身体性の高いテルミン演奏と時短

 静岡の教室が引っ越ししました。駅ビルの上にあって、移動に関しては至極便利でしたが、バスでの移動が必要な場所への引っ越しとなりました。私は田舎暮らしが長くどこに行くにも車を用い、バスはほとんど利用したことがありません。使ってみると交通系ICカードは使えるし、大きな液晶ディスプレイが車内にあって、これからどういうバス停に止まるかについてもよく分かるなど先進的で、たいへん便利。しかし乗り降りについては問題があります。半身麻痺で楽器ケースを片手に持つ人が使う交通手段ではない。幸いこの日は穏やかな天気に恵まれましたが、大雨に遇い、楽器ケースに加え傘を差してバスに乗り込むことなど、想像できません。

 両手が空くようにリュックサックを背負っていますが、片手にテルミンのバッグを持っているので、うまくバランスがとれません。交通系ICカードのタッチ作業もあって、バスに乗り込む際、こんなに大変だとは思いませんでした。無事教室に到着でき、生徒さん達にテルミンを誰かが交代で持ってきてくれないかと相談したところ快諾してもらえ、次回から楽器を持っていかなくて済みそうです。これで最大の難関だったバス通勤も、なんとかこなせそうです。

 この日はお休みの生徒さんも多く、じっくりレッスンに取り組めました。演奏に対する私の注文は細かく、テルミンの演奏など、ピッチさえ取れていればよいと考える人にとっては、こだわりの観点が時に理解してもらえません。私の観点は特に音量や緩急制御において細かいのが特徴。他人が演奏する演奏は制御する項目が複数連動せず単純。聞いていて退屈してしまうことが多い。
 生徒さん達は開講以来20年の長きに渡り受講してくれていて、「宇宙の言語」のようだと評される私の演奏に対する注文にも、演奏内容で応えられるようになりました。メディアに何度も取り上げられた頃に受講し始めた人たちの多くが去り、いなくなりました。

 数々の受難と思えることもありましたが、私同様、根気よく取り組める生徒さん達と共に、テルミン演奏で音楽の美を求める私の夢は、お弟子さんたちと共に叶えられようとしているのかもしれません。私自身そうだったように、自分でできるようになるには時間がかかる。テルミンのような身体性の高い楽器は特にそう。時短を求める人はその時間が待てない。この長い時間はフィルターの役割も果たしたのかもと、これまでの道程を振り返って思いました。

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