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Jan-2021 からだ期のあたまをうごかす

何日かのうちに呪術廻戦、BEASTERS、グッド・オーメンズを一区切りするところまで見る。手をつけては別のところに行って中途半端なところで放置していた。放置しているうちはそれが気になるけれど、最後まで終えると作品にふれたことや感じたことを忘れそうで困る。最後まで見ようとしている時は、探索をする脳の領野も休んでいる感じがして、本当にすべきことを放置しているような不安感がある。思想書とBEASTERSを同じフォルダに入れているから困るのであって、そのあたりは分けるとよいのだと思う。もっと気楽な娯楽としてはYoutubeがある(上級騎士なるにいの解説動画とか)。ここにも海外ジャグラーの集中して鑑賞したい動画が紛れ込んでいて、気になる。フィンランド語とTOEICの勉強を日課にするための手続きに窮している。目覚めに対する潔癖さが行動可能時間を減らす。行動できている時間の安定感は、ある。日記を書くことも日課にしようとしていた、と思い出す。noteに書こうとするとGoodNotesに書こうとするのとは異なる、書くことを強いる力がある。手書きとパッチワークを中心とした日記の方が良い可能性だってある。それなりに幅広いはずの関心をひとつなぎに表現するための媒体として日記を選んだけれど、悪手なのかも。聞いたことと考えたことがごちゃまぜになった小説の方がいい可能性だってある。一番書きたかったアネマリー・モル、Coucouのオープンクリエイション、Anni Küpperの新しいアクトについて書きたかったことだって、書いている私から見て遠くにある感じがする。近所の人から譲ってもらった家具でつくった部屋のなかで、前の家から持ってきたデスクだけが浮いている。そこがいまの仕事と鑑賞の中心だ。日課のジャグリングをしていたら絵に描いたような逆さ虹が見えた。曇りの日に聴くJFDRはいつだってよいものだ。たとえそれが画面の中のマウンテン・ノット・シティのものであっても。

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