見出し画像

【54冊目】青い脂 / ウラジーミル・ソローキン

6月です。
本日14時-24時半です。

怪我による休業から復帰して半月が経過したわけなんですがね。まだ半月か、という気もしますが、なんならフードの提供も再開してからとなるとわずか10日しか経っていない。嘘でしょ、など思う。怪我による休業がおよそ一月半だったことを考えると、10日なんていうのはすごく短く、あっという間に過ぎてもいいようなものなのに、何故だかすごく長く感じる。1日の濃度が濃くなったのかな、など思うわけなんですがね。そんな日々の濃淡をつけるのに大切な当店月初のお決まりといえば、そう、ウィグタウン読書部ですね。

というわけで、先月の課題図書はウラジーミル・ソローキン『青い脂』。凄まじい作品でしたね。読む前は、もっとキワモノ的な作品なのかな、など思っていたのですが、読んでみると意欲的な実験や示唆に富んだ表現、ラブクラフト的な「超宇宙的脳髄」にまで発展する想像力の限界に至るまで凄まじい筆力で書かれており、読んでいる間も読み終わってからも、ずっと「すごい作品だな」と思ってましたね。意味が分からないシーンや意味の分からない単語、意図的なシーンの断絶(シーンAからシーンBに行くまでの間に唐突にシーン壱が挿入される)、実際の歴史の改変や引用も積極的に行われて、読んでいると大変混乱する。それでも読まされてしまうのは、ソローキンの知的な実験に私も関わってみたいと思うからで、願わくば全ての引用元をあたってみたくもなるものだが、そんなことは一朝一夕では到底かなわないような出典の多さである。言語的にも複雑で、ロシア語を基本に、英語、ドイツ語、フランス語、そして中国語が混ざる文章に加え、実際には存在しない「新ロシア語」も使用されおり、まぁ、なんというか、よく翻訳しましたよね。訳者あとがきによる解説ではその辺りの苦労も書かれており、なんというか、文学研究の凄みと、そしてそれだけの熱意を捧げるに値する「すごい作品」だと思いました。いやはや大変でしたよ。例によってここからは【ネタバレ注意!】となりますので、どうぞその点ご留意くださいませ。

