『奥の枝道 其の三 山口・萩編 レキジョークル』読後感想

『奥の枝道 其の三  山口・萩編』 (なぜかアマゾンのリンクでは遍と表示されてしまいますが)を読ませていただきましたので、読後感想みたいなものを。

其の一、其の二同様に、わかりやすく歴史を紹介しながら、過去へ、そして未来へと思いを馳せられています。(時にそれは歴史に対する問いかけであり、時にそれは歴史を生きた先人へのほとばしる想いであり、時にそれは安堵のため息であり、今を生きる人々に対する願いであったりするようにもボクには思えます)

其の三は、幕末・維新を大河の流れに例えるのであれば、その水源のひとつともいえる、幕末の思想家・吉田松陰ならびにそのゆかりの人々が過ごした山口県萩市をメインに、約260年近く続いた江戸時代を変革する原動力となりえたのかを確認する旅だったのではないでしょうか。

日本にはいくつもの激動期がありますが、幕末維新はその中でもトップクラスのものでした。一歩間違えればその後の国家のあり様が変わっていてもおかしくない時代です。

戦国時代の日本国内の「国盗り」とは異なり、幕末・維新の時代、欧米列強とも対峙しながら、「国盗り」ではなく、全く新しい「国づくり」をしなければなりませんでした。

その過程で、それまでに日本人が持ちえなかった「国家観」が生まれていった時代でもありました。

ゆえに、『奥の枝道 其の三  山口・萩編』は、著者である千世さんの想いの密度がさらに濃くなっているように感じます。

そして驚くことに、わずか1泊2日という限られた時間の中で、この密度の濃い紀行文が成立しているということです。

山頭火の俳句(?)の破綻した生涯に対する母としての感想や萩焼きから始まり、松陰神社(移設された松下村塾)~伊藤博文別邸~玉木文之進旧宅~東光寺~松陰の生家(杉家跡地)を回りながら、それらにまつわる歴史を人物・エピソードを交えて説明してくれています。
(もちろん地元のグルメ情報も盛り込まれています)

翌日も、萩城跡で、新しい文化に適合する半面古きよきものを否定してしまう日本人の気質に苦言を呈し、「花燃ゆ・大河ドラマ館」での展示にハマり、そして明倫館で久坂玄瑞像にであい、その早すぎた死を悼みます。
(久坂玄瑞はその才能を十分に発揮できずに亡くなりましたが、西郷隆盛が維新後に『久坂玄瑞さんが生きていたら、私ごときは参議などと大きな顔をしていられません』と言ったというエピソードもあるほどの英才なのです)

そして維新の三英傑の一人、木戸孝允(桂小五郎)~維新はここから始まったといわれる功山寺挙兵を決行した高杉晋作~四境戦争(ここで大村益次郎がようやく歴史の表舞台に本格的に出てくるのです)と続き、意外にも大坂がルーツの豪商菊谷、勤王の志士たちのスポンサー的役割をになった商人白石正一郎に思いを馳せ、そして萩博物館をまわり、草莽崛起(そうもうくっき)の思想をはぐくんだ山口県萩市を巡る旅は、秋芳洞を巡って、終わりを告げます。

大河ドラマでは、ややもすれば、主人公とその家族との絆に主軸がおかれた家族ドラマ的要素が強くなり(それが決して悪いわけではありませんが)、あまたの登場人物たちの、どうすれば今よりもよい社会ができるかという事を、いかに考え、どう行動し、その結果が現在にどのような形で繋がっているか、ということが分かりにくくなってしまい、今とは隔絶した過去にあった話として受け止めらてしまうケースがあるように思えます。

歴史は途切れることなく続いており、本人が望んでいないにも関わらず、30歳にも満たない生涯を終えることとなったひとりの青年の思想が、多くの人へと引き継がれ、閉塞感のある社会を180度変える原動力になっていったのかを確認する旅について、ボクがどうこう書くよりも、実際に読んでいただいた方が、確実に作者である千世さんの想いが伝わるはずですので、ぜひ読んでいただければと思います。

作家・司馬遼太郎氏が書いた長州の軍略家、大村益次郎(村田蔵六)を主人公にした小説「花神」は、NHKで大河ドラマ化されましたが、ドラマ化においては吉田松陰と高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・井上馨・山縣有朋・木戸孝允など松下村塾にかかわる人々を描いた作品『世に棲む日々』もドラマに組み込まれて映像化されています。
あくまでもドラマですので、史実とは異なる描写も多々ありますが、防長二州の幕末・維新回天史ともいえる、大河ドラマでもボクの好きな作品のひとつです。

とりわけ、最初のナレーション(これは司馬氏が書いたものかどうかは不明ですが)が特に秀逸なのでここに記させていただきます。

一人の男がいる。

歴史が彼を必要としたとき忽然と現れ、その使命が終わると大急ぎで去った。

もし、維新というものが正義であるとしたら、彼の役目は津々浦々の枯木にその花を咲かせてまわることであった。

中国では花咲爺のことを花神という。

彼は花神の仕事を背負ったのかもしれない。

彼、村田蔵六、後の大村益次郎である。
NHK大河ドラマ『花神』OPナレーション

ナレーションでは、主人公の大村益次郎を花神としていますが、吉田松陰も高杉晋作も久坂玄瑞も、そしてこころならずも賊軍の烙印を押されてしまった人々も含め、あの時代を駆け抜けた人々はみな「花神」と呼ぶべき人たちだったのかもしれません。
現在、彼らが願った花は、願い通りに咲いたのか、それともまだ咲いていないのか、改めて考えることを、ボクたちは歴史に促されているのかもしれません。


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