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60年分とそれから#5

「ハートブレイクコウタロー」

 カートの大声を聞きつけて、俺たちの方へ大股にゆったりと歩いてくる人が見えた。白いシャツに黒のネクタイ。白髪まじりの頭を七三にまとめて、顎髭を蓄えた大柄の老人男性だ。背筋がしゃんとしている。しゃべらずとも伝わる威厳を背に纏わせて近づいてくるこの方を、俺は知っている。ユキエちゃんのお父さんだ。その背に隠れて小柄なお母さんもこちらへ歩いていた。
 「やい。翔人。そんな声を出したら皆さんに迷惑だで」
  まるで声を張ることなくお父さんはカートを窘めた。低く、ウッドベースみたいに良く鳴る声だ。それを聞いたカートは鎮まったものの、むっすりとした顔でまだ反抗の意を投げていた。だがお父さんは全く持って取り合う様子を見せず、堂々とカートに近づいて頭に手を置いた。完全に手懐けている。それでも気持ちの収まらない様子のカートにお父さんはまた
「いかん」
 とだけ言ってみせた。その三文字に事態の収束を感じ取った周囲の大人達がまるで一切何事もなかったかのようにまた喋り始める。タイミングを取ってお父さんの後ろにいたお母さんが、なんとも柔和な顔でカートの手を握って外へと連れ出していった。
 なんて無駄のない、圧倒的な連携だろう。いや当たり前だが、決して予め示し合わせた行動じゃない。しかし余裕があるようで何一つ抵抗する隙を与えず、二人は自分たちのペースにカートと会場全体を乗せていってしまった。
 これが親というものの行き着くべき姿か、と俺は呆気にとられた。なるほどこれだけ素晴らしい人間に育てられれば、ユキエちゃんみたいな気丈で芯の強い女性になるわけだ。
 「申し訳ないです、お父さん」
 俺は騒ぎを起こしてしまったことを謝らなければならないと思った。
 「航太朗君。焦らなくていいでな、いいで翔人の気持ちを考えて話してやってくれ」
 そう言われて俺は、お父さんは騒ぎの事ではなくカートのことを気にかけているのかと見当違いを自覚した。そうだ。この人はいつもこうやってなによりも家族の事を尊重する人だった。
「はい。すみません、軽率でした」
「こんなことになっても、優貴江と決めたことは変わらんに。だもんで今日翔人が承知しなければ、あの子は長野の家に連れて帰るでな。あんたのことを認めんわけじゃないけど、なによりも翔人が可愛そうな。知らん大人と親子なんてのは無理な話だで。だら?」
「はい。分かっています」
 お父さんは責めるでもなく静かにそう話し、俺の言葉に頷くとまたゆっくりと歩いて自分の席へ戻っていった。今日一日で、カートを説得しなければならない。お父さんの背中を目でついて行く俺の頭にゲームのようなタスクがカチッと表示された気がした。
     "カートを攻略して親子になれ"
  みたいな。そんなのは、素人が250キロの爆弾を積んだ零戦に乗って敵に突っ込めと言われているようなものだ。リフトオフすることすら叶わない。しかしそれを先延ばしすることは出来ないし、寧ろ後に回せばその分だけ自体が好転する確率は失われていくのだろう。そう立ち尽くす俺に人生という体積の知れない影が、プレッシャーに姿を変えてズズリとまとわりついてきた。これまで俺が味わってきた取捨選択と博打における失敗経験の全てが、俺にリスクと苦悩だけを考えさせようと仕掛けてくる。いつだってそうだ、歳を取ればその分GOサインを出すブザーより身の破滅を感知するアラームが先に鳴り響くようになる。どこかで除き忘れて蓄積した水垢が脳味噌にこびりついてそうさせるんだ。時折首を括りたくなるほどにそれを感じるのは堪らなく悔しい。それくらいに重大な覚悟を決めるのはつらい。お父さんが言っていた通り俺がやろうとしていることはあまりにも無理で身勝手なことだ、俺がカートの立場だったら最早議論の余地もなく拒絶する。だが俺は覚悟を決めてどうしてもそれを実現させなければいけないんだ。他に道はないんだから航太朗。こんなの引越しで安さを取るか交通の便を取るかで悩んでるんじゃないんぞ。今日やるしかないんだ。
 歩いていたお父さんが元いた角のイスにゆったりと腰掛ける。背もたれにもたれることもなく、前傾になることもなく。真っ直ぐと地に体重を落として佇んでいるので、その様は非常に清廉としている。また誰とも話すことなく腕を組んでいるな。ユキエちゃんの実家に挨拶に行った時も、お父さんは同じようにじっと腕を組んでいたな。
  
