コロナ禍で思う分断と学術

コロナ禍で政府の対応があまりにも酷いために、世の中では分断という形で様々な層が出てきている。

(1) 検査拡充派と検査抑制論者
 今回の新型コロナウィルスの出現で一番驚いた分断です。
 昨年1月にダイヤモンドプリンセス号での感染事例から可能検査数の公表数にたまげたのが生物系の研究者です。なぜ日常的にこんなにも行なっている手法での検査がこんなにも日本ではできないのか。医学部でも理学部でも薬学部でも農学部でも、機械や扱える人材はたくさん存在している。それが医療系の診断用となるとなぜここまでできないのか。
 そして、一部の医師や公衆衛生学、感染症学の専門家が大量に検査をしても医療崩壊を招くだけだと言い出しました。ネット上では、これらの人達は「検査抑制論者」と括られ、検査はできる限りした方がいいに決まっていると検査の拡充を主張する人達は「検査シーヤ派」などと呼ばれる様になりました。
 なぜ、そんな事が起きたのでしょうか。
 それは検査抑制論者と言われた方々が検査手法の詳細を理解していないこと、医師による診断用の検査と社会的検査の区別ができず、意味や必要性を理解していない、感染者が少ないうちに大量検査をしない限り、感染者は増大していずれ医療崩壊を招くこと、指数関数的に増える感染者数、ということを余りにも軽く見ていたということではないでしょうか。春の時点で既に無症状罹患者からの感染拡大が報告されている中で、社会的検査の意義が理解されなかったのです。
 一方、検査拡充派は無症状罹患者からの感染拡大がある限り、それを明らかにしていかないと感染者増、それに続く重症患者増、死亡者数増を恐れ、どうしたら大量検査が可能かを考えていました。機械も人材も国内に余るほどあることを知っていたからです。問題はそこにどう資金を投入するか、どう効率良くシステム化できるか、また厚生労働省がどう動いてくれるかでした。
 それに対して発せられた検査に否定的な言説の多くが、そんなに多くの検査することは無理、医師の判断で必要とした人にのみ検査は行うべきだという点であったことが分断の問題を浮き彫りにしています。抑制的な発言をした方々は、なぜできないと言う前に解決法を考えないのか。さらに海外のデータが先行しているにも関わらず、なぜそれを参考にできないのか。データ解析および解釈の妥当性、論理的思考が欠けている言説には何の説得力も出ないと思いました。

 この点で根気よく丁寧に説明していたのがTwitterの中ではsuna氏の一連ツイート、まとめでした。
https://twitter.com/sunasaji/status/1286648626601537539?s=20
 そしてramos氏が検査や医療方針の違いによってかかる費用の総額を比較されています。
https://twitter.com/ramos59454108/status/1348100998372356096?s=20
  ma_press氏の長いスレッドも大変論理的に論じています。
https://twitter.com/ma_press/status/1346094392889671683?s=20


(2) 経済優先か感染防止か
 これも余りにも酷い分断でした。
 2020年春の緊急事態宣言でほぼロックダウンに近い自粛をしたために経済にはかなり大きなダメージがありました。それは確かですが、自粛明けに感染状況が一旦落ち着くと次に感染者数が増加した時にはその様な自粛はもうできないという論調が出てきました。そこで、経済と感染抑止のどちらを優先するのかという議論が多くみられました。しかし、どちらかという問題ではなく同時並行しなければならない問題だったと考えます。
 いつまで経ってもPCR検査の数が思う様に増えず、体調不良者が保健所の認める検査へすぐに辿り着けないという状況が続きました。そこで保健所を待っていたら経済が回らないことを悟り始め、余力のある企業や個人は自主検査(高額)を始めました。
 経済を回すためには人が必要であり、その「人」が感染症のパンデミックに巻き込まれていたら回るものも回りません。無症状罹患者からの感染拡大が半数以上であるという報告が出ているにも関わらず、ちょっとした症状でも検査が受けられない人が多いと、誰がいつ誰に移すか分からない。どの組織でも組織内での感染拡大を防ぐために自主検査をするしかない状況が生じてしまいました。
 先に述べた検査拡充が経済を守るためにも重要であった何よりの証拠です。
 それでも政府が検査重視に舵を切らないため、民間会社が安価に検査を受けられるシステムを投入し始めるが厚労省は協力態勢をとらず、ここで再び医師が必要とする検査のみvs保健所に認めてもらえない体調不良者や必要に迫られた検査もするべきという二つの考え方で分断が起きました。
 なぜ、政府の専門家会議やその後の分科会は頑なに社会的な検査を呼びかけなかったのでしょうか。クラスター対策さえやっていれば良いと拘った「専門家」達はあまりにも専門家としては知識や認識不足と言わざるを得ません。
 医師が診断のために必要とする検査と社会的検査、両方が必要であったのが今回の感染症の特徴です。

