日記(2021/07/16)

最近、何かに執着することがなくなった。

最後にまともな食事を摂ったのは先週の土曜日。それからはアルコールばかりの暮らしだ。別に空腹も感じない。体重の減るスピードに、思わず渇いた笑いがこぼれる。

眠剤をアルコールで流し込んだ後は、次の日の夕方まで死んだように眠っている。そして、懐かしい人ばかり夢に見る。目覚めてから記憶をたどり、こんな人がいたなあくらいの人が、毎日夢に出てくるのだ。
そして今日、大好きだった人が夢にいた。記憶の整理も、いよいよ終わりの段階に近づいているのかもしれない。

人に依存することも無くなった。飲みに誘われなくても、何も感じなくなった。あれだけ繋がりが切れることを恐れていたのに、いまはふつりと糸が切れたかのように、どうとも思わない。たまに開くインスタグラムで近況を知って、その程度で終わる。

部屋の掃除をした。思えばいらないものばかりだったのに、どうしてこんなにも大切に溜め込んでいたのだろうか。不思議に思うものばかりだった。すっきりとした部屋に、死体のような、いやあるいはすでに生命を続けているだけの死体がひとつ。妙に清々しい。

好きだった音楽もいつの間にか鬱陶しく感じるようになってしまった。あれだけいつも聴いていた音楽を、面倒だと思うようになってしまったのだ。少し寂しいが、私がそう思うのなら仕方がない。

ぼんやりと、死に近づいているのを感じる。
一歩一歩摺り足で、柔らかな真綿のような死が、近くまで来ているようだ。それは私にとって救いでもある。どうせ人生のボーナスステージだ。いつ死んだって構いやしない。
もはや私はただ心臓が動いているだけの死体なのかもしれない。いつの日かここに記録を残すことすら面倒に感じるのだろうか。それでもいい。書けるうちに、たくさんのことを書いておこうと思った。私がいなくなっても残るものを残しておこうとするのは、まだわずかに残った人としてのエゴなのだろうか。

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