見出し画像

4.27

曜日の感覚がないのである。
もう少し踏み込んで言えば、時間の感覚すらもないのである。
それというのはつまり、日常が脅かされている証左に他ならず、私なんていうのは、この休業生活が始まってからというもの何をしているかというと、それは主に店のことを考えているわけなんだけれども、なかなかに生産的なことばかりを考えてしまっている。となると、それはいいことだらう、などという人がいるかとは存じますが、これは果たしていいことなのだろうかというと、なかなかにそうとも言えないきらいがなきにしもあらずんば虎子を得ずというか。と言いますのも、多くの生産というのはこれ、不要不急であるというか。自ずからゼロからイチを創り出す作業を生産と呼ぶのであれば、こうした思考の源泉にはそれなりの原資が必要であって、その原資とはなにやと考えてみると、例えば、本を読む、映画を観る、音楽を聴く、SNSを開く、ビデオゲームに興ずる、株価を眺める、人と話す、ラジオを聞く、柔肌に触れる、酒を飲む、陽に当たる、にゃあと鳴く小動物を見遣る、甘味を喫する、花の匂いを嗅ぐ、身体の筋を伸縮させる、その他多くの関わり合いを持つということが、あらゆる生産の基本的な原資となるもので、そう考えると無駄なものこそ最も生産的なものであるとも言える。嗚呼、こうしたあらゆる生産の原資となり得る日々の生活を豊かに、無駄に、wastedしていく作業。そう。ウィグタウン読書部ですね。

というわけで、今月の課題図書だったカミュの『ペスト』はすでにやっつけておりますね。本日は、来月、5月の選書をお届けということで、来月の課題図書は坂口安吾『堕落論』です。どうでしょうね。せっかくですから『続堕落論』も含めてやりましょうかね。ウィグタウン読書部では、初めての評論というかコラムというかですが、まぁ、大戦直後の日本を評した本作が、現代日本にどのように響くか。ちょっと興味がありますね。安吾では、やはり随筆の『日本文化私観』も我々の"生活"の根幹を捉えるという意味ではいいですよね。読んでいきましょう。捉えていきましょう。無駄の意義を。

それでは、当店は本日も休業しております。
どうぞみなさま、また会う日まで、平穏な在宅生活をお過ごしくださいませ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?