感染症対策:今こそ考えたい、SDGs

こんにちは、N高生の「すず。」と申します。
各地でじわりじわりと、新型コロナウイルスの感染が広がりつつあるようです。
全国の学校が休校になったり、イベントが中止・延期になったり...と非日常に翻弄される日々ですが、こんな時だからこそ、一人ひとりにできることをゆっくりと考えて文字にしてみました。

私自身、課外活動のなかでキーワードの一つとして意識しているSDGs
2030年を区切りとして「誰ひとり取り残さない社会」を創ることを目指すものです。まだまだ浸透しきってはいない部分もあるかとは思いますが、特に企業規模では「取り組んでいるのが当たり前」という認識が広がってきているように感じています。

2020年の今、感染症対策でいろいろなところで悩み、迷っている方がいると思います。こんな見方もあるということが一人でも多くの人に伝わり、何かの道標になれればいいな...と思います。

例えばの話

イベントを開催するか、しないかーーー。
少し前、私も運営側で関わらせていただくことがあり、とても悩みました。
開催することに意味があって、思いがあって、そのために時間をかけて準備をしてきて、何が正解なのかも正直分からなかった。形を変えながらも開催したイベントは参加者の方々にも共感していただけて、新たなきっかけを生む場になれたと思えます。

しかし、このような判断を迫られる場面が今たくさんあるのだろうな...と思うと、その後も小さなしこりのような引っ掛かりが心に留まり、新型コロナウイルス情報の動向を日々追っていました。

情報の錯綜、混乱

情報が錯綜し、パンデミックではなく「インフォデミック」と形容されるように、どれだけのリスクがあるのか、どれくらい警戒すればいいのかという点を見極めるのも容易ではないと感じました。
シェアお願いします!と書かれた投稿が翌日にはウソの情報であったと訂正されたり、ニュースで出ている情報と信頼の厚いソースからの情報が食い違っていたり。

これほど身近に「混乱」を感じることは、私は今までにありませんでした。

リスクを考える上で、何となく、インフルエンザなど例年のように流行する感染症と、今回のコロナウイルスの危険性を比べている自分に気づきました。
「日常」と「非日常」を比較することで、未知のものの位置を探るように。

「誰ひとり取り残さない」社会のために

そんななか、巣食っていた違和感を突き刺すような投稿に出会い、幾度となくその文章を反芻していました。

もしも感染したら
抗がん剤治療を受けている人や、高齢者など抵抗力の弱い人にとっては、その不安が日常であるということを忘れないで欲しい。

覚書ですが、このような内容だったと記憶しています。

私自身、持病持ちの祖父がおり、抗がん剤治療を受けた方も親戚にいます。
新型コロナウイルスに限った話ではなく、一般的なケースよりも重症化するリスクが高い人がいることを改めて思い出させられました。
必要以上に新型コロナを恐れているように私には見えていた、家族の気持ちが理解できた瞬間でもありました。

「人が移動する」ということは、一緒に感染を拡大させてしまう可能性があるということを指しています。全国に広がっていくにつれて、リスクの高い方が感染の危険にさらされる機会も増えるでしょう。

もちろん、感染を恐れ、人々が出かけることを止めることで打撃を受ける業種もあると思います。しかし今は、だからこそ、影響の長期化を防ぐための行動が必要なのではないでしょうか。

「誰一人として取り残さない社会」は、リスクの高い方々を除いては成り立ちません。社会全体として、そして個々人として、今どのような行動を選択するかで、一歩その実現に近づけるか、そうでないかが決まるのではないでしょうか。

「ポスト新型コロナ」の社会

なぜ今回の新型コロナウイルス に対してだけ、このような特別対応を取るとかという主張を目にしたこともあります。しかし、私はそれは現在が過剰反応なのではなく、今までが「足りなさすぎた」のではないかと感じています。
私が比べていた、その「日常」こそが、ある人にとっては不安に満ちたものだったかもしれません。

人と人が顔を合わせる場では感染が起こりうる、という基本的な認識の上で生活していくこと、自分が感染拡大の要因とならないようにすること...「ただの風邪」は誰かにとって「ただの」ではないかもしれない。この視点が日常においても必要だと思います。

例年のようにさまざまな感染症が流行しますが、体調を崩しても仕事・学校を休みづらい体制や、通勤通学できない際のオンラインという代替案の少なさは社会の根本的な課題ではないでしょうか。
この機会にそういった課題を見つめ直すことも、今回の新型コロナ流行に限らず、レジリエンスを備えた「持続可能な社会」を考える上では欠かせないのではないかと考えます。

最後に

「いま集まらないのは、これからも一緒に食事をするため。互いの家に行かないのは、これからも親戚が一緒にいるため」
このような標語が話題になっていましたが、今はこれが現実になりつつあります。
「感染拡大」に終止符を打つために、足並みを揃えて、それぞれが最適な行動を選ぶ必要があるのではないでしょうか。

最後になりましたが、新型コロナウイルス流行の一刻も早い終息を願い、私の文章の結びとさせていただきます。

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