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【45冊目】蒲団 / 橘外男

8月です。
本日17時-24時半です。

不安定なお天気ですね。昨晩遅くは東京でも久しぶりに雨が降り、私が帰るような時間帯なんかは雷がゴロゴロとなっている。その不安定なお天気は明けて本日も続いており、今朝も颯爽と起床。今日も雲ひとつない青空だ、など思いながら顔を洗い、ご飯を食べている途中に報道では「突然の雷雨に注意」などと言っており「突風竜巻注意報」なんてワードも出ている。え?など思う間に、どこか遠くから雷の音が聞こえた気がして、え?いまの?雷?なんて思うが早いか、さーっと空が暗くなる。先ほどまでの長閑な昼下がりのムードは消え失せ、あっという間に雷、雨、黒雲といったムードに。嗚呼。こんなにも一瞬で平穏は脅かされるものなのだ。日常の脆弱を思わずにはいられない。日常と非日常は常にコインの裏表で、ちょっとしたきっかけで簡単に裏返るものなのだ。そして、そんなコインの裏側を覗き見るような、当店月初のお決まりといえば、そう「ウィグタウン読書部」ですね。

というわけで、七月の課題図書は橘外男『蒲団』。私なんていうのは、この作品のことは聞いたことがあった。古典的な怪談話ということで、いつか読んでみようなど考えては、いわゆる積ん読の棚に放り込んでいたわけなんですが、夏なんていうのはホラーの季節なわけですから。何か恐ろしい小説にしたいな、どちらかというと普遍的で、かつあまり知られていない作品がいい、と思い「古典 ホラー小説」みたいな検索ワードを展開したところ、いくつもあるキュレーションサイトの記事の中で今作の名前を発見してですね。なるほど。読んだことないし、こいつはいいや、と今回の課題図書に決めたわけなんですがね。時代でいうと100年ほど前の作家で、あの江戸川乱歩と同い年、なんて聞くと、まったくクラシックなムードが漂ってくるもので、しかし、ホラーにおいてなにが肝要って、それは未知の領域である。「分からないから怖い」「知らないから怖い」っていうのは恐怖の本質であって、例えば背後なんていうのは見ようがないから怖い。ベッドの下も目に入らないから怖い。正体不明の化け物も、正体が分かってしまえば怖さは半減なのであって、そこへ行くと私なんていうのは怖い話が好きだ。開店前の準備時間、または閉店後の片付けをしながら、一人youtubeで怖い話を聞いては「怖すぎ。ウケる」と涙を流し、また誰もいるはずのない空間に気配を感じては、何度となく確認したりもするものだから、片付けが一向に進まないなんてこともあるくらいで、つまりはある程度の怖い話のフォーマットはすでに履修しているということなんですがね。未知こそが恐怖の本質であるならば、既知は恐怖の敵であり、ホラー偏差値が高ければ高いほど、新たな恐怖に出くわす可能性は低くなる。つまりなにが言いたいかというと「100年も前のホラーが果たして怖いだろうか」ということで、読む前はさして恐怖に対する期待をしていたわけでもなかったんですがね。これがばっちり怖かったですね。しっかりパターンを踏襲(正確には現代のホラー話がこういったクラシック怪談が生み出したパターンを踏襲しているのだが)しつつ、随所でゾクゾクさせてくれるのは、いやはや、さすがという感じでしたね。これからは例によって【ネタバレ注意!】となるので、気になる方は先に作品を読んでください。青空文庫でも読めますし、そんなに長い作品ではないのですぐ読めます。

さて。物語は、語り手が「これは聞いた話なんだけどね」と語り始めるところからスタートする。いわゆる「実話系」と呼ばれる怪談話のテンプレートで、「これは友達の友達が実際に体験したことなんだけど」と語り始めるのと同じアレなんですが、この導入部で語られるのは明治42年に実際に起きた増上寺(作中では「増×寺」と表記)の焼失事件で、これから語られる話がこの焼失事件に絡んでいる風である。このように、実際の事件を絡めることで創作にリアリティを持たせる手法もやはり、実話怪談によくありそうな感じがありありだし、また「増×寺」なんて表記も、やはり大変に実話怪談的である。

ストーリーラインをお話しすると、まず古道具屋のおとっつぁんが随分といい縮緬蒲団をどこからか仕入れてくる。「そんないい蒲団仕入れてきても、うちみたいな古道具屋じゃ捌くのも難しいだろう」と文句を言う息子に、父は「これが品の割りにめっちゃ安かったんだって。マジ一等の掘り出しものだわ」と、嬉しそうにしている、という導入なのですがね。この導入の時点で、すでに怪しい臭いがプンプンする。この蒲団が呪いの品で、きっと前の持ち主も早く捌きたかったのに違いない。どういった類の呪いかは知らぬが、この蒲団がある限り、この古道具屋は繁盛しないのだろう。など予想するわけなんですが、まさしくその通りで、蒲団が来てからというもの商売の方はとんとうまくいかず、家庭内にはどんよりとした空気が漂い始める。商売はうまくいかないわ、新婚の嫁は実家に帰ると騒ぎ出すわ、血塗れの女が現れるわ、なんだかんだで最終的には人死にも出るわってんで、いよいよ呪われた蒲団の正体を解こうとするわけなんですが、これのなにが怖いって、結局その呪いの正体がなにも分からないところなんですよね。このオチがないような感じも、実話怪談的と言っていいのかもしれないですが、いよいよ蒲団がこのどんよりムードの発端だろうってんで、その中身をほじくり返してみるわけなんですがね。ここになんらかの呪符とかが入ってたりしたら話は早い。しかし話はそうならず、中から出てきたものの正体は一切明かされずに、いえ、一部明かされますが、詳細は語られることがなく、ひたすらに不気味な後味だけを残して物語は、冒頭の増上寺炎上の由来へと帰結して終わる。
 例えばこれが「蒲団から出てきたものはこういうものですよ」「なぜ蒲団にこんな呪物があったかっていうとこういう理由ですよ」みたいな解説が作中でおこなわれたならば、きっと読者はその説明に納得はするだろう。しかし、恐怖の正体が未知であるということならば、そんな解説ははっきりって蛇足であり、興を削ぐものに他ならない。蒲団の正体も、その元凶がどこにあるのかさえ分からず、善良な古道具屋の家族を混乱が襲うなんていうのは、なんとも理不尽な印象もあるが、そもそも恐怖は理外から襲ってくるもの。最後までネタバラシをせずに不気味な後味を残し、増上寺炎上という史実に基づく事件と結びつけることで、実話怪談としての強度を増強させる。なにかとオチや解説を求めがちなエンタメ作品が多い昨今においても、この不気味な読後感というものを味わうためのジャンルとして、ホラーは確たる人気がある。いわば「未知」を味わうのがホラーというジャンルであり、それを「よく分からなかった」というのは野暮というものだろう。匂わせをプンプンさせながらも「未知」と「既知」の合間を絶妙な具合で通り過ぎていくなんていうのは、ホラーの醍醐味で、今作の真骨頂と言っていい。個人的には展開やなんかもそうなんですが、何よりも語り手のうまさというか、訥々と語っているようで流れるような名調子に心を奪われましたね。読んでいるのに聞いているようなリズムと心地の良さで、黴臭さの香るようなジメッとした雰囲気が伝わってまいりましたね。こういう語りをしたいもんだな、と思いました。

というわけで7月の課題図書は、橘外男『蒲団』でした。8月はミラン・クンデラ『無意味の祝祭』です。読んでいきましょう。

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