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読書録:ロックで独立する方法(忌野清志郎)

初めて聞いたのは中学生くらいだったんじゃないかと思う。独特の声で、びっくりした。正直、僕には、音程があってるんだかあってないんだかも判断できなくて、なんだこれと思っんだけど、ずっと聞いてると「そういう歌」「そういう曲」「そういうバンド」なんだとわかってきて、すごいグッと来た。

彼が亡くなってからずいぶん経つけれど、お店のBGMや、テレビCMなんかで聞こえるたびに「お、キヨシローだ」と思ってしまう。ほんとうに稀有な存在だったよなー。

書籍:ロックで独立する方法

この本は、彼が亡くなった直後の2009年6月に発刊された。内容は2000年に行われたサブカル雑誌のインタビュー企画。音楽生活30周年の節目に、ということで、忌野清志郎自身が持ち掛けた話だという。

1951年生まれの彼は、2000年当時は49歳。亡くなった2009年は58歳。僕もすでに40を越えて人生の後半戦に差し掛かっているし、ちょっと他人事じゃないよな感がすごい。社会人生活も20年以上になり、ある意味では「コンサルで独立」してるという立場だから、タイトルにも魅かれた。

数年前に読んだ、村上春樹の「職業としての小説家」のこともちょっと思い出したりしつつ、手に取ったわけですよ。

そしたらもう、、、ぶっ刺さる、ぶっ刺さる。ぐっさぐさくる。

もちろんオレの周囲にも肉体労働や皿洗いなんかをやりながらバンドやってるたくましいヤツはたくさんいたよ。(中略)でも彼らは「ほとんど練習の時間がない」ってボヤいてたな。そのうちどこへともなく消えて行ってしまったんだが(後略)
ほんとに聞いてほしい曲、聴かせたいものがあるのかっていうのが一番の問題なんじゃないかな。他人の曲、たとえば尾崎豊とかの曲を歌ってるヤツってのは、あれはよくわからないんだけどね。替え歌にしちゃおうっていうんならまだわかるけど、尾崎豊になりきって路上で歌う心理って不思議だし不気味だと思う。やむにやまれる表現とか欲求があって誰でもいいから聴いてくれっていうのとはやっぱりちょっと違うような気がする。
結局「ミュージシャンになりたい」と「こういう音楽がやりたい」とでは、全然意味が違う。「どんなミュージシャンになりたいの?」と訊かれて「いやー、ナントカみたいな」という言い方しかできなくなっちゃってるんじゃないかな。
なんでオレが売れないんだろうって、もちろん誰もが、才能がないヤツだってそういう風に思う。二十歳くらいだったら、みんな自分は天才だって思うもんだ。そのギャップの大きさとどう折り合いをつけるか。付かない場合もあるだろうし、そこで挫折する人はすごく多いと思う。
月並みな言い方になっちゃうけど、まあ、「努力」ですかね。もっとも俺自身は、「努力すれば報われる」とか、努力しようとか、努力したいとか、実際に思ってるわけじゃないけど。いや、思ってなかったという方が本当のところだね。(中略)だって好きなことやってるわけだから努力じゃなくて遊びだよ、みたいなとこが常にあったから。(中略)「世間のせいにしちゃえるほどのこと」を自分がどれだけできてるか、っていうのが大切なのかもしれない。
たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、けっこうすごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね。
自分はミュージシャンだのアーティストだのよりも、まず真っ先に「バンドマン」になりたかったんだ。「バンド」が必要だった。つまり「最初からバンド志向」だったというわけだ。
もちろん中には「バンドを手段にした実はソロ志向」のやつもいるだろうから一概には言えないが、「ソロ志向」と「バンド志向」とでは、住む世界も目指す世界もまるで違うと言っても過言じゃないと思う。
そのベンチャーズの楽譜ってやつも、どうもいまいち信用できないシロモノだった。いまみたいな完全採譜のスコア本じゃなくて、なんだかいいかげんな楽譜なんだ。その通りに弾いても、ちっとも本物らしくならない。結局、信じられるのは自分の耳だけ。結果的に、それは正解だったと思う。キミもあまり楽譜に頼ったりせずに、自分の耳だけを信じるべきだ。
特に誰がリーダー役でもなく、平等で三位一体のバンドだったという証拠に、というのも変だが、RCとしてデビューしてプロのバンド活動を始めてからも、ギャラは公平に三等分してた。そう、きっちり山分け。
キミはおそらく忌野清志郎の取り分が一番多かったと思っていただろうけど、どんな仕事も平等に三等分だったんだ。それは別に時代とは関係なかった。平等主義とか原始共産制とかは関係なかった。ただ単に「バンドとはそういうものだ」と思っていただけなんだと思う。
ミュージシャンの側からすれば「これは新曲でしかも自信作だからファンもきっと聴きたいだろう、喜ぶだろう」と勝手に思ったりするわけだが、それをステージで演ると、とたんに客がひいちゃうのがわかる。
(中略)「CDになってない曲」に対して不安や違和感があるらしい。「なんか知らない曲を演ってるぞ。そんな曲あったか?困ったな」って感じなのかもしれない。
こちらもそんな不安や違和感を煽り立てて裏切ってやりたい気持ちがある(中略)
「ファンは大切にしなくちゃ」とか「お客様は神様です」とかだったら、絶対そんなことはできなくなる。いつものナンバーをいつものように延々と演奏し続けてなきゃならない。(中略)でも、やがてそれにも飽きたファンは、やっぱり一斉に離れて行っちゃったりする。そういうファンに縛られちゃうと、もう新しいことなんて何もできなくなる。

