【英文法の小径】現在形〈時制〉余話・その二
このシリーズのエッセイでは、代表的な状態動詞として know と like を取り上げた。どちらも「〜になる」という変化ではなく、その結果である「知っている/わかっている」「好きである/気に入っている」という状態を表す。そして、この状態はしばらく変わらない。
ちなみに、変化の過程は、例えば ‘get to do’ を用いて表現する。
いずれも、徐々に人のことがよくわかるようになったり、好きになったりしていく過程を表わしている。
さて、「状態」には、時間が経過しても変化しないことの他に、もう一つ特徴がある。それは、話し手の発言時の意識において、状態には始まりや終わりがないこと。
ここで少し回り道をする。動詞の動作/状態の区別は、名詞の可算/不可算の区別と類似性があるという考え方がある。可算と不可算のちがいの一つは、境界を意識するかしないか。水という液体はふつう、その境界が意識されないため、water は不可算として扱われることが多い。
同じように、状態として捉えられることは、その境界が(明確には)意識されない。この場合の境界とは、時間の流れにおける始まりと終わりを指す。
もちろん、実際には、パリのことをよく知っているという状況も、気づかないうちにある時点で始まったのであり、いつかは(何らかの事情で)終わるのかもしれないけれど、この発言をしている時点では、話し手によってその始まりと終わりは認識されていない。
このような状態動詞の性質を考えると、状態動詞は通例、進行形で用いないというルールも、ごく自然なことに思える。(話し手の意識において)始まりも終わりもないようなことについて、「その途中」という言い方で表わしても意味がない。あるいは、始まりと終わりが意識されない「状態」は、常に=時間軸のどの時点でも途中であるとも言える。いずれにせよ、わざわざ単純形よりも複雑な進行形[be動詞 + -ing]という形式を用いる必要がない。
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