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The StadiuM広報部|第3弾(全4回) #なでしこジャパンと挑んだオリンピック

プロスポーツトレーナーアカデミー「ProSTA」を運営している株式会社The StadiuM広報部です。社長の山田に経歴を聞きました。スポーツトレーナーのきっかけや出会い、アカデミー「ProSTA」について話を聞いていきたいと思います。今回はシリーズの第3弾です。

帰国後に感じた、もどかしさと葛藤

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スペインとの意識の差に驚いた

- 帰国後、湘南ベルマーレでのトレーナー生活。働いている中で日本とスペインの違いはありましたか?
山田 そうですね。違いは感じました。試合に向かう闘争心やメンタリティが明らかに違いましたね。日本の選手もスペインの選手も試合で勝ちたいという気持ちは同じです。でも、私が見ていたスペインの選手は、もっと試合に出たい、なんとしても勝ちたいとまるで闘牛士のような恐れのない精神で死にものぐるいで戦っていたんです。
スペインはトップチームだけでも1部から4部まで含めると、480以上のチームがあるサッカー大国なので、結果を出さないといつ契約が切られてもおかしくないし、チーム内は常に緊張感が漂っていました。特にFCバルセロナやレアルマドリードといったビッグクラブと対戦する週の練習は白熱していました。私もその環境下において、常にベストパフォーマンスが発揮できるよう、選手と一体になって戦っていました。
それに対し日本の選手は、もちろん全員ではありませんが、寝坊をしたり、試合に出られない理由を自分以外のところで探したり。正直なところ、サッカーに対するプロ意識の差を感じて、もどかしい日々が続きました。

自分が「勘違いしていた」

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- 「もどかしさ」はその後もずっと続きました?
山田
いいえ。そんな事はありません。きっかけは忘れてしまったのですが、このもどかしさは自分の勘違いから生まれている、とふと気づいたんです。

- 「自分の勘違い」どういったことでしょうか?
山田 スペインのトップチームでスポーツトレーナーとしての経験を得たことで、常に心のどこかで「自分はスペインリーグを知っている」「スペインと同じようにやれば勝てる」そんな風に思ってしまっていたのです。本当はそんなことは全くないのに。自惚れていた自分に強く反省しました。

- そこから意識したことは?
山田
常に選手のそばにいて、選手の声に耳を傾け、選手と一緒に努力・改善していくことを強く意識しました。そしてスポーツトレーナーであるからには絶対に選手のせいにしてはいけない、自分から選手に歩み寄り選手をサポートしていくんだと。スポーツトレーナーのあるべき姿を再認識した瞬間でした。

なでしこジャパンとの出会い

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- その後、INAC神戸でのスポーツトレーナー生活がはじまります
山田 4年間湘南ベルマーレで働いた後、INAC神戸に所属しました。初めての女子サッカーチームのサポートです。

- INAC神戸でスポーツトレーナーをする中で、印象に残っていることはありますか?
山田  
最も印象に残っているのは、INAC神戸に所属する何人かの選手と一緒にロンドンオリンピックでコンディショニング担当として戦えたことです。特にアメリカ代表との試合は今でも忘れられません。

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- 「なんとしても絶対に勝ってほしい」と人生をかけて戦った試合
山田 ロンドンオリンピックの「なでしこジャパン」は、女子ワールドカップの世界王者として挑んだオリンピックでした。だからこそ、チーム全員「絶対に勝ちたい」という想いが非常に強かったんです。特に決勝でのアメリカ戦での澤を含む、選手たちの熱い想いは今でも忘れられません。
私は、そんな選手たちが全力で戦えるためにもコンディショニング担当として、自分の持てる技術・スキルを全力で選手に注ぎました。後にも先にもここまで想いを込めた試合はありません。惜しくもアメリカに破れてしまい優勝とはなりませんでしたが、女子サッカーで日本史上初のオリンピック銀メダルを獲得しました。

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- 銀メダル、山田社長もご覧になりましたか? 

山田 はい。選手が銀メダルを私の首にかけてくれたんです。本当に嬉しかったことを今でも覚えています。メダルをこうして選手からかけてもらったのは人生で2度目でした。

現役引退と技術の継承

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- 山田社長は、ロンドンオリンピック後に現役を引退されましたよね。現役引退後、山田社長の中でスポーツトレーナーへの意識は変わりましたか?
山田 
はい。もともとは常に自分のスキルを磨くことばかり考えていたのですが、この技術は後輩たちに伝えていかなければならないと感じました。
現役時代は「スポーツトレーナーは職人」「職人は自分の頭で考え、技術は自ら学び身につけていくもの」と思っていたのですが、日本のスポーツ全体の発展やレベルアップを考えたとき、スポーツトレーナーの技術も継承し、更に発展していく必要があると思い至ったのです。

- スポーツトレーナー技術の継承とは?
山田 
スペインのトップチームで学んだスポーツトレーナーとしての技術、澤選手をオリンピックで支えたように大舞台におけるスポーツトレーナーの役割、さまざま事情を抱えている選手たちとの最適なコミュニケーション、自ら歩み寄り選手と一緒にレベルアップする意識、これらを後輩に伝えることでスポーツトレーナーのレベルを上げていく必要があると思いました。正直なところ、スポーツトレーナーは仕事として広く認知されていません。また、スポーツトレーナーを育成する土壌も今のところ整っていません。この現状を私は変えていくべきだと強く感じたのです。

第4弾は引退後社長山田が手掛ける、スポーツトレーナ専門アカデミー「ProSTA」やPenya F.C. Barcelona Japanへの想い・設立秘話をお届けします。お楽しみに!

[プロフィール]

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山田 晃広(やまだ みつひろ)
株式会社The StadiuM代表取締役。株式会社ロコケア取締役。Penya F.C. Barcelona Japan 公認サポーターズクラブ副会長。
東京都葛飾区出身。大手鍼灸スポーツマッサージ院で7年勤務し、アトランタオリンピックなどへも帯同。単身でスペインへ渡り、リーガエスパニョーラで5年間トレーナーの経験を積む。帰国後、スポーツトレーナーとしてJ1や澤穂希選手のオリンピック帯同などプロアスリート選手の試合帯同の傍ら、スポーツトレーナー専門アカデミー「ProSTA」事業を開始。現在は200人の卒業生を輩出している。
[資格]
鍼灸あん摩マッサージ指圧師/認定ProSTA アカデミーマスター講師/原田式メンタルトレーニング指導者/呉竹学園東京医療専門学校スーパートレーナーコースマスター講師

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