 ユキエちゃんは、明るく希望を常に胸に抱いているような女性だったけど積極的に自分の過去を話したがらない人だった。彼女を取り巻く環境は決して楽とは言えないむしろ乗り越えるべき壁の多いものだったが、ユキエちゃんはそれを跳ね返さんとばかりにいつでも気丈だった。だが、そんな彼女もあまりの苦労に心を病んでしまったことがあったという。その事実をそれ以上具体的には語ってくれなかったが、俺はそれが前の旦那によるものだと察している。
 ユキエちゃんは端的に言って出来ちゃった婚だ。東京に出てきて一年、まだ専門学生だったユキエちゃんが初めて愛した男との子だった。男としてその過ちを断罪するわけじゃないが、覚悟を持って選択をするのではなく成り行きでやるしかないから籍を入れた。というのは決して"有り"と言ってやることは出来ない。実際、カートが一歳の誕生日を迎える前に男はある日仕事から帰ってこなくなったらしい。よくある話と言えばそうなのかも知れないな。
 だからカートは6年間ユキエちゃんと生きてきた。そこに父親は居なかったのだ。なので尚更カートにとって父親という存在は異質なのだろう。カートはそんな父親について不自由に感じているそぶりを見せたことはなく、まだ本人に前の父親のことを聞かれたことはないとユキエちゃんは言っていた。父親がいなくて当たり前という訳だ。そういう意味でも、俺のこのタスクは相当な難題なのだ。
 これだけ重大な問題だと初めて突きつけられたのは、ユキエちゃんの実家に挨拶に行った時だった。出逢って一年半、付き合い始めて半年くらいだったか。前旦那のこともあり正式に交際の了解を得るような目的で挨拶に行った。降り積もる雪で凍りに凍った蛇腹の坂道を果てしなく登った先にあるユキエちゃんのお爺ちゃんが建てたのだという二階建ての木造建築はあまりにも立派で、ユキエちゃんの都会的で普通な人、というイメージとのギャップにパンチを喰らわされた。ちなみにいくつも山を所有している大地主だそうで、そのうちの一つはユキエちゃんの名義になっているそうだ。アルプスの大地主ユキエ。う〜ん想像の余地なし。
 玄関で迎えてくれたのはお母さんだった。しわくちゃの笑い皺でようこそと言ってくださり、訳も聞かずお茶をすぐお持ちしますからねと暖色で包まれた廊下を先導してくれた。お父さんは、俺たちが通された部屋の囲炉裏の向こう側で胡座になり火鉢で炭を叩いていた。
 「始めまして。東京で優貴江さんとお付き合いをさせていただいております。吉井航太朗と申します」
 俺のガチガチに固まりきったテンプレートな挨拶を聞いた後、お父さんは俺たちを一瞥して先ず居直り、腕を組んだのだった。ユキエちゃんはそれを合図ととって俺に座るよう促し、俺たちは対面して幾らかの時を待った。
「翔人はどうしたんな」
 俺は無視された。居ないことになっているのか?認識してくれているのか?この時はお父さんのことが分からなかったのでなかなかに困った。この問いにはユキエが答えた。
「今日はお泊まり会よ」
「そうか」
後に聞いたことだけど、ユキエちゃんが心を病んでいた時1年ほどはこの実家に預けられていたらしい。ユキエちゃんも帰って来いと言われていたが、負けたくないから、と絶対にかぶりを振り続けたらしい。誰に?とその時は思ったが、その答えがなんとなく怖くて聞けなかった。とにかくお父さんは翔人のことを気にかけていた。俺はこの時意外に思っていた。では交際のことはお咎め無しかと舞い上がってさえいた。
「お前達が一緒になるんなら、翔人は長野で暮らさす」
 全く持って意味がわからなかった。それは俺たち家族の問題であって、あなたの娘が決めることでしょうと。いや、俺は家族じゃないんだけれど。ユキエちゃんも同じように反論していた。家族喧嘩に挟まれるというのはなんとも行き場がない。加わろうとも思わないし逃げるのも違う。ということで俺はこの時「まぁまぁ」と「でもほら」と「落ち着きなよ」をただ繰り返していた。
「大人の都合で巻き込んで子供を押し込める気か。親が2人になって楽になるってのは親の話だら。翔人にとっちゃ母ちゃんがこっち見んくなるとしか思わんら。ましてや大人の男と過ごしたこともない子が、怖くない訳ねぇら」
 この言葉だ。お父さんがこう言ってくれてようやく俺とユキエちゃんは自分たちがやろうとしていることの罪深さに気づくことができた。すでに守るべき子がいる俺たちはもう青年の恋愛のようにはならない。夜な夜な彼女の名を呼んで駆け回った時代は過ぎ去り、もう俺たちは次の世代に引き継ぐためにお辞儀をして緞帳を閉じなければいけない。こんな大きな矛盾を俺たちは犯そうとしていたのかと、お父さんの言葉に打ちのめされた。
 ユキエちゃんと俺は夕飯をいただいてその日のうちに実家を後にした。帰りの車の中で俺たちは一言も喋らなかった。確か、日本一星空が綺麗な村だったんだっけな。記憶の中の帰り道は街灯も一切なく、全天周に群勢が生き生きと広がっていた。

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