村山槐多と江戸川乱歩

Hello world,はーぼです。

ボクは絵画について全くと言っていいほど知識がないのですが、こちらで取り上げられている芸術家「村山槐多」の名を、ミステリー史の論評で再び目にすることになりました。

正確に言うと、推理小説評論家、中島河太郎氏の著書「日本推理小説史」第1巻の中で、「村山槐多」について触れられていることに気づいたのです。

中島河太郎氏が、「村山槐多の怪奇小説」というタイトルの章で以下のように書いています。

 乱歩邸を訪れて応接間に通されるたびに、目を惹きつけられるのが、向かい合った二人の少年を描いた二十号ほどの絵である。田舎家のダリヤや月見草をまじえた雑草のある庭が背景になっていて、縁側に十二、三歳くらいの少年の腰から上が画面に一杯に写されている。

 乱歩が昭和八年の夏、生まれてはじめて洋風の書斎を使用するようになったとき、壁に掛けたいとおもったのは、村山槐多の絵であった。
「同じ絵を懸けるなら、ほかのどんな優れた作家よりも、村山槐多こそ好ましかった」ので、出不精の彼がたびたび出かけて、入手に奔走した。結局、松野一夫を介して、槐多の画友であった長島の世話で、ようやく念願が叶えられた。それがいまもこの部屋を飾っているのである。

 この絵は槐多の十九歳の作だから、初期のものだが、「絵の巧拙はともあれ、その特殊な画題と、画面ににじみ出ている幾多の人間と思想と」が、彼をいたく喜ばせた。
(略)
乱歩が
槐多に惹かれたのは、少年賛美の詩歌や画を残した特異な画家であったことと、もう一つは大正初期に怪奇小説の三篇を執筆したことに依る。

そして「村山槐多」が雑誌『武侠世界』に発表した三篇の怪奇小説の内容の紹介をしています。
(あらすじの紹介ですが、それでもボクにとっては結構怖いです^^;)

そして、最後に河太郎氏はこう締めくくられています。

半人半獣のような存在は、この種の雑誌所蔵の小説ではもの珍しくないが、槐多の場合は一人称を用いて、怪人との遭遇に現実味を付与しようと心掛けている。粗削りのものではあるが、芸術的意図のにじみ出た怪奇小説の先駆的作品として、注目に値する。

阪急鉄道の創始者、小林一三氏が学生時代に書いた、実際にあった事件を題材にした犯罪小説について調べていたら、思いがけず「村山槐多」の名を再び目にしたのでした。

ではでは。最後までお読みいただきありがとうございます。
See you next time,はーぼでした。

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