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お転機とは、いかに気付くかにあり
こんにちは。
お転機ですか?
世の中には、たくさんのお転機があふれています。
ピンチ、チャンス、きっかけ、契機・・・。
言葉はどんなものでもいい。
大袈裟じゃないかもしれない、ほんの些細なことかもしれない。
いくつもの小さな出来事の積み重ねの結果かもしれない。
ただ、後から思い返してみれば、あれがきっとそうだったんだなと思えるようなこと。
そんなお転機に、世界はあふれています。
多くの専門家が語る成長の図式
学びと成長の段階を表した壁やステップについて、様々な分野の専門家が似た見解を示しています。
それは、
知識を得てそれを習慣とするまでに超えることとなるいくつかの壁であったり。
本人の自信となるまでの成長段階を壁とステップとして示したものであったり。
それぞれの専門家の言葉で、大体5つの壁とステップで表現されることが多いこの考え方。
これは、成長は魔法のように一瞬で到達するものではないことを伝えてくれています。
これらいくつかの専門家による見解の中で特に重要なのが「気付き」です。
「気付き」こそが重要なお転機
実を言うと、どの専門家の説明もポイントを集約してくれているため全部が重要です。
ただ、その中にも重要度の違いがあります。
フォーカステーマによって若干の言葉遣いの違いや順序の違いはありますが
ほとんどのケースで、「知らない」というゼロの状態から<知識>と接触することが第一段階。
その後、いくつかの壁を乗り越えながら、「知る」「やってみる」と行動を続け、やがて「している」という常態化へのこぎつけ、それがやがて「自信」となるといった成長を見せると説いています。
それを図にすると次のようにまとめることができます。
![](https://assets.st-note.com/img/1686029193871-mMc3CSfWe8.png?width=1200)
先鋒「知識」、次鋒「行動」
<知識>と接触することで、成長は始まります。
元は「知らなかった」が、<知識>を得ることで「知る」ことができます。
これがひとつめの壁。
成長にはまだまだ壁が立ちはだかります。
「知る」ことはできたものの、<行動>するかしないかの壁が出現します。
大体の人がここで『わかった気』になって<行動>しません。
知らなかったことを知る刺激は、大きな快楽です。
まるで自分が成長しきったかのような幻想を抱かせます。
大量の成功法則に関する本が出版され、誰でも手に取ることができる時代でありながら成功法則の本が廃れることもなく、全員が成功するわけでもないのは、ここに落とし穴があるからです。
実際に<行動>に移す人間は、大体2%である。
と、かつて私が読んだ成功法則の本では語られていました。
<行動>の壁以後の壁も、<行動>であることに他なりません。
地球は「行動の星(惑星)」と呼ばれることもありますが、願い事を唱えるだけで叶うようには宇宙の仕組みからいってもなってないのです。
中盤はエベレスト登頂か、大気圏脱出か
かくして、序盤からいきなり篩に掛けられた成長ステップは<行動>することで「やってみる」ことができました。
次に立ちはだかる壁こそが私の重要視する<気付き>です。
というのも、やってみた人が全員<気付く>とは限らないからです。
一度「やってみる」くらいでは<気付く>ことができないケースがほとんどです。
つつがなく<気付く>ことができたとしても、皆一様に同じことに<気付く>とは限りません。
全員が<気付く>とは限らないということは、何に<気付く>かも人それぞれだということです。
ところが、ここでスイスイと<気付く>ことができ、スムーズに「わかった!」と先のステップへ進む人々がいます。
しかも<気付く>ことができたのはひとつとは限らず、いくつもの<気付き>を携えて<技術>の壁へと挑んでいきます。
そんな人はたいてい<技術>の壁も(本当は高い壁なのに)苦にせず「できる」ようになり、難なく<習慣>としているうちに当たり前に「している」から自身の『自信』を手にしています。
「へえ、すごいな~。やっぱり違うな~」
「いるよね~そういう人」
「センスあるよね~俺には無理だわ」
そうやって、高い木を登った人を手放して称賛してはいませんか?
