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才能と折り合いをつける

自分の優秀さとか、才能とか、そういうものを信じて生きてる人も多いと思うんです。
才能。それは、年齢が何歳であっても、信じられる人は信じられて、信じられない人には信じられないものなのです。つまり、神の存在と似ている。

ただ、神と違うのは、途中で信仰が失われるというところなんじゃなかろうか。

みんな大好き範馬刃牙が「男子は誰でも一生に一度は地上最強を夢見る」的なことを言ってたと思うんですけど、本当にそれです。僕は男なので、女性の感覚は分からないんですけど、とりあえず、ここでは同じ感覚を持ってるってことにして話を進めます。
別に、地上で最も才能がある、とまでは思わなくても、それなりに戦える、上位に食い込める才能がある、そういうふうに思うものなんです。一度は。

ただ、地上最強と同じで、どこかで「あ、勝てないわ」と悟る。そして、なにかしらの折り合いをつけて生きていくことになるわけです。

ある程度以上の年齢で、才能を信じ続けられている人は、
・まだ負けてない人
・負けを認めていない人
のどちらかです。

いや、そりゃ、本当の天才もいるでしょうけど、そんなのレア過ぎるので、ここでは忘れましょう。だいたい、そんな天才は、こんなnoteなんて絶対に辿り着かないから、考慮する必要がない。
あと、そもそも、負けを認める機会が来てない人もいると思うんですよ。これは、若い時に才能がないと嘆いていて、どこかで自信をつけた人に多い気がする。僕好みの表現で言うと「自己肯定感の低さを、自己効力感の高さで補って生きてるタイプ」ですね。が、まぁ、これも割とレアめなので、一旦忘れます。

こうやって「その他」を切り捨ててMECE感を醸し出そうというアプローチが、才能に見切りをつけて、折り合いをつけてるってことなわけです。切れ味勝負じゃ、一位は取れない。

ちょっと前に流行った異世界転生は、折り合いをつけられていない人がターゲットですよね。きっと。
今のままじゃダメなのは分かってる。もちろん、心の底では負けを認めてないわけではない。でも、それを認めてしまっては最後の砦が破られてしまう

本来なら、ここで「折り合い」をつけないといけない。
自分の才能を見極めて、自分の人生を生きないといけない。正しい方向に努力して、最大限の幸せを得られる方向に進んだ方がいい。

才能は、相対値。
世間と比べれば大したことない才能も、特定の集団の中であれば差別性になり得る。
自らの才能を正しく理解すれば、戦い方を考えられる。
きっと、自分自身の才能と折り合いをつけて、そうやって生きた方がいいんだよな。

そんなことを、映画「火花」を観ながら思う夜です。
まぁ、折り合いをうまくつけられないから、人生は愛おしいわけなんですけどね。多分ね。

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