日本人にとっての『Think CIVILITY』

『Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』を読んでの感想です。

「無礼な人」というとどんな人を思い浮かべるでしょうか?
横柄な態度を取る人、馴れ馴れしい人、上から目線の人など。
ところがこの本に出てくる「無礼な人」はもっと高圧的で、時には暴力的だったりします。だから初めに読んだ時はびっくりしてしまいました。
もっともこの本の舞台は、日本ではなくアメリカです。
だからその時は「日本と違ってアメリカは怖いな」とか、「やっぱり日本人は礼儀正しい国民だったのだろう」というふうに思っていました。

しかしこの本は『Think CIVILITY』です。「無礼さ」ではなく「礼儀正しさ」を考えるのです。
ここで「Civility」という単語を調べてみると、興味深いことに気づきます。
「礼儀正しい」という英語には「polite」「courteous」と、いくつか種類があるらしいのです。
では「Civility」はどんな意味かというと、「(無作法にならない程度の)礼儀正しさ、丁寧さ」とのこと。
分かりづらいのですが、「社交的な礼儀正しさ」をあらわす「polite」と比べると「礼儀正しさ」の度合いはあまり高くないようです。

それでは「Civility」とは何なのか?
気になったので調べてみると、形容詞の「civil」には「市民の〜」という意味があるらしいのです。
この事から考えると、「Civility」が意味する礼義正しさは「市民性」に近いものだということがわかります。
ここでの「市民性」とは「社会の構成員としての権利、義務を果たす」ということです。
このことを踏まえて本書を読むと色々と見えてきます。特に会社やチームなどの狭いコミュニティにおいて市民性が必要だという指摘は心に留めておきたいことです。

なぜかと言うと「ムラ社会」と言われる日本においては、より広い公共空間で市民性が弱いように感じられるからです。
「よそ様」という言葉があるように、日本には「よそ(余所)」と「うち(内)」を分ける考えが強く、一般的な「礼義正しさ」は「よそ様」に対するものなのです。そのうえ会社やコミュニティの中で礼義正しくあろうとすると、「よそよそしい」と言う評価を下されるでしょう。
それに対して、市民という概念は「よそ」と「うち」の中間にあるものです。

ここで言う「ムラ」とはもちろん田舎にある「村」ではありません。
会社やSNS、オンラインサロンなどの狭いコミュニティのことを言います。
そう考えると、ネット空間は新しい「ムラ」を作りやすい環境であると言えます。
(余談ですがSNSの「ムラ化」が社会の分断を生み出している、と思っています)
とは言え、ネットは公共の空間にあります。市民性を欠いた行動をすれば炎上してしまうのです。
すでに社会のインフラとなっているネット空間では「市民性」が必要であるのだと思います。
もし日本人が「市民性」を欠いたままネット空間に「ムラ」を作り続けていたら、またしてもガラパゴス社会と揶揄されてしまうかもしれません。

最後に、この本の副題が「礼義正しさこそ最強の生存戦略である」と言うことを書き添えておきます。
礼義正しく良き市民である事は、ただの美徳ではありません。
「無礼なこと」「市民性を欠くこと」のデメリットを遠ざける意味があるのです。

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