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60年分とそれから#3

「アイスブレイク難航」

 今、俺は自分がどんな顔をしているのか見当もつかない。初めて会った日は帽子を深く被っていたから。
 「カート君。はじめまして。僕の名前はコウタローだよ。よろしくね」
 その日、カートは俺が何度も何度も練習して諳んじた挨拶をいう間もなく自分の部屋に走っていってしまった。結局、なにも言えないまま帰ることになってしまった。
 子供に嫌われるというのは、なんだか自分の人間性の部分を見抜いた上で拒否されている気がして深く反省する。傷つくのではなくて、何か自分には問題があるのか?と考え込んだ。
 あれ以来、カートに近付くことはしなかった。自分から人間と関係を作りに行くことなんて、25年間で片手で数え足りるほどしかして来なかった俺にとってはたった二行でも口上を覚えて挨拶しに行ったのは最上級の努力だから、あれ以上はできない。逃げていく彼に自分からアプローチしようという気持ちにはならなかったんだ。無理やりコミニュケーションをとることもできたには出来ただろうけど、いや俺にはそんなこと出来ないけど、それこそ人間性の部分に問題ありじゃないか。運動部の新歓じゃあるまいし。つまり近づかなかったのには猫と打ち解ける時みたいに、向こうが慣れて近づいてきてくれるまで待とうという狙いがあったんだよ。結局最後までそんな動物と同じようにはいかなかったけれど。
 けど今、そのカートは運命的に俺の視界の中にこちらを向く形で座っていた。真っ白でなにもないとも言える大きな会場に、テーブルと椅子と人間。流れ作業的に料理を処理しては会話に勤しむ人間たちの中で、俺の視線はただまっすぐとその合間を抜けてカートを捉えていた。一年間一切顔を合わせることを許されなかったけど、反則をするような形でようやく今顔を見ることが出来ている。それは真っ白で美しい子供特有の綺麗な肌を纏っていて、そこに浮かべたような太くしっかりとした眉毛が特徴的で凛々しかった。しかし顔の輪郭は子供らしく、まだふっくらとしている。ようやく拝めた。そして俺はなによりも納得することが出来た。彼はユキエちゃんの息子だ。紛う事なく。彼女にそっくりだ。遺伝子というのはこうも分かりやすく受け継がれるものなのだろうか?あまりにも面影を感じてしまった興奮と感動で思わず見入ってしまった。すると、食べ物に向いていたカートの顔がスッと上がり見ている俺と目があった。しまった、とっさに俺は目を逸らしたつもりだが、いや。完全に目があった。また避けられるかもしれないと覚悟したが、幸運にも彼は隣の中年に話しかけらてそちらを向いただけだった。思い過ごしに安心しつつ、今度は見入らぬよう横を向く彼の顔をもう一度照合するように観察する。やっぱりユキエちゃんの眉毛だ。だけれども今度は喜びを感じる事ができないまま、俺は見ることをやめた。あまりにも似ている眉のせいで逆に違っているところもハッキリとわかってしまった。髪は少し茶色かかっていて、鼻は小さく少し上を向いている。ユキエちゃんとは違うところだ。やめておけばよかった。俺はカートが間違いなくユキエちゃんの遺伝子を継いでいることと同時に他の男との息子だということを叩きつけられてしまった。
 しかしユキエちゃんの息子なんだ。一切打ち解けるチャンスをものにできず今に至るが、至った今より後なんて俺にはもう残されていない。何も聞かなかったあの日のように、俺は何も考えず席を立ちカートの元へ向かおうと歩き出した。
 なにも特別なことなどない。ただ話しかけに行くだけだ。会場は久しぶりの再会に誰もが盛り上がり、話し声でぎゅうぎゅう詰めになっている。俺だけが周りに誰もいない。下品な笑い声と、ユキエちゃんの名前が飛び交っている。あまり耳に入れないようにしよう。思い出さないようにしよう。歩くどころか立つ気力も無くなってしまう。
 その会話達をなんとか掻い潜っていくと、ようやく幼い溌剌とした声が飛んでくるようになった。たった4、5テーブル分の距離だというのに、俺はコートを着て川を渡ったかのようにひどく疲れてしまった。だがどうにか、カートの座るテーブルに辿りつくことができた。彼はまだおじさんとかいわしていて、さぁ、今度こそ俺はカートと友達になれるだろうか。
 「ねぇねぇお前知ってる?カートコバーンってどんな奴?」
  俺は意を決しようとした時、カートのセリフに驚いた。言われた中年のおじさんも驚いていた。いや、まずおじさんにお前と言い放った事。そして、カート・コバーンという名前。もしかしてカートってゴーカートとかではなく、ニルヴァーナのボーカルの方だったのか。俺は、決した意が全く持って話しかけるには足りないということを思い知らされてしまい、しかしそれで引き返してどうするともう居直る。他方から押し寄せる感情を願掛けのように後ろで固く手を組んで押さえ込み、指輪の食い込む感覚に集中した。
 「カート君。こんばんは。隣に座ってもいいかな」
  カートはぱっとこちらを見上げた。今度は思い過ごしではない。敵か味方か。警戒心の光る力強い二つの瞳が、俺の目の奥を激しく突き抜け、俺の手汗がエマージェンシーを知らせてきた。


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