心の鏡
人の心は本来的に「善」なのでしょうか?
それとも「悪」なのでしょうか?
洋の東西を問わず、
また紀元前から現在に至るまで、
たくさんの人たちがこの問題について
論じてきました。
その代表的な存在が性善説を唱えた孟子と、
性悪説を唱えた荀子でしょう。
孟子は、人は誰もが生まれながらにして
「思いやりの心」「やさしい心」を
持っていると考えました。
ある人はこれを「心の鏡」と表現しました。
また別の人は「心の庭」と考えました。
人間は誰でも心のなかに美しい鏡をもっています。
これがピカピカに手入れされていれば、
生まれ持った美しい心のまま
人に接することができます。
しかし、
私たちは肉体を持った人間として生きています。
心の中には絶えず
様々な我欲や利己心が沸き立って、
この心の鏡はしだいに曇ってしまいます。
だから、いつも自分で自分を磨き、
手入れをし、また時には戒めることで、
生まれ持った綺麗な心がいつも発揮できるように
自助努力しなければいけない…
これが性善説の基本的な人間観です。
性善説はよく放任主義と誤解されがちですが、
そうではありません。
どれだけ美しい庭でも毎日の手入れをサボれば、
やがて雑草まみれになってしまいます。
性悪説はその逆で、
「人間は全員、
生まれつき怠け者で自分勝手な存在である」
という前提に立ちます。
ある人はこれを「万人の万人に対する闘争状態」
といいました。
お馴染みの天国と地獄のうどんの話で例えれば、
地獄のうどんの争いを
一万人でやっているようなものだというわけです。
みんながみんな欲望のまま好き放題に行動すれば、
社会生活は成り立ちません。
だから性悪説では、教育や礼儀、
さらには法律(ペナルティ)によって
それを外的にコントロールしなければいけない…
と考えます。
生まれ持った心が善であれ悪であれ、
いずにしても「修養や教育が大切である」
という同じ結論に達しているのは
大変興味深いことですね。
つまり「放ったらかしではダメ」ということです。
会社では毎日の朝礼や環境整備、
7つの習慣の勉強会などが、
これに相当する大切な時間でしょう。
さて、今のあなたの心の鏡は
キラキラと輝いていますか?
それともホコリを被って暗く曇っているでしょうか?
今週も幸せの種を蒔きましょう。
私たちの周りにいてくれる大切な人が
幸せであり続けますように。