【映画感想】「時をかける少女」見て今を全力で生きようと思った

 この映画はほんとに青春の甘酸っぱさも主人公の成長もあってほんとに名作だと思った。時間は巻き戻せないから今一瞬を大事にするべきという普遍的なテーマがあってどの年代でも共感できるほんとにいい映画や。

簡単なあらすじと人物

紺野 真琴:主人公、ずぼら 
間宮 千昭:野球、赤髪、転校生
津田 功介:野球、角刈り、真面目
芳山 和子:叔母、美術修理
藤谷 果穂:クライメイト、女友達

踏切前の坂を自転車で全力疾走知るまことはブレーキがきかないことによりそのまま踏切に突っ込んでしまい電車に引かれる寸前でタイプリープする。これをきっかけにタイムリープするコツを掴む。日常生活で納得のいかないことがあるたびにすぐにタイムリープをつかうが、時間操作するごとにそのあとの世界も若干かわるバタフライエフェクトに翻弄させる。

感想

時間は不可逆的だけど告白した後の男女の関係も不可逆的。
 真琴にとって一番大事なのは千昭と功介とずっと3人で野球をすることだった。しかし、あることをきっかけに真琴は千昭に告白され気まずくなってタイムリープ能力を使ってなかったことにしようとする。
 この気持ちは誰でもあるだろう、男女の友情というか、友達だと思っていた異性から急に告白されたらもう友達でいられないのではないかと不安になるし、この居心地の良い関係を崩したくはないだろう。逆に、告白する側からしたら告ったらもういままでの気さくな友達の関係ではいられないなと。。。
 けれど高校生にもなるとそんなこともわかって覚悟を決めて環境を変えるために告白するわけで、かなりの勇気と覚悟が必要だと思う。そんな告白を受けた真琴は自分の日常を守るためにタイムリープしたけれど、同時に千昭の気持ちに対して真摯に向き合わずもてあそんでしまった。その代償ってほどではないが何度タイムリープしてもそのあとの世界線はどうもうまくいかない。
 こっちを直せばあっちが綻ぶ、まるであつもりの島クリエイトしている自分のようだ。


この映画の大きなテーマ、モラトリアム。
 真琴を見ていると、さっさと未来を決めんかい!!って思ってしまう。文理選択も先延ばし、告白も先延ばし、失敗も先延ばし、おいおいおい。まぁけど自分も高校生の時はまだこの時間を過ごしたい!、大人になんてなりたくない!って思っていたわけだが、黒板に書いてあった「Time waits for no one」の通りでタイムリープにも制限回数があっていつまでも高校生活をやり直すわけにはいかず、いずれは将来の決断をしないといけない。
 腕に刻まれた数字が0になり、千昭を失ってしまったときに真琴はその真実に気づき、逃げてばっかだった自分に対してやるせなくて屋上で泣いてしまったのだろう。無力で何もできずタイムリミットを告げられたようでこのシーンは見てる自分も泣いてしまいそうだった。

 映画の終わり方も結構好きで、真琴がやっと自分の気持ちに素直になれて大切な人のために最後の一回のタイムリープを使って変えた未来は丸く収まったけど自分が欲しかった未来にはならなかったこと。土手で千昭に告白されると思ったらされず、なんなら千昭は未来へ帰ってしまう。そんな都合よくはいかないよな~~あ~人生って感じで、やるせない。けど覚悟を決めた決断をした後の真琴は自分の行動に責任をもって前向きでとても大人に見えた。

映画で気になったところ

なんでこんなに野球してるん?
 脚本家の奥寺佐渡子によると“3人では野球の基本動作が一通りできるけど、1人でも欠けるとキャッチボールしかできない。その関係性が崩れるところから話が始まる”ということで、この放課後に野球をしているという基本設定を思いついたのだそう。
 そして、3人で野球ができなくなってしまう(関係性が崩れてしまう)のは、やはり千昭または功介から恋愛の話題が出た時でいわば、野球が彼女たちのモラトリアム期間中の関係性を表している。
 なるほどなー、めちゃめちゃメタファーが効いてる映画だなと感心してしまった。

Time waits for no one
 「Time waits for no one」を直訳すれば「時は誰も待ってくれない」で、日本のことわざでは「光陰矢の如し」「歳月人を待たず」に当たる。ようは「時間は待ってくれないから、無駄にすんなよ」ってことで映画では誰が書いたかは言及されてないけど、おそらく千昭がこの日真琴が理科室に来ることを知っていて書いたメッセージなのかなと。
 一方で“( ゚Д゚) ハァ?”は誰が書いたかわからない。ネットでは真琴が書いたとか、モブが適当に描いたとか様々。映画中では真琴は全く触れてないので個人的にはモブ説が好きだけど、真琴が何回もタイムリープしているタイミングのどこかで書いたけどこれだけバグって消えなかった、とかだったら面白いなと妄想したり。
 個人的には「Time waits for no one」この映画の重要なテーマであるから、この( ゚Д゚)ハァ?は大人からのアドバイスを全くわかってない子供という大きな設定があるようで気に入っている。


千昭の「未来で待ってる」の意味

映画のラストの名シーン。
千昭「未来で待っている」
真琴「うん、すぐ行く。走っていく。」

 千昭は未来人なので会うことはもうないけれど、未来=大人、っていうメタファーなのかなと思った。モラトリアムを抜けて大人になって、俺の見てる世界を見てみろよってことだとカッコいいな。真琴も「すぐ」「走って」行くといままでの受け身な態度ではなく積極的に人生を歩んでいく気持ちが伝わる。
 これはかなりきれいな解釈だけど逆に、千昭に「未来で待ってる」といわれると真琴はずっと追いかけるわけで、千昭からしたら俺のことを忘れないでくれって意味だとかなりせつないなぁ・・・


最後に

 こういう夏の映画ってラストシーンに主人公が未来に希望を託して空を見上げて大きいな入道雲があるみたいな終わり方することが多い気がする。もしくは夏休みが終わって、いろいろあったけど終わってみるとあっというまだったな、って振り返ったり。
 そのたび、この映画の登場人物たちはなんて濃密な時間の過ごし方をしてるのだろうかと。大人になって生活はやや冗長的になって、というより毎日の予定が決まってこなしていくことがほどんどになって、やりたいこととか「まぁ明日やるか」みたいになってる。筋トレも読書も勉強も今やろうと、明日やろうなんて思ってたら2,3年あっというまに過ぎてしまう。
なんだか高校生の時の成長速度って超速たっだなと、過去を思い出してなんだかやる気に火がついてやりたいこと片っ端からやって、たとえ一回で進む量は高校生の時と比べて小さくても、今を全力で生きようと思った。



にしても奥華子のガーネットと変わらないものはほんとに名曲や、映画にピッタリだし染みた。




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