見出し画像

「奥の枝道 其の四 京都・幕末編 レキジョークル」読後感想

『奥の枝道 其の四 京都・幕末編』 がアマゾンにて発表されました。
シリーズ 4作目は「京都・幕末編」、日本史中でも、戦国時代に並んで数多くドラマ化される激動の時代・幕末の舞台、『京都』への歴史紀行です。

さっそくDLし、読ませていただきましたので、読後感想めいたものなどを書かせていただきます。

ページをめくると最初の目に入ってくるのは松尾芭蕉の鴨川の河原で行われる「納涼会」を詠った俳句。
『奥の枝道 其の二』以降、芭蕉の句とその解説がつづられ、それが本編へと誘う扉の役割をはたしているように思えます。

幕末は戦国時代と並び数多くドラマ化される時代と書きましたが、その舞台の一つである『京都』は、多くの英傑・風雲児たちが集い、陰謀と流血の舞台となります。いくつもの大きなエピソードがあり、主要なものだけであってもそれらを網羅するととんでもない文量になることでしょう。

しかしながら、『奥の枝道』シリーズは、歴女のみなさんが(今回はお二人となりますが)、名所等を訪れて、歴史に想いを馳せながらも、時には食事に舌鼓をうち、時にはハプニングに大笑いをしながら綴られる紀行文です。

肩肘をはらずに気軽に読み、歴史書から知る京都ではなく、現地に行かなければ知ることがなかっただろう京都の一面を、写真と文章で感じることのできる内容となっています。

歴史初心者向けと言いながらも、最初に『島原』に焦点を合わせ、詳細な解説がでてきます。幕末、島原はそういう所があったのかー程度しか知らなかったボクには、実に興味深いというか、初めて知ることが多くありました。

そして、そこから新選組の有名な内部抗争である芹沢鴨暗殺へと話は進み、ランチタイムと「よーじやカフェ」でのちょっとしたお遊びも加えて、靴が使えなくなるというハプニングに遭遇しながらも、こんな美味しいハプニングを写真に撮れていないことを嘆くくだりは、いかにも大阪人らしくあり、こういうエピソードを決してカットしないところが、このシリーズの特徴でもあり、魅力ではないかと思います。

太平の世において死への美学にまで高めた武士道が、西洋の騎士道精神に比べて欠如しているのが、社会・民衆への奉仕精神(ノーブレス・オブリージュ)ではないかと、かねてから思っていたのですが、かっての日本人は決してそうではなく、京都にも角倉了以親子のような(武士ではありませんが)、私財を投じて京都の命脈を保った人がいたことの紹介を欠かさないところもまた、本シリーズの特筆すべき視点だと思います。

歴史とは明らかになっている(または通説して言われている)事実があり、その水面下には解明されることはないだろう無数の真実があります。

ゆえに歴史小説家は虚実を織り交ぜた物語を創造します。
しかし、それはあくまでも虚実であって、真実ではないのです。

歴史の真実は、たかだが150年程度前のことであっても永遠にわからない、もしくは真実そのものが存在しない、そういったものなのかもしれません。

それでも、佐幕側であった新選組という組織はなんだったのか、倒幕側であった坂本龍馬の虚実、尊王でありながらも賊軍の汚名を着せられた会津の人々へと、作者である千世さんは想いを馳せていきます。

詳しくは実際に読んでいただければと思いますが、時には熱くなりながらも、歴史は勝者が塗り替えるものというある種、理不尽ともいえる事実を受けとめ、それでもなお、塗り替えられる前の歴史を知りたいと思う気持ちはやはり歴史を愛する人、共通のものではないかと思います。

そして、歴史を知ろうとすることや、気兼ねする必要がない者同志で旅に出て、現地の風景を体感すること、美味しいものに舌鼓を打つこと等々が、人生に新たな彩りを与えてくれることを共感していただけるのではないかと思います。
(まぁ、引きこもり体質のボクが言っても、説得力ゼロですが💦)

長々と、とりとめなく書きましたが(本当はもっと書きたかったのですが)、気がつけば、1800文字を大幅に越えてしまいました。
そろそろ退散しようと思います。

歴史の通説は永遠不変の法則ではありません。いつか変わる時がくるかもしれません。
同様に人それぞれが持つ歴史観や人生観もまた、知識や体験を経て、変わっていきます。
でもそれは、歴史を知ろうとすることで得られるもののひとつであり、人生に不必要なものだとは決して思っていません。
 
ともあれ、難しいことはさておき、肩肘張らずに、人生を楽しむ冴えた方法のひとつを実践されている紀行文として、楽しんでいただければと思います。



この記事が参加している募集

#日本史がすき

7,275件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?