着目すべきは、達成したことよりも、いかにして達成できたかではないのですか?
手放して称賛した時、心のどこかで諦めてはいませんか?
<気付く>はセンスなのか
「どうやってそこまでいけたんだろう?」
「何が違ったんだろう?」
「どんなことに気づいたんだろう?どうしてそれに気付けたんだろう?」
ひとつの画像にコンパクトに収めているのでわかりにくくなっていますが、
<気付く>壁は一筋縄ではいきません。
というのも、<気付き>は根拠のない閃き(ひらめき)ではないからです。
気付き、閃き、インスピレーションやセンス、それらは決して限られた人物だけに与えられた特別なギフトではありません。
ギフトとして、それをやりやすい状態となっている人もいます。
しかしながら、多くの場合<行動>と<知識>の集積によって導き出すことができる技術なのです。
多くの知識・情報に触れ、それらをどう見てきたか、どう分析したり整理してきたか。
行動は知識の知識を補完したり、視点を変えて知識と向き合うことに役立ちます。
知識の増強はその情報のピンとキリと平均の見極めを可能にし、
似たようなケースの情報と照合することで別のケースに応用して未開の知識を推察、補完し合いながら<気付き>の壁にアプローチしていきます。
ある人は分厚い壁を少しずつ削り、
ある人はそびえる壁に足場を打ち込み、
そして臨界点を超えたときに壁に穴が開いて、壁を登りきって、<気付く>を達成するのです。
一度<気付く>技術を手に入れた人は、そのあとはかなりハイウェイコース。
というのも、どうやったら<気付く>ことができるか、骨身にしみているから。
<技術>の壁も。技術の筋力を鍛えるとともに早々に気づいてできるようになるでしょう。
そこまでできる人にとって、続けること、習慣にすることはその気があればさほどの壁とは言えないかもしれませんね。
面白いのが、<気付く>壁をスイスイ越えるときをまるで瞬間に<気づいた>ように感じることです。
確かにその瞬間に大きく変化するものがあるので、瞬間と感じるのも致し方なしなのですが。
本当はそれまでたくさん努力して、たくさん失敗したり、試行錯誤を重ねたり、お金をかけたり勉強したり、頑張ってきたからこその<気付き>という汎用性の高すぎるスキルなのですが、なにぶん<気付き>が瞬間すぎて、すごいことなんだと気づかずスルーしてしまうことが多いのです。
そこだけは気づかないのね。
でも、後から思い返したときに「ああ、あの瞬間がそうだったな」と、臨界点を超えた瞬間を思い出す。
それが私の思う、お転機のひとつです。
知識に触れたとき、回れ右することもできるのです。
知った気になって、行動に移さないことだってできるんです。
それを、何かに気づいて知識の集積を試みる。
行動しながら小さな気付きが知識の増強を図る。
本当は、いつだって<気付き>がそこにはあるのです。
意識を向けたところ、フォーカスしたものにエネルギーがやどり、現実化・具現化します。
<気付き>は常に起きているものの、気づかなければエネルギーの注入が足りなくて、現実化までに時間がかかります。
意識して<気付く>ことができると、成長のステップをエレベーターのようにぐんぐん登っていきます。
もちろん、すべての答えが<気付き>でまかなえるわけではなく
<気付き>さえすればすべての困難が打ち払えるわけでもないのですが
<気付く>技術を身につけると、ドミノ倒しのように世界が広がります。
お転機は、<気付き>を後から振り返った時のノスタルジックな表現です。
世界はお転機にあふれています。
あなたの毎日もお転機にあふれています。
今日はどんなお転機でしたか?
小さなお転機に目を向けると、手前のドミノが倒れます。
それはやがて隣のドミノへ、さらに隣のドミノへと波及し、やがてまったく違った風景をあなたに見せてくれることでしょう。
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