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7月2日で30歳になろうとしているという話

そんなたいした話ではないんだけれど,今年の7月2日で30歳になろうとしている.つまりもう1ヶ月もない.

実は,私が30歳になろうとしているのが正直信じられないからである.
生まれた時から病弱でもあったわけだし,小学生のときは生死ってなんだろうかってすごい考え込んでしまうぐらい記憶に残っているわけで.
それに加えて,大学生?のときに親からも「正直,こうして生きているだけでもありがたいのよ.だって小さいときはここまで生きてくれるのも信じられなかったぐらいだからね.」って言われたこともうっすらと覚えている.

それもあるのかはわからないが,30歳になろうと生きてこれていること自体がある意味心の中で信じられないというのが大きい.(もしかしたら30歳を迎えるまでに私の身になにかが起こる可能性があるかもしれないが,それは一旦置いとこう.)

 

そして,この前のnote記事でも触れていたが,いまもなお心に刻んではいる.

ただ,何かをいうというよりもまずは己で変えられるところは変える努力,変えるのをやめない.変えることを変えない意思.

これだけは失ってはいけないと己の中で度々と誓い直そう.永遠に.

とはいえ,難しい.そんな日々ではある.

人を撮る行為とはなにか.

テクノロジーを創ることで.障害当事者や障害当事者コミュニティにとりわけどんな影響をもたらすのか.

あまりにも諸々と考えることが多すぎて,手を動かなくなってしまう.
何度もそれを繰り返す日々ではある.

ただ,それでも私はアカデミアにしがみつくことしかできないだなと直近になって自覚しつつある.今の日本のアカデミアを取り巻く社会背景がどうしてもちらほらと気になってしまうのは否定できないのはあるが,なんとかしないとと覚悟を決めないといけないだろう.

それだけではなく,あーこーだと言ってないで手を動かす.
これは本当に重要で,私が博士後期課程に進学してから,諸々と中途半端に知りすぎた結果,未来が見えない.本当に意義あるのか.という感じで,なんか悩んでしまっている.自分でもなぜ「なんか悩んでいるだろうか」って疑問に思いながらも,周りの目を気にしたり意味があるだろうかって考えこってしまって手を動かせなくなってしまう.
そんな私を,弊研究室のボスである落合さんは,何度も「手を動かそう」「良いね,やろう」等と声をかけてくれてはいる.
本当にありがたい話ではあるが,しばらくはまだ「なんか悩んでいる」に嵌ってはいるものの,脳内はわかりつつある.あとはメンタルとフィジカルとバイブスの問題.

だからなのかはわからんが,遅くても40歳までには40歳までには個展をできるようにしようって気持ちは固まりつつある.あとは1つ1つできることを増やす,できることをを身に付くために少しでも手を動かしてみる.



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