革命前夜のモドカシイ気分(日常にまつわる)

 久々の投稿になった。最近、疲れて本も読めていない。映画も見られない。今まで、余計な事に、ムダばかり費やしてきたから、合理的に時間を使いたいと思うが、なかなか上手くいかない。
 何か行動に起こしてみたいけれど、世間の目を気にしていたり、また同じ過ちを繰り返したり、時間と資金を食いつぶしてしまい、悪いことを犯したような気持ちになってしまう。
 ベルナルド・ベルトルッチ監督の『革命前夜』の主人公のような、或いは、大江健三郎氏の『万延元年のフットボール』の蜜三郎のような、そんなもどかしい気持ちをずっと抱えている。

 通勤経路や映画館・美術館に行く時に電車に乗るのだけれど、制服を着た女子高生達の髪色が、様々な色彩に富んでいることに、自分は驚きを隠せない。金髪や茶髪という王道の感じから、インナーカラーを青や緑色というアバンギャルドな色に染めたり、全体的に赤やピンクになっていたり、髪の色で、花畑を作れるのではないか、と思ってしまう。もちろん、黒髪の人もいる。寧ろその方が多いのかもしれないが。
 もしも今、自分が高校生だったら、恐らく発狂して、目も合わせられないだろう。ましてや好きな女性だったら、ショックで、嫌いになるのかもしれない。その前に、何かボタンの掛け違いや噛み合わない会話のせいで、嫌われているのかもしれないが……。
 高校時代、気になる女性の一人が、髪の毛を染めたことにより、ショックを受けた。先輩や同期から、変な風にいじられるし、自分も黒から茶色に変色したことによって、嫌な衝撃を受けた。その後に少し話したりもしたが、その時に耳に輝くものがあって、さらに追い討ちを掛けたようなきがした。何度か昔、その人を12月辺りに誘ったが、どうもダメだった。気になる人をイルミネーションに誘うというテンプレートは、この頃から定着して、今日の今まで染みついている。
 でも、最近感染症が蔓延しているから、誘いたくても誘えない。2020年に、一度ほとんどのSNSのアカウント、いらないと考えたり、悪いものを想起させるような連絡先を削除した為、誘えるような人も皆無だ。
 何故か昔、ピアスや毛染めを題材にした漫才も頭の中で考えていた。「親からもらった身体に穴を開けるなんて、言語道断だ!」とか、「髪の毛を染めてチャラチャラしやがって!日本人なら男も女も黒髪しか認めない!」みたいな、ボヤキとも説教とも区別のつきがたい、変な偏見にまみれたボケを考えていた。大学に入学したら、殆どの人、特に女性は、髪を染めたり、パーマをかけたり、耳にピアスのホールをあけたり、お洒落な服を着たりするのか、と思っていたが、あまりそういうのが無くて、というか、こちら側が気付いていなくて(鈍感なところもあった)、少し覚悟していたが、安堵と落胆した部分が入り混じっていた。
 といっても、気になる女性を概算で数えてみたら、100から先は覚えてないが、その中で好きだった人はたった1人くらいにしか満たず、本当に愛していた人は皆無だと思う。第一「好き」と伝えていないし、白黒はっきりしないまま、曖昧に終わったり、こちら側が違和感を覚え、遠のいたりするからだ。仲良かった先輩は、私自身に好きな人がいたのに、色んな人に声を掛けたり、保身のためにマッチングアプリをしたりする姿に「だらしがない」となじるし、自分も本当に好きになる、愛することが出来る自信が無いから、色んな女性を見たり、誘ったりして、散漫な状態になっていた。どれも大事だと思ってしまうから、そのうちの一つが拒絶された瞬間に、「自分はダメな人間だ、また失敗した、落伍者だ」という烙印を押されたように思えてしまい、女性全員を敵に回したようになってしまう。第一、今が幸せかどうか分からないし、相手のことも上手く考えられないのに、他人を幸せに出来るか、と思ってしまう。

 何故か以前に、そごう美術館でやっていた「ジャパニーズ・ウエディング展」というものに行った。よくよく考えてみたら、自分自身、実は結婚式というものに行ったことがないし、今後心が通う友達と呼べる人が出来たって、恐らく行かないかもしれない。前述のように、招待されるような、本当に心が通えている友達や仲間がいないし、信頼できる或いはお世話になっていた先輩からも、そういうのがない。
 理由の一つは、他人の幸せを目の当たりにすると辛い気持ちが募ってしまうからだ。高校時代のことは、トラウマやいじめ、屈辱的な出来事で溢れていたし、大学時代の一部分は余計なプライドや被害妄想を抱え、集団に迎合出来なかった。新卒時代に3年目で結婚した同期がいたが、当時自分は精神疾患を患い、行かなかった。というか、行けなかった。あの時、同じ地区のLINEグループから離脱しても、心配される声もなく、「その程度の関係だった」という落胆の強い気持ちに苛まれた。また、新卒時代のLINEグループにいたが、結婚式の写真が送られ、嫌な気持ちになった。それが原因で退会した。
 誰かと仲良くなりたいのだが、自分が周辺を否定したり、拒絶したりするから、良くないのかな、と思ってしまう。思い込みで、壁を未だに高く立ててしまう、そんな悪い癖をどうにかしたい。誰とも向き合わず、逃げているだけなのかもしれない。

 以前に、金井美恵子氏の『愉しみはTVの彼方に』という映画にまつわるエッセイ集を読んだ。そこに、テレビの画面で見る映画はイミテーションに過ぎない、みたいな記述があった。確かに、映画は大画面で見たいし、サウンドもスピーカーから出るものを聞きたいけれど、時間は有限だから難しい。因みに、文章を書いていて、自分は、「この文章を読んでいる人は、パソコンなのか、スマホなのか、文字のサイズはどれくらいなのか」とか、余計な事を考えてしまう。

 そういえば、昨日、六星占術ブームを巻き起こした占い師が83歳で亡くなり、今日、愛に生きた小説家・尼僧が99歳で亡くなった。神として崇められていても、結局は人間だし有限な命だから終わりが来る。一抹のさみしさを感じ、自分はまだ革命を起こしていないなあ、なんて思う。いや起こさなくて良いのかもしれない。でも、生きている証を何かしら打ちつけたいよなあ。過去も未来も考えずに今現在に集中したい。

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