これもその必要性はsuna氏が丁寧な説明をされていました。 
 https://note.com/sunasaji/n/n2ce26d7d8a25

 どの様にしたら損失を少なくこの感染症に立ち向かえるのか、学術界からもTwitterの中でも試算してくれた方々がいらっしゃいます。そして大量検査を導入する事は一斉自粛のみに頼る政策よりも時間的にもコスト的にもメリットがあると結論づけています。

経済損失に関してはma_press氏の長いスレッド中にあります。(スレ34〜)
 https://twitter.com/ma_press/status/1346099520199790592?s=20
牧野氏の以下も参照されたい。
 https://twitter.com/jun_makino/status/1344546864297697281?s=20
 http://jun-makino.sakura.ne.jp/articles/corona/note009.html
参考文献
https://advances.sciencemag.org/content/7/1/eabd5393

(3) コロナ脳とコロナは風邪派
 新型コロナウィルスの流行は最初に大したことはない、検査も症状が出た人のみで良いといった言説が広まったために生んだ分断の様に思います。
 未知の感染症だから心配になる人がいるのは極普通のことであるのに、その様な人達を「コロナ脳」と揶揄する人達が出現し、コロナは風邪と思い込みたい集団が出現しました。
 海外でも見られた現象ですが、実際に罹患すると新型コロナウィルスはただの風邪(従来のコロナウィルス)とは全く違った、間違っていたと発信して亡くなる人まで出てきました。
 それでも、海外での事例を挙げると必ずと言っていいほど「日本では死亡者は少ない」「日本でのエビデンスを出せ」と言ってくる方々がコロナは風邪派から出てくる状態に。何を根拠に日本人だけは大丈夫だと思えるのでしょうか。確かに日本の感染状況は緩やかに増えてきたところで一度緊急事態宣言を発出したお陰で感染者は減りました。しかし、世界中で流行している感染症で同じヒトという生物が感染するわけですから日本人だけが特別なわけがありません。
(この時点で検査拡充と隔離保護を徹底して行えば、日本は感染拡大の封じ込めができたと考えます。)
 その後、もともと潔癖気味の国民性が幸いしたのか、国民の感染防止対策に頼りつつ感染爆発は防いできました。そのせいか、コロナは風邪派の方々の感染症法においても新型コロナは2類相当から外し、5類で良いなどという言説が増えていきました。そして政府は感染が終息したらと条件を出していたGoTo事業を始めてしまいます。分科会の尾身会長が「旅行では感染しない」と発言してしまう始末に… 秋から冬にかけてはGoToイートも始まり、国内での人々の流動は新型コロナなど無かったかのように増えました。コロナ脳と呼ばれた人達は常に慎重でGoTo事業にも反対し、危機感を募らせました。冬にはまた感染者増となることを警告していた方は医師や学者を含め大勢いましたが、GoTo事業の後押しもあり人々の流れは変わらずに感染者の数が再び増加し始めたのが11月です。その後は増加傾向が続き、年末年始を挟んでも減少することはなく医療崩壊が始まりました。 

(4) 新型コロナは存在しない?陰謀論 と学術
 一部の人達が新型コロナウィルスはそもそも存在しない、多くの人が騙されているだけだと言い出した。一種の陰謀論です。色々と不便な思いをさせられ、安心したい気持ちが暴走するのか、認めたくないのか、そういった発想にすがる人がいることもあるでしょう。
 しかし、さらに驚いたことは大学教授を含むあるグループが新型コロナウィルスの存在すら懐疑的な発言を始めたことです。新型コロナウィルスが本当に存在しているという証拠を出せ、と。日本の大学はこのような方々を野放しにしておくのでしょうか。
 学術的にも間違った発信をしておられる学者が何人もおり、それを信じて間違った解釈をされている市民がたくさんいます。彼らには世界で発表されている各種の報告や論文が読めないのでしょうか。では世界は何と戦っているのでしょうか。何故こんなに多くの方が亡くなっているのでしょうか。

