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おばあちゃんの死

あれは忘れもしない、2011年3月のことだ。

あの月は東日本大震災があり、福島県にある実家は東電からは離れているものの、被害に遭っていた。

その頃私は東京にいたが、少なからず災難に遭っていた。その月の月末には引っ越しの予定があり、一時はどうなるかと思ったが何とか無事に引っ越すことができた。

引っ越して間もないある日、不思議な夢を見た。長い黒髪の女性がキッチンに立って、美味しそうな料理をたくさん作っていた。そのすぐ近くのドアから私は女性を見つめている。会ったことのあるような、なんだか懐かしいような、でも思い出せない。

女性が私に気づき、家の中へ招き入れた。

「来てくれてありがとうね。私はもうすぐいなくなるの。だからみんなが会いに来てくれてるのよ。」

私は何のことだかさっぱりわからなかった。

私は家の中へ入った。そして来ていた人たちを見回した。そこには見たことのある人もいた。私はもう一度女性を見た。

「あ・・・。」

その女性は私の母方のおばあちゃんだった。しかし目の前にいるその姿は若い頃のもので、知るはずのない私はなぜか確信していたのだった。

「おばあちゃん!」

と声をかけると、おばあちゃんは

「ありがとう、ありがとうね。」

と言って、私は夢から覚めた。

あまりにもリアルだったので私はとても気になり、実家の母に連絡をした。

その当時おばあちゃんは実家の施設にいた。母が毎週世話をしに行っていたのだが、その都度いつも元気に笑顔で迎えるような人だった。母は数日前に施設へ行ったがおばあちゃんは変わりなかったと言われた。

なんだ、ただの夢だったか。予知夢を見るクセがあったので気にしすぎだったようだ。

そう思っていた数日後、おばあちゃんの容体は急変した。急に意識不明の状態になり、持って数日かもしれないと連絡がきたのだ。

その当時地震の影響で、東北新幹線は復旧のめどが立っていない状態だった。兄弟とも東京に住んでいたので、会いに行きたくても行けず辛い思いをしていたのを覚えている。

私は祈った。

「どうか私たちが行くまで待っていてください。元気になってください」

その祈りが通じたのか、奇跡が起こった。新幹線が動き出したのだ。そしてまた奇跡が起こった。おばあちゃんが意識を取り戻したのだ。

しかしおばあちゃんは脳をやられてしまい、誰も分からなくなっていると言われた。ずっとそばにいた母でさえも分からないと。悲しいことだが、それでも意識を取り戻した奇跡に感謝した。そして私たち兄弟は実家へと帰ることができた。

すぐさま私たちは施設へ向かった。すると、またしても奇跡が起こったのだ。おばあちゃんが急に記憶を取り戻し話すことができるようになった。

おばあちゃんは私たちを見ると泣きながら

「ありがとう、ありがとう。」

と、声にならない言葉を発していた。私はおばあちゃんにあの時の夢のことを聞いてみた。

「おばあちゃん、この前私の夢に出てきたよね?ちゃんと分かったよ。ありがとう。本当にありがとうね。」

それを聞いて理解したかどうかは分からなかったが、おばあちゃんはうんうん、と言ってうなずいてくれた。

それがおばあちゃんの最後の笑顔だった。

私たちが東京へ戻って数日後、おばあちゃんはまた容体が急変し息を引き取った。しかしおばあちゃんの顔は安らかだったそうだ。


私は小さい頃から不思議な力をもっていた。そして予知夢もよく見ていた。リアルなものは外れたことがなかった。もしかしたらおばあちゃんは私の能力を知っていて、自分の事を伝えたかったのかもしれない。


おばあちゃんが亡くなって49日くらいになる頃、また不思議な夢を見た。古い丸テーブルの横に、小奇麗に着飾ったおばあちゃんが、今度は50代くらいの姿で座っていたのだ。

おばあちゃんは私を確認すると、

「本当に今までありがとうね。私はこれから上に行くけど、元気でね。ありがとう。」

そう言って消えていった。おばあちゃんは最後の最後まで律儀に挨拶をしに私の夢にきてくれたのだった。今思うと、おばあちゃんはあの時、すべてを整理して、もう思い残すことがなくなったのだろう。だから正装して、上に行く準備をし、行く前に私に最後の挨拶をしに来てくれたのかもしれない。


苦労したおばあちゃんの手はいつもしわくちゃで、あたたかくて、その小さな手で心を込めて作ってくれた「炭酸まんじゅう」が私は大好きだった。今となってはもう食べられないが、おばあちゃんとのたくさんの思い出は決して忘れないだろう。

おばあちゃん、私の夢の中へきてくれてありがとう。

私たちが帰るまで待っていてくれてありがとう。

そして、たくさんの奇跡をありがとう。

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