さて。
まず物語は2068年のとある研究所から始まる。ボリスと名乗る人物が、誰かに送るための手紙という形式でスタートをするのだが、のっけから訳の分からない文章が全開である。例えば冒頭の一節を引用してみると〈やぁ、お前(ルビ:モン・プティ)。私の重たい坊や、優しいごろつきくん、神々しく忌まわしいトップ=ディレクトよ。お前のことを思い出すのは地獄の苦しみだ、リプス*1・老外(ルビ:ラオワイ(よそ者))、それは文字通り重い(傍点)のだ。しかも危険なことだ——眠りにとって、Lハーモニー*2にとって、原形質にとって、五蘊にとって、私のV2*3にとって〉という具合で、一文だけとってもルビや注釈がとても多い。ではその注釈の部分に何が書かれているのかを見てみると、例えば*2の〈Lハーモニー〉という単語の注釈には〈生物や物質が持つシュナイダー野の平衡度〉とある。「シュナイダー野の?平衡度?」みたいな感じで次の注釈である*3〈V2〉という単語を見てみると〈ヴェイデの女性度の指標〉とあり、やはり「ヴェイデの?女性度??」みたいな感じになる。この調子で、注釈自体を追っても意味が全然分からずに、不安はいや増すばかりなのである。仕方がないので意味が分からないまま読んでいくと今度はナボコフ7号、ドストエフスキー2号、トルストイ4号といった7体の文学クローンが現れ、それらが執筆を終えた後にのみ体内から取り出すことができる物質「青い脂」を集める研究が進められているようである。まるで意味が分からない。その青い脂がなんなのか、文学クローンによる執筆がなぜ青い脂を産むのか、そうした疑問はそのままに、それぞれの文学クローンが執筆した作品が作中作としてどんどん紹介されていく。作品自体は、さながらチャットGPTにそれぞれの作家の作品を学習させて出力した新作といった趣きがあり、文体模写などもおそらくは行われているのだろうけれど、ところどころで文章がバグったり針飛びしたりしている箇所などもあり、この辺りも生成AIっぽいなと思いましたね。それぞれの作家のテーマや文体を模写し、おそらくは現代的な皮肉なども加えた作中作が問答無用に7作分挿入されるのであるが、これらはもちろん元ネタを咀嚼しきってからこそ真髄を楽しむことができる一種のパロディであり、元ネタを知らない私にとってそれは、まるで知らない言語で書かれたコントのようなもので、いやはやなかなか読むのが辛かった。ただでさえ文学クローンの文章は所々が破綻しているのに加えて、やはりこの作中作にも膨大な注釈・引用がついており、まぁそのおかげで無学な私にも「この箇所はこの作家のこの作品のパロディになってるんだな」みたいなことを知ることは叶うのだけれど、かといって内容についていけるかというとそんなことはなく、なんとなく文字面を追って、なんとなく不穏で下品なムードのある作品を読んだ、みたいな感想で終わってしまうのはちょっと勿体ない気もしましたね。しかし「文学クローンが執筆を終えた時に生成される青い脂の収集が目的である」ことを知らしめるのであれば、はっきりいって7作も作中作を挿入する必要はないわけで、それを敢えて7作も、しかもそれぞれ違う作家の作品という体で放り込んでいるあたり、作者の異常な文学への愛情と憎悪を感じましたね。ノリノリでやってんな、って感じですよね。
そのノリノリな部分は、文学クローンを扱っている研究所の面々のやりとりにも感じられる。例えばある日の研究所。この日は彼らの〈青脂3計画〉の〈プロセスがプラス=ディレクトに蓄積段階に入った〉ことで〈透明に休息する完全なるL権利(ルビ:ブラーヴォ)〉を有していることを祝って、カクテルパーティが催されることになる。最初にカクテル作りを命じられた大佐の作ったカクテルこそ〈ウイスキーとレモンジュースを注ぎ込み、ガムシロップを足し〉た、至極常識的な〈WHISKY SOUR〉だったものの、次にカクテル作りを買って出たボチワールの作ったカクテルは〈お好みのウォッカ1オンス、お好みのジン1オンス、お好みのウイスキー1オンス、お好みのコニャック1オンス、お好みのテキーラ1オンス、お好みのグラッパ1オンス〉という〈昨日沸かした茶のような色をした液体〉となり、大変に悪ノリな感じが出ている。次にカウンターに立ったウィッテが作ったカクテルのレシピは〈ウォッカ1、ブルー・キュラソー1、白樺ジュース1、ココナッツ・ジュース2、カルーア1、羊のクリーム小さじ1、アヴェンティヌス(まっっっっっっっっ黒なビール)1、プラス菫色(??)レーザー)〉というもので、大変に興味をそそる。最後の菫色レーザーだけがわけ分からないけれど。そして最後にシェイカーを手にした樊斐によるカクテルのレシピは〈トマトジュース5、スピリタス・ヴィニ3、アカアリ2、ソルティーアイス1、赤唐辛子のさや1〉というブラッディ・メアリーのツイストのようなカクテルで、やはり大変に興味をそそるし、なんなら際限もできそうな気がする。また別のシーンではあるがボリスもカクテルを作っており、そのレシピは〈三分の一を芋ウォッカ《ステパン・ラージン》で満たし、《ディープ・ブルー》二十ミリリットル、アザラシの乳二十ミリリットル、トウヒのジン十ミリリットル、アリのアルコール十ミリリットルを足し、岩塩を一粒投入、二分間イエローレーザーを当てた〉というもので、やはり最後の「レーザーを当てる」というのが分からないが、それでも2068年のカクテルを想像させるには十分なものであり、これらのカクテルのレシピに関しても、文学クローンの執筆した作中作と同じく、こんなに仔細なレシピを一つ一つ記載しなくともいいはずである。それをやることで冗長になる部分もあるとは思うがしかし、やはりそれによって2068年の世界がどのようなものなのかの解像度は増す。こうした細かいリアリズムと、現代では意味不明の概念や言語が多用される文章によって、その世界観がどんどん構築されていくのはとんでもない迫力がある。また、ソローキンの描く2068年は必ずしも我々のいる2024年と分離しているかというと、そうではない。全くの新世界を描いているのではなく、我々と地続きの未来をパロディしているような世界観で、そこには当然「創造的な過度な装飾」こそあるものの、無茶苦茶ながら不思議と説得力がある。それもこれも全て、作者本人がノリノリで楽しみながら書いているような恐ろしいほど細かい描写の積み重ねゆえであり、その迫力にはとても圧倒されるのである。

