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小説・Bakumatsu negotiators=和親条約編=(2)~交渉1日目~(2089文字)

※ご注意※
これは史実をベースにした小説であり、引用を除く大部分はフィクションです。あらかじめご注意ください。


1854年1月18日
最初の日本とロシアの交渉が、長崎奉行所の西役所で行われました。
日本とロシアの出席者について、ゴンチャローフがその著書『日本渡航記』に以下のように記載していますので人名を一部記載します。

日本国全権委員
  筒井備前守、川路左衛門尉、荒尾土佐守、古賀謹一郎
 日本側通詞
  西吉兵衛、森山栄之助、箕作阮甫
 
ロシア国全権委員
   プチャーチン海軍中将
 随員(通訳官)
   ポシェート海軍少佐
 秘書官
   ゴンチャローフ
 通訳官
   ゴシケーヴィッチ

『ゴンチャローフ日本渡航記』より

そして再度、参考に、過去に書いたものを引用します。
長崎に来航したプチャーチンが持参した、徳川幕府あての国書の内容は以下の通りです。

ロシアが要求することは、二つあります。

一つは、日本との国境画定です。
この問題は両国において深刻なものであるため、少しでも早く画定するべきでしょう。

二つ目は両国の間で交易を開始することです。
ロシア船がカムチャッカやアメリカのロシア領に往来する途中、日本の港に寄港するので、食料や物資の供給を願います。

ロシアは日本の隣国であり、平和的に両国の利益について話し合うことは他国に比べて当然でしょう

匂坂ゆり 「川路 聖謨とプチャーチン」より

これに対して、徳川幕府からの正式な返答が、全権団が長崎へと出立した後に出されており、この日の交渉の数日前にプチャーチンや全権団は受け取っています。その内容は以下のようなものです。

国境確定については、ロシア側が不明確だというのなら、辺土の藩に細かく調べさせ、双方から役人が出て、相談して決めよう。
そのさい、図面や書付などを見て、しっかりと証拠をそろえて間違いのないようにしなければならない。だからなかなかただちには片付けられない。

交易の件は祖宗の違法で禁じられている。
ただし現今の情勢では貿易の風は日増しに強まっているので、古例によって今事を律することはできない。
さきごろ合衆国も交易を求めてきた。
列国がくれば、我が国の一国の力は尽きてしまう。
君主が交代するときなので、変わることは多い。
この点は京都にも奏上しなければならず、列侯にも諮問しなければならない。
三、五年はかかるだろう。あまりに引き延ばすと思われるかもしれないが、待って欲しい。

尚、交渉は、それぞれの通訳(通詞)によって、オランダ語に訳されて、行われました。

「交渉を始めるに先立ち、確認させていただきたい」
プチャーチンが切り出します。
「この交渉の目的は日本とロシアの国境の設定と通商開始にあること。そして私はこの交渉に関して全権を委任されている。日本国全権であるあなた方も同様であると理解してよろしいか?」

「先日、プチャーチン提督が受け取られた返書の範囲内で。その範囲を超えることはできません」
と、川路 聖謨かわじ としあきらが答えます。
日本国全権は4名いますが、実質、交渉の発言は川路 聖謨かわじ としあきらが行うこととなっていました。

プチャーチンは頷き、言います。
「では、さっそく両国の通商の条件について話し合いをしましょう」

日本全権の全員が驚きます。条件もなにも日本国は通商を行うとは返書に書かれていないのです。

「待っていただきたい、プチャーチン提督。我が国はロシア国と通商を行うとは返答しておりません」
川路 聖謨かわじ としあきらが慌てて返答します。

「返書には『ただし現今の情勢では貿易の風は日増しに強まっているので、古例によって今事を律することはできない。』と書かれています。これは鎖国の方針を改め、通商を開始するという意志の表明ではありませんか」

「プチャーチン提督、それは誤解です。返書の意味は、将軍没後まだ日も浅く、また幕府だけですぐに決めることはできないので、通商するかしないのか、回答するには三、五年の猶予をいただきたいというものです。通商を始めると回答はしておりません」

「返答だけで三、五年の猶予を?一、二か月待てというならまだしも、三、五年とは、到底受け入れられません。再考していただきたい」

川路 聖謨かわじ としあきらは、その要望に沈黙で答えました。
条件付きとはいえ、ロシアとの通商に賛成派であった川路 聖謨かわじ としあきらですが、幕府の全権団としての立場上、一切の言質を与えるわけにはいきません。

これ以上、通商についての交渉は無理かと思ったプチャーチンは国境設定へと話を進めます。以下、資料より引用します。

プチャーチンは樺太の南は日本の所有であるが、北方および中部はロシアの所領である、という見解を示した。またエトロフ島の領有についての審議の必要性を示した。

「開国と条約締結」麓 慎一著

これに対して川路 聖謨かわじ としあきらはエトロフ全島の所有は日本にあることを主張しましたが、プチャーチンも譲らず、交渉一日目は何も決まらずに終わりを迎え、2日後に2回目の交渉を行うことになったのでした。
(続く)


引用・参考文献




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