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千奈ちゃん事件
おととし9月、静岡県牧之原市の認定こども園で、当時3歳の女の子が通園バスの車内に置き去りにされ、重度の熱中症で亡くなった事件
自分の子どもが被害に遭ったらと思うと
なんて言葉を使うのも当事者からしたら失礼なことなのだろうか
裁判官判決言い渡し後の言葉がこちら
千奈ちゃんは教訓のために生まれたのではありません。
私たちは子どもの命を守る大切さを自覚しなければなりません。
今回その当たり前のことができなかった。
子どもの命の大切さをふと忘れてしまったとき事件が起きるのです。
千奈ちゃんが生きていた意味子どもを守る大切さを考えなければいけない。
事件を教訓に対策をするなんて軽々しく言葉にするものではないと思わされた
子どもは親を幸せにするためや自身の幸せのために生きている
誰一人として教訓のために生きているわけではない
被害者遺族は辛いことのはずなのになぜ戦うのか
生きていた証を残すため?
事件を風化させずに忘れ去られないため?
遺された人も何が正解か葛藤があるはず
その気持ちを安易に推測することはできず
一他人である私は一つ一つの言葉を受け止めて
命の大切さを考え子どもに確実に伝えていきたいと思う
それが親の務めだと思う
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