見出し画像

国連とユネスコとIOC(SDGs14.a その2)

戦後間もない1954年、茅誠司さん(※1)はウルグアイのモンテビデオにいました。日本として初の国際社会への復帰として参加したユネスコの第8回総会に出席するためでした。茅さんは世界に向けてこう言いました。

「未知の領域として残された海洋の総合的な開発研究に取り組むべきである」(※2)

その一言は世界の海の認識を一変させました。

国際連合は、第2次世界大戦の惨劇を繰り返さないために作られた国際平和と安全の維持のために作られた組織です。簡単に言えば「世界平和のための世界組織」といったものです。国際連合には労働や金融、海事や農業といった20の専門機関があります。その中でも教育をつかさどるのが国際連合教育科学文化機関、通称ユネスコ(※3)になるのです。

争いはお互いがわからないからこそ起きてしまう。だからこそお互いを知る勉強、つまり教育が必要ですよねといった形で作られた国際組織がユネスコです。(※4)敗戦直後の日本人から突きつけられた一言に世界は度肝を抜かれました。それまで、神の領域ともいえる海は呼吸する空気と同様、あって当たり前の存在でした。海の研究は人類が海に出た1万年以上も前から行ってはいるものの、その広大すぎる領域ゆえに思うほどの研究が進んでいませんでした。でも、茅さんは海を研究することの重要性と可能性をオールアースで取り組むことを訴えたのでした。そうして1960年、海洋科学の調査や研究活動に関わる組織の政府間海洋学委員会、通称IOCができたのです。(※5)IOCはその60年、津波の警報や観測方法から、近年では海洋プラスチック、海洋酸性化、ブルーカーボンとさまざな調査や研究を重ねてきました。

IOCの研究対象 参考https://ioc.unesco.org/

そして満を持して、IOCの研究の成果を発揮するときが来たのです。2017年国連総会でいよいよ狼煙が揚がりました。それが「海洋科学の10年」宣言。正式名称「持続可能な開発のための国連海洋科学の10年」。今までの海洋科学の研究を最新技術を掛け合わせて、世界中の海に関わるすべての人が豊かな海を取り戻すために行動する大規模な仕掛けを組んだのでした。


※1、第8代目東京大学総長。東大総長の中でも他大学出身であり、庶民派と呼ばれる総長。『小さな親切』を説き、1つのムーブメントを起こす。
「“小さな親切”を、勇気をもってやっていただきたい。そしてそれが、やがては日本の社会の隅々までを埋めつくすであろう親切というなだれの芽としていただきたい。」海洋物理学者 日高孝次氏と共にと今日大学海洋研究所を創設する。
歴代総長の物語 - 東京大学
公益社団法人「小さな親切」運動本部  「小さな親切」運動本部について
https://www.kindness.jp/about/
※2、笹川平和財団 ユネスコ政府間海洋学委員会(IOC)と日本の海洋学コミュニティ
※3、国際連合教育科学文化機関、通称ユネスコ(UNESCO:United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)
※4、文部科学省 ユネスコとは 「ユネスコ憲章 前文」
※5、政府間海洋学委員会、通称IOC(Intergovernmental Oceanographic Commission)1954年の茅誠司氏のが海洋問題特別委員会の設置の提案により想起し作られたユネスコの傘下組織。海洋に関する包括的な政府間委員会であり、海洋科学調査及び研究活動に係る唯一の国際機関。
https://ioc.unesco.org/

参考 日本ユネスコ国内委員会
https://www.mext.go.jp/content/20210811-mxt_koktou01_01.pdf


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?