(5) 大学のオンライン授業vs対面授業推進派
 感染拡大を懸念して2020年は春から各大学がオンライン授業へと切り替えました。
 急なカリキュラム編成やオンライン教材の準備で春は大学教員が苦労されたと思います。学生(特に下宿生)の通信量制限の問題などもあり、単に普段の講義をオンライン配信するわけにもいかず、オンラインに合わせた教材を作り直した方が多かったと思います。
 感染防止のためにキャンパスを閉じたところが多く、緊急事態宣言解除後もオンライン講義を続けたため、大学での感染報告は一部の部活動の寮生活や練習によるものに限られました。一方、小中高は緊急事態宣言解除後に学校を再開。オンライン授業を提供できる準備ができていないというのが最大の理由だったと思います。
 そして、ここでまた分断が起きました。
 秋になってもオンラインを続けるか否か、対面授業を大学が行わないことに対して学生や保護者からキャンパスを開けろという声が上がり始めたのです。夏はちょうど春の自粛明けから再び感染者数が増えてきた時期でした。市中感染の拡大に自粛やオンライン疲れの方々も増加してきました。海外でも一向に収まらない国では不満が噴出し始めていました。夏休み、バカンスといったことも影響したかもしれません。
 日本では政府が感染収束したらという条件をつけていたはずのGoToトラベル事業を前倒しにした事で、さらに学生や保護者の一部ではその状況で大学がキャンパスを開けないのはおかしいという論調が強まりました。
 確かに大学だけが慎重であることは日本では「浮いた」ことだったのでしょう。
 オンライン授業の内容に不満がある講義もあったため、授業料返還を求める声も上がりました。これは本来の提供するはずの学びが得られないということで米国でも聞かれました。しかし、Twitterなどの不特定多数のSNSで全大学を一緒くたに批判することだったのでしょうか。それぞれが各所属大学と交渉することであり、不満の程度もそれぞれのケースで異なる事象を一緒に議論することは難しいことです。
 非常事態の中でただキャンパスを閉めるだけではなく、大学はオンラインで講義を継続したことをそこまで責められることだったのでしょうか。
 小中高はやっているのに、社会人も出勤しているのに、といった言説が多く見られましたが、小中高も本来なら感染防御を第一に考えるのであればオンラインにしたかったでしょうし、社会人にも政府はリモートワークの推進を訴えていました。個人的に感じたことは大学がこのまま多くの人数を一堂に集めることは危険であると判断し、オンラインを継続したところが多かったということです。大学には各分野の専門家が在籍しており、学内では十分に話し合われたはずです。
 昨年入学の新入生にとっては確かに試練だったと思います。オンラインで全てが進んでいる中で孤独感を感じた学生も多くいたと思います。オンライン対応のために鬱になったらどうするのだ、鬱になってしまったではないかとの意見も見られました。それはそれで問題です。大学や保護者が適切な対応を取るべきでしょう。しかし、だからといって対面授業を迫ることは解決法ではありません。もう何年も前から新入生が鬱になる人数が多いことは問題視されてきたことであり、コロナ禍のオンライン講義のせいだけではないと考えられるからです。
 大学での学びは高校までの学びからガラッと変わります。それまで手取り足取りだった環境からポーンと放り出されることには変わりありません。そして大学というものを勘違いしている方が 多い様に感じます。大学は高校までと異なり、こなさなければならない課程が固定されているわけでもなく、専門的に学びを深めたい人が学ぶ所です。 それは自身で主体的に学び、教員はその手助けをしているに過ぎないのです。教科書に書いてあることだけを学ぶのであれば、それは1人でもいくらでもできます。大学では教科書の先をやる事に意味があるのです。 真面目に授業に出席さえしていれば良いわけでもなく、自らが考え、問題点を見つけながら学ぶ場所です。

https://twitter.com/rPSHBICmzHESsUy/status/1345196026035015682?s=20
https://twitter.com/rPSHBICmzHESsUy/status/1345196027515600896?s=20

 よって授業料や施設費に関する不満は大学ごとに学生と議論するべき問題だと思います。履修した講義に不満があるなら、直接教員に伝えるべきです。そして話が通じないのであれば別の教員に相談すれば良いのです。大学生ともなれば、それくらいは親が出てこなくても学生自身にしてほしいところです。

https://twitter.com/rPSHBICmzHESsUy/status/1345196030581587969?s=20
 授業料や施設費の問題は各大学とその学生ごとに交渉すれば良い。 しかし、大学の学びを全て受け身で主張するのは違和感があります。 オンラインになった事で時間を有効活用している学生は沢山います。

 以上、様々な分断が見られるが全ての根幹にあるのは論理的思考力の問題ではないかと考えます。
 問題となっていることの一番の原因は何か、それを解決するためには何をどうすれば良いのか。問題解決能力を高めるには論理的思考が不可欠です。
感染拡大を抑制するには何が重要なのか、感染症の特徴は何か、コストに見合う結果が得られるか、データは正確に読み取れているか、情報は集められているのか、困っている人達に寄り添うには何が必要なのか、それで解決するのか、などを今一度考えてみて頂きたい。

 またコロナ禍でTwitterの世界をよく覗くようになった者として、論理的に考えられない方がここまで学術界にもおられると知ったことは非常に驚くと同時に日本の学術界はこのままで大丈夫なのかと危惧します。

 最後に、危機管理において重要なことは常に最悪の場合を想定して対策を取ることです。結果として過剰な防御で大丈夫だった時よりも無策でダメだった時の方が非常に辛い結果が待っています。

https://twitter.com/rPSHBICmzHESsUy/status/1347672479855042560?s=20
論理的に物事を考える、 確固とした自分を持つ、 この2つは義務教育の中で育んで欲しい。 今の日本の教育ではそれが欠けているのでは。 いくら算数や数学の問題が解けても、いくら暗記力がよくて成績が良くても、 それだけでは社会では生きていけない。 習ったことの関係性を繋げられないと。

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