【エッセイ】noteのつづけ方はわからないけれど
あ、短歌ってこういうのも、ありなんだー。
俵万智さんの、この短歌を始めて見た時、そう思った記憶がある。
日常の誰もが、そうそうと思う当たり前のこと。
なのに、とても愛おしい。
すみません、今パクりました。超劣化コピーしました。もうしません🙇
「ただいま」、そう言わなくなってから、随分と時間がたったような気がする。
口を開いて言葉を発する回数も減った。数えたら両手で十分なのかもしれない。
だからなのだろう。始めてはやめて、また別のSNSで始めてはやめるを、性懲りもなくくり返しブログを続けている。そして今はnoteをしている。
愚にもつかない、誰得だよと言われそうなことばかりを書き続けているのは、「ただいま」と、ただそのひとことを言いたかっただけのかも知れない、たぶん。(ひとことの割に文字数多いな、自分。と自分にツッコミをいれてしまうけれど)
だから今までのブログではコメント機能をOFFにしていた。スキの機能もなかったから(あったかもしれないが目にはいってなかった)、どれだけ読まれたかとか反応はまったく気にしてなかった。
ただ書ければそれで充分だった。
正直に言えば、noteのスキ機能は最初ちょっと煩わしかった。
気にしてないとはいうもののスキがゼロだと、誰もいないのに「ただいま」といっている現実を突きつけられる気がした。
でもそのおかげで、十分すぎるほどの「おかえり」をもらえた。
とはいえ、あまり多過ぎると(ボクは二けたになると多いと思うのだ)、いやそこまでな内容ちゃうしと思ってしまう。基本、めんどくさい人間なのだ。
コメント欄を閉じる機能がある(らしい)のを、気づかなかった。
気づいていたら最初から閉じていたと思う。基本取扱説明書を熟読しないうっかりさんタイプなのだ。
他の方の投稿にコメントをすることもnoteが初めてだった。それまでのブログは読む専門だった。うかつにコメントすると、スカスカなヤツであることが見透かされそうで怖かったのだ。
洒落たコメントが浮かばす、スキでおわっていることが今でも圧倒的に多いけれど。
たまにコメントをすると、内容の無い凡コメントなのに、ありがとうと言ってくれたり、真摯にまたは気さくに返して頂いた。
最初は戸惑ったりもした。いや、今もあまり変わってないかも知れない。
なんだかんだあって、未だに、レベル1の初心者でnoteを続けている。
『noteのつづけ方』は正直よくわからない。
ボクもいつかやめる日がきっとくるだろうから。その理由はなにかはわからないけれど。
ただ、『ただいま』という言葉が自然に口から出るのだとしたら、そんな感覚でnoteやSNSを続けられるのかもしれない、と思う。
何も書くことがなくても、『ただいま』のその一言を聞きたいと思っている人がいるのかも知れないのだから。
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