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[読書感想]『たらしの城』著:佐々木功(1497文字)

多く人が結末まで知っているであろう歴史の物語をテーマに小説を書く──。

そのことだけで、既に高いハードルが設定されていると言えるのではないでしょうか。

例えば、忠臣蔵しかり。例えば、四谷怪談しかり。

そのため、いかに切り口を変えて書くか、斬新な新解釈で書くか等が作者に求められることになります。

しかし、あえてそれをせずにー。
誰もが知っている歴史の物語、豊臣秀吉の木下藤吉郎時代の一番手柄、『墨俣一夜城』の物語を、真正面から取り組み、誰もが持つであろう藤吉郎のイメージを損なうことなく、まるで講談を聴いているかのような心地よいテンポで、一気に読ませてくれる作品が、この『たらしの城』です。

作品タイトル『たらしの城』の、「たらし」とは、『人たらし』のことです。
この言葉には悪い意味もありますが、ここでは良い方の意味、『周囲の人たちから好感を持たれる人物』すなわち、木下藤吉郎のこととして使われていると思います。

物語の初め。
木下藤吉郎は名目上の足軽組頭とはいうものの、戦働きで武功をあげたわけでもなく、ただひたすらに薪奉行などの雑事に近いことを、工夫をこらしながら懸命に役目を務める存在にすぎません。
藤吉郎の周りには、弟の小一郎、妻のねね、親友の前田利家ぐらいしか味方のいない状況です。

藤吉郎が仕える織田家当主の信長は、今川義元を討ち取り頭角を現すも、美濃攻略に手を焼いている状態。
なんとか美濃攻略の手立てはないものかと考える藤吉郎が思いついたアイデアに、たまたま出会った若者がさらに知恵を授けます。

美濃と尾張を分ける木曽川の墨俣(すのまた)に、城を築けばよいと。

ちょうど川が交わる辺りがやや高く、砦として最適です。あそこを拠点とすれば、稲葉山城の喉元に刃をつきつけるようなもの。
木曽川を渡って、砦を、いや城を築き、絶えず洲の俣に兵を置く。それがなせれば、美濃の力を分断することもできます

でもそれは言うは易しの机上の理屈。
それを実際に行うために必要なものが、足軽組頭の藤吉郎には、まるでないのです。

それでもへこたれない藤吉郎は、しゃにむに動き出します。
木曽川の川筋衆、前野将右衛門を口説き、信長嫌いの蜂須賀小六を仲間に引き入れるその過程は、決して平たんな道のりではなく、挫折と再起(と妻のねねの励まし)の物語。

そしてようやく始まった墨俣城築城。
当初から築城を言いつけられていた織田家家臣の佐々成政と佐久間重盛との間で微妙な空気を漂わせながらも、築城を進める川筋衆と、それを阻止せんと襲い掛かる美濃勢との攻防戦は、物語のクライマックスです。

しかし、その最中に犬山城主 織田信清が謀反を起こし、それに呼応して、美濃の斎藤竜興が8千の兵を率いて墨俣に押し寄せて来るという、絶体絶命のピンチに陥り、藤吉郎は最後の決断をします──。

誰もが知っている歴史の物語を、最後まで一気に読ませる要因は、物語のテンポの良さに加えて、主要登場人物の誰一人として、嫌味なキャラクターがいない、ということもあるのではないでしょうか。

本来であれば、織田家家中の武士であることを鼻にかけ、嫌な奴として描かれてもおかしくない佐々成政と佐久間重盛にも、芝居で言えば見栄をきるかのような、さわやかな見せ場をつくる作者の心配りが鮮やかです。

よくよく考えれば、ビジネスでも、アイデアを思いつく→上司にプレゼン→実施の決済を得る→一緒に手伝ってくれる仲間を集める→プロジェクトを実行する、という流れだろうと思いますので、そういう点で共感できる人はいるかも知れませんね😅

エピローグも心地よい幕切れで、久しぶりに読んだ、痛快娯楽時代小説でした😆。

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