そうした新言語と未知の概念に彩られたままに物語は進んでいくかというと、その物語はテロリストの闖入によって唐突なまでにあっけなく終わる。テロリストたちは(少なくとも)私たちに馴染みのある旧言語で話すので、いちいち言語に振り回される煩わしさはなくなる。少なからず読みやすくなった文章を気楽に思いながら読んでいくと、テロリストたちの正体はどうやら極右的な宗教団体で、ロシアの大地を聖化し、それと〈交合〉することが彼らの信仰上とても重要なアクションになるらしい。やはり意味がわからない。言語は読みやすくなったのに、世界はやはり私の知る常識からは逸脱していて、意味はわかるのに理解ができない。その宗教の神父たる人物が、童子たちにその団体の歴史や信条を教育する場面では、童子たちのピュアピュアな承認欲求が、その異常な信仰に向けられているのにシュールなギャグのようである。それはこの場面に挿入される作中作『水上人文字』でも現れる。川面を松明を掲げながら泳ぎ続ける男たちの話で、男たちの右腕は松明を掲げ続けるために異様に太く赤黒くなっている。彼らはある文章を川面に描くために松明を掲げて泳ぐのだが、主人公たる男は、その文章中の唯一の「カンマ」たる松明を掲げる役割を担っているのだが、ある時彼の松明に不具合が生じ、文章が水上から崩壊してしまう。とまぁ、こんな物語なのだけれど、そもそも設定も意味不明だし、やはり独特なシュールな世界観が描かれている。作中作としても未完のままやはり唐突に大地交合団のパートに戻ったりして、あれ?さっきの水上人文字の人たちのエピソードはどんな示唆だったのだろうな?など考える間も無く、大地交合団はタイムマシンで青い脂と童子を1956年のモスクワに送り出すのである。

かくして舞台は、2068年の青脂研究所から、大地交合団を経て、1956年のモスクワへと移る。
ここでは史実とは違った大戦後の世界が描かれており(例えば原爆がイギリスに投下されたりしている)、独ソが大戦後の世界を牛耳っている様子である。スターリン、フルシチョフ、ヒトラーといった時の権力者たちに加え、2068年にはクローンにされていたアフマートワをはじめとした文学者たちもたくさん現れてとんでもない権力闘争がスタートする。青い脂を巡って謀略が繰り広げられ、そこには悪趣味な拷問やセックス、ドラッグなども描写されて、さながらソドムの百二十日のような悪徳の栄えっぷりである。すごいな、など思っていると、しっかりとサドも引用されたりしていて、グロテスクで悪趣味な世界が展開されるのだが、その中にはやはり独特のギャグセンスが光り輝いていて、フルシチョフとの特濃BLの果てにメス堕ちするスターリンの姿などは、もう、なんというか、悪趣味を超えて笑えるほどである。フルシチョフの腕に抱かれながら、スターリンが見た自身の幼年時の記憶は、サイケデリックな彩りが加えられて読むものの感情をごちゃ混ぜにする。そこには当然、スターリンという天下の独裁者たる史実の記憶が乗っかるのではあるが、このような構造は作中で引用される大量の文学作品と同じく、出典元を詳しく知っていればいるほど笑えるものである。我々の歩んだ歴史を下敷きにしながら、さながら「パラレルワールド・メタ・コメディ」とでも呼べるような世界観で読む者の知的好奇心を刺激しておきながら、その手引きをすることなくフルスロットルで駆け抜けていく。無学な私はその轍に光る痕跡をただ眺め、その美しさにうっとりすることしかできないのである。

さて。物語は最終的に膨張するスターリンの脳みそに銀河が包まれたかと思ったら収縮し、そうかと思ったら幼児語を喋るスターリンと、それを管理している「新ロシア語」を喋る青年のやりとりで幕を降ろす。まるで全ては2068年の青脂研究所での悪夢であったかのような余韻を残すラストだが、『ドグラ・マグラ』のような円環構造と、それと気付かせるためのトリガーとなる単語が、新ロシア語たる〈リプス・老外〉というフレーズだというのには、大変興奮しましたね。もうずっとリプスって言っていたい。リプス・你媽的。もう一度最初から読み返さなきゃいけないじゃないか。

というわけで、凄まじい作品でしたね。作中の人物はどれも魅力的で、新ロシア語を話す未来の人々はもとより、過去の歴史上の人物たちも、大変に下品な、しかしカッコいいフレーズを連発するので、その辺りも非常に楽しめました。個人的には、ヒトラーに対してフルシチョフが言い放った〈ロシアには定義上、哲学はあり得ません〉〈現象と実体の間に差異がないからです〉というフレーズに腹を抱えて笑っちゃいましたね。ギャグの力ですよね。すごいもんですよ。あと、アフマートワが文字通り卵を吐いて文学を継承する作中作も好きでしたね。人が吐いた卵なんて気持ち悪いもんね。そして、そんな奇妙な世界観を見事に訳しきった訳者の方には、ただただ感服するばかりです。時代背景から哲学まで咀嚼いていないと到底訳せない作品だと思います。素晴らしい。訳してくださって本当にありがとうございます。

というわけで先月の課題図書はウラジーミル・ソローキン『青い脂』でした。6月の課題図書は西加奈子『 i 』です。読んでいきましょう。

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,615件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?