2023/05/21「ヴィーガンという特殊な繋がり」#雑な日記
ヴィーガンという特殊な繋がり
今日は、プラントベース食品ブランド『Grino』として、『まあるいヴィーガンフェスタ』に参加してきた。
昨年11月に続いて 2回目の出展となったが、前回以上に規模が大きくなっていた。
前回は冷凍の玄米弁当(Grino Bento)を、現地の電子レンジで温めて提供するという斬新な手段を選んだが、今回は我々がお取り扱いさせていただいている『東京ヴィーガン餃子』を現場で焼き餃子にして提供することにした。
30℃に迫る気温の中、終始餃子を焼き続け、餃子は売れ続けた。
前回から出展者も参加者増え、大盛況の会場を見ながら「ヴィーガン」という日本ではまだまだ特殊な生き方と、それを選択した人たちの繋がりの深さについて考えていた。
(ちなみに私は「ヴィーガン」ではなく、お肉のみをゆるく卒業した「ペスカタリアン」だ)
ヴィーガンとは、お肉もお魚も卵も動物性のミルクも蜂蜜も食べない人たちのことで、革製品や羽毛製品、動物実験を経て製造された商品も避ける生活を送っていることが多い。
今回のような“ヴィーガンイベント”に参加するたびに、ヴィーガンという生き方を選んだ人たち同士の繋がりの特殊性を感じる。出展者同士が密に繋がっていて、特別な深い関係を築いているように見えるからだ。(来場者は近所に住まわれている方も多いため、ヴィーガンではない人が大半だ)
お肉が好きな人同士で、ここまで深い交わりを築く事はないだろう。熱狂的なスポーツチームのファンや、○○愛好家とも異なる「静かな熱」を持った繋がりに思えるのだ。
これはおそらく「思想」で繋がっているからだろう。過去の体験や自身の考えを相手に詳しく伝えなくても、「ヴィーガンである」と表明するだけで生き物に対する考え方や生き方を共有することができ、そして日本においてこの生活を継続し続けることの難しさを共感し合える仲間だと伝えることができる。故の繋がりの深さなのだろう。
私たちが参加した『まあるいヴィーガンフェスタ』には、所謂「過激派」と呼ばれるヴィーガンの人たちは見受けられなかった。
まだまだ世間からのイメージは「良い」とは言えないヴィーガンだが、この場に集った“やさしい人たち”のゆるやかな活動によって、そのイメージが払拭されることを願いたい。
我々Grinoも、その一助となるために、ヴィーガンではない立場から「美味しい体験」を提供し続けていきたい。
#今日摂取した主なコンテンツ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?