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【第二十六回】           何者にもなれなかった50男の物語

会社のメンバーにはぼくが
原因不明で失踪したことにした

色々と憶測が飛んでいたらしい

会社から資金を流してもらい
ぼくは新事業にとりかかる

この時今までのビジネスが軌道に
乗るまでどれだけ苦労したか?

それを思い出していれば
始める前にもっと真剣に準備を
していただろう

この時のぼくはなんでもできる
と心の底から思っていた

暫くは着手せず中国で生産して
日本へ販売する仕事をしていた

ぼちぼち流行り出していた
ネット販売の生産を請け負った

希望の品があれば材料と工場を
求め中国全土を飛び回った

この時は仕事も楽しかったので
精力的に動き回った

香港のHSBCに口座を開き日本の
顧客からはそちらへ送金させた

時々銀行へ金を引き出しに行った

中国人と仕事をしていたが香港へ
行けるのは日本人のぼくだけ

そしてぼくは香港へ行く度に
スーパーで食材を仕入れていた

中国人と生活すると3食中華で
さすがに飽きてしまうので

ホテルへ行ったり自炊したり
バリエーションをつけていた

そして会社で借りていた一軒家

各部屋にシャワールームがあり
公共トイレもあった

ところが衛生観念が違うので
トイレは何度掃除しても無駄

床はあっという間に泥だらけ

結局ぼくは自分の部屋だけ
キレイに掃除して鍵をかけた

ぼくもズボラだが彼らのトイレ
は本当に汚くて使えない

それでも床だけは頻繁にモップ
がけをするんだよな

外国人だから全く理解を越えた
行動にもいい加減慣れた

ぼくはどんどん経済が上向く
中国に追い込まれていた

真綿で締められる様にぼくは
ダメージを受け続けとうとう
帰国を決意した

この時も中国の仲間から逃げた

夜逃げのように早朝のバスに乗り
携帯の電源を切り空港へ向かった

こうして長かったぼくの中国時代
はあっけなく幕を下ろした

帰国してから暫くは留学時代の
友人宅にお世話になった

手元には3千万程あったので毎日
遊びながら適当に暮らしていた

9.11事件のあった年

2001年のことだったので
今でも覚えている

ぼくがまだ30代前半の時だ

その頃親友は中途で就職したばかり

新米サラリーマンの給料でも
ムリしてぼくに付き合っていた

その後彼は出世してまあまあの
年収を得るようになった

いつまでも親友にお世話になる
わけにもいかず母の実家へ飛んだ

母の実家は叔父が一人で暮らしで
部屋は山ほど余っていた

田舎へ行ったぼくはやっぱり
毎日遊んで暮らしていた

日中はぷらぷらし凝った料理を
作り酒におぼれる毎日だった

出世へ向けて地道に暮らしている
親友とは違いまだ可能性を信じて
会社をおこした

この時になってもぼくは自分が
会社経営が出来ていると思ってた

実際会社を作るのは簡単なこと

何をやりたくて会社を作るのか?

何が出来るのか?

それは喜ばれることなのか?

実はそこが肝心で仏作って魂を
入れていなかった

そんなぼくの情けない話はまた
次の機会にしようとおもう

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