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空気感と味覚

このnoteは、2016年8月に投稿されたブログ記事をサルベージして、加筆・修正を加えたものです。

美味しいと感じるための3要素

僕は、美味しいと感じるためには、満たすべき3つの要素があると思っています。それは「誰と食べるか」「どこで食べるか」「何を食べるか」です。
今回は「どこで食べるか」の話を考えてみます。

先日、素敵な建物で、美味しい食事を頂くという貴重な経験をさせていただいた。お料理は、おばんざいに中華や韓国料理などのエッセンスを加味した、素朴でありながら独創性を感じさせるという不思議なものでした。(もちろん、美味しかったです。ちなみに、ご一緒したメンバーも最高でした。つまり、「誰と」「何を」も、パーフェクトだったわけですね。)

しかし、括目すべきは、その建物でした。建物の味というか雰囲気が絶妙で、お店のおばんざいと調和するというか、とても「しっくりくる」という感覚があったんですね。

僕は、正直、これまで、あまり建物と料理の味の関係性について思いをはせたことがなかったのですが(もちろん、雰囲気、という意味で建物が重要なのは言うまでもないけれども)、そのお店では、建物が醸し出す空気感そのものが味覚に影響をしていたと思います。

そこで、ふと、思い出したのが、ドイツはロマンチック街道の名所ローテンブルクの地元の人が集う居酒屋です。その街で働くチェコ人の友達に連れて行ってもらったのですが、まぁ、凄い空気感。古い石壁を間接照明が照らすアナグラのような店でしたが、そこで飲むワインは、いわゆる銘柄とか値段とか、そういう”ラベル”・”レッテル”を超越した「文化」を飲んでる感じがしたんですよね。

無理して作り上げた空間ではなく、そこにあるものを削りだしたという感じ。粘土をこねて形を作るのではなく、彫刻というべき建築。
料理も、素材の味を活かす、っていうけど、場所づくりも同じことなのかもしれないな。

以降、note投稿時に追記:

どこで、誰と何を食べたのだろう。
ヒントが薄すぎて思い出せない、、、

と、ながらく悩んでいたのだけど、当時の写真などを確認して思い出した。今はすでに閉店された、中目黒の隠れ家創作おばんざいのお店だ。
と、なると、一緒に行ったのは、あの方々か。
そりゃ、楽しいわな。

建築物の魅力について、何か語れるほどの知識は僕にはないのだけど、この時、ご一緒した方の中に、建築/インテリアの専門家がいらっしゃって、その方がこのお店のデザインもされていたということなどから、建物についても会話が弾んだことで、元ブログに書いたような「空間」という調味料について考えていたのだろう。まぁ、わかる。そりゃ、そうなる。

しかも、屋根裏のような個室に通してもらったので、雰囲気が極めて良かった。あの特別感は、料理の味をさらに引き立ててくれた。間違いない。(明確な記憶ではないけれど、関係者とか、仲の良い方しかその席には通さない、みたいな話だった気がする。)

人間の知覚なんて、基本的に曖昧なものなので「雰囲気」「イメージ」で、印象は大きく変わる。
接客が酷いと、飯が不味く感じる、みたいな話も同じ話ですよね。

最近、それなりに歳をとってきた結果、食べ物の味そのものは、一定レベルを越えてさえいれば、正直、どうでも良くなってきた気がする。
いや、もちろん「なにこれ信じられないくらい美味い!!!」ってなることはあるんですけど、ただ、高い寿司屋とか、高い焼き鳥とかに連れて行ってもらっても、味そのものよりも「どんな雰囲気だったか」の方が重要になっているように感じるんですよね。
それは、当然ながら、お店だけの話ではなくて、誰と行ったか、どんな話をしていたか、などにも大きく影響を受けます。

昔から、「この店は、誰の店か」というフラグを立ててるんですが、おそらく、この「同席した人も込みで、料理を楽しむ」という感覚に起因してるんでしょうね。
連れて行ってくれた人とセットで、その店を記憶する。そういう楽しみ方を好む。
言語化されて、明確に意識し始めたのは、比較的最近のことなのだけれど、大学生の頃から、そういう楽しみ方を志向していたように思います。

これ、仕事においてもきっと同じで、雰囲気づくりとか、メンバー選びとか、そういう「アウトプットの質」の周辺のアレコレ、極めて定性的で感覚的な部分が、とても大切なんだと思うんです。
いわんや、プライベートをや。

好きな人、好きなものに囲まれて、好きな場所を巡る人生を送りたいものです。

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