摯に向き合い、それを最大限に強化することに、これまで以上に心血を注いでいこう、と固く誓いました。

ワニくんのご冥福をお祈りします。

いただいたサポートは、このnoteで紹介する書籍の購入に使わせていただきます。