やばい。まぢで刺さる。これでも、厳選に厳選を重ねて絞り込んだうえで引用したんだけど、ほんとはこの何倍もの引用したい記述がある。著作権的にアウトな領域に踏み込みそうなので、まぢで買って読んでほしい。

上記引用に含まれている音楽、曲、ミュージック、ミュージシャンとかの用語を、企業、事業、サービス、起業家、新機能、とかに置き換えていけば、同じ話として通用する。そうなんだよね。そうなんだよ。どの道のプロフェッショナルでも、極めて行けば、同じ話になるんだよね。

いちいち解説する必要もないだろうけど、例えば、一番最後に引用した「新曲」の話は、アプリケーションの機能追加だったり、新サービスの導入だったりをイメージしてもらえばしっくりくる。もちろん、すべての機能が最高!なんてことにはならないのだけど、その機能追加によって新しいユーザーが増えるなら、それも一つの正解だ。ニーズドリブンって言ったって、ニーズそのものをユーザーが自覚していることは稀なので(いわゆるウォンツに留まる)、どうしたところで、こちらから打ち出したいものを決めていくことになる。そこに、意思があり、意図があり、判断がある。勝負がある。そういう感覚って、事業運営においても極めて大切だと、僕は思うんですよ。

最終章で語られる「創作活動」についてのところもしっくりくる。

起業したい人、起業してる人、自身のスキルで独立したい人。秋の夜長のお供に是非どうぞ。


最後に少しだけ、ちょっと切り口の違う部分を引用。

『君が代』騒動のときなんか、それが顕著だったね。突然、筑紫哲也さんとか田原総一朗さんとかの「社会系」の人たちからインタビューを受けるわけだが、ほとんど話にならない。「どうして『君が代』をパンク風に歌おうと思ったの?」という質問に対して、こちらが100%正直に「ええ、やるなら今しかないと思いまして」とか「今やれば目立つし売れると思ったからです」とか答えても、納得されないというよりガッカリされてしまう。答えをはぐらかしてるとしか思ってくれない。
だからまあ、しょうがないからのその後に「若者たちにこの問題について考えてほしかった」とかなんとか心にもないことを答えてあげると、やっと納得する。要するにこちらに言わせたい答えや結論は、最初から決まってるんだ。
また『君が代』騒動に戻るけど、あの時は海外メディアからの取材もけっこうあったんだけど、インタビューの質がもう全然違ってた。たとえば、あの『君が代』の中ではアメリカ国家の『星条旗』も演ってたんだけど、日本のインタビュアーでそのことについて触れた人は一人もいなかった。右翼からツッコまれるとしたら、あのへんだと思ってたんだけど。そこをついてきたのが『TIME』だった。「なんでアメリカ国家が出てくるの?」ってね。まあ、アメリカの雑誌だからなんだろうけど、さすがに聴き逃さなかった。
でも、それは素朴な疑問だと思うんだ。(中略)一つの作品として普通にあの曲を聴いてれば、当然そういう疑問がわくものだろ。ところが、日本ではとにかく音楽以前に『君が代』問題があるわけだ。「日本国家をロックにした」っていう事実だけが問題であって、音楽になんかきっと興味がないんじゃないか?

キヨシローさん、どうぞ安らかに。
ろけんろー。いぇー。

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