見出し画像

レビュー①高橋喜代史展 「言葉は橋をかける」  ―その先にあるものー

高橋喜代史の個展が本郷新記念札幌彫刻美術館で開催されている。
現代アートには、人を寄せ付けない作品や見ている人が置いてきぼりにされるものがある。だが、この個展は違った。
会場に入り、最初に耳に飛び込んできたのは快適なリズムとコミカルな声。映像はリズムに合わせて場面が切り替わる。カラフルな色。つい見入ってしまう。
展示は文字や言葉が並んでいる。言葉をカタチにし、それを読み解く。それは新しい発想。言葉には意味があり、そこから想起されることも多い。そこに形を加えることでもっと具体的なイメージを抱かせる。作品を見ながら「あっ!」と気付いたり、「おぉ〜」と驚いたりと感情が動く。


画像1

「ザブーン」を見たときがまさにそんな感じだった。波が立ち今まさに落ちようとして、波の音がした。動かない彫刻作品なのに音まで聞かせるとは…。手のひらに乗ってしまうくらいの「ザブーン」には、白地に青い文字と黒い文字の作品がある。青い文字の作品は青い海に白い波が立ち上がり波はまた海へと戻る。黒い文字は、夜の海に白い波がたち黒い海へと帰るのかのようだ。明らかに違う波を想像させる。


画像2

先へ進むと「人はみなそれぞれのカンバンをせおう」と書かれた大きな看板が置かれている。カンバンにめいっぱい書かれているこの字は、太く大きいのになぜか脱力感がある。丸みを帯びていて飄々とした不思議な文字だ。映像を観終わった後に気が付いた。文字がすでに作品の内容を表していたのだ! 再び映像をみると背負うものの重みが増していた。


画像3

順路の最後にある作品は、重いテーマを扱っている。ナレーションも重々しく、映像もドキュメンタリー風。だが、ところどころに出てくる人との会話は、確信を得ているようだがそのものズバリではなく絶妙にズレている。「察する」という言葉があるが、察しているがマトを射てこない。その様が実に面白い。あえてマトを外し、現実を見ないように振る舞い、終いには無かったことになるのか。今の日本のあり様を映しているようだ。インタビューを受けた人々は、奇しくも同じ言葉で答えている。一人ひとりは何気ない本音を語っているだけだが、連発するとそれはマシンガン並の威力を発する。無関心の怖さ。マトをあえて外していく役人たちと無関心な私たち。社会の縮図が見て取れる。他人の振り見て我が振り直す…私に突きつけられた気がした。
会場入口の映像も楽しい気持ちでいるとピリッと辛口な言葉が現れ、ハッとした。あの作品はこの個展全体を暗示していたのだ。

作家の策に、まんまとハマっている。重いテーマや真面目な内容の中にコミカルなスパイスを入れて、軽く見せているようでコンセプトを際立たせている。そして笑った後に別の考えや感情が後からじわ〜っと湧いてくる。

最初から見ている人を意識して作られているからなのだろうか。マンガ家は読者あっての職業。マンガ家志望からスタートしている彼は、常に見る人を意識した作品作りを心がけていたに違いない。だからちょっとしたユーモアやシニカルなスパイスを混ぜている。そのことが、とっつきやすさや、開かれていると感じるのだろう。

ほんのちょっと動いた自分の心を、真正面から捉えて突き詰めていくか、サラッと流すかは見ている人しだいだが、この心の動きこそが鑑賞の楽しさなのだと思う。その楽しさは、笑みがこぼれるような楽しさだけではない。気づかなかったり、忘れていた大切な事柄や感情を呼び覚ます。

彼の作品は、文字・言葉を通して他人の感情を揺さぶり掛け橋を作ろうとしている。
展示の中に「言葉は橋をかけたり壊したり」とある。この言葉の存在に気付いた時に、この個展の意味がわかった気がした。

(文・写真:企画1期はせがわひろみ / 編集:企画2期わたなべひろみ)


画像4


こちらもオススメです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?