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僕と『妄想代理人』と今敏さんと/LESS北山

最近は記憶がどんどんおぼろげになって来ていて、昔のドエライ出来事とか誰かに言われた貴重な話とか、ふと消しとんでいたりする。他人から指摘されて「ああ、あったな」なんてこともしばしばだ。ノイジーズという音で残すのは前からやっていたが、先日「ちゃんと文面にも残した方がいいよ」という家人の薦めがあり、noteという日記がせっかくあるのでそうすることにした。

なので、20年とか経ってノイジーズで違うことを言い出していたら完全な記憶違い。未来の自分よ、間違えるなよ、ということでここに記しておくとする。

さて、一般的に僕がアニメのTシャツデザインで(枚数的に)初めて世に認知されたのは「かんなぎ」という作品のものだと自らトークイベントでも語ったりしているが、実は仕事としてはそれ以前から色々手掛けていたし、そこそこ業界内では評価を受けていた。その中でも『妄想代理人』という作品は特別で、最初にこのデザインを褒めて頂いた木原浩勝氏(作家/元スタジオジブリ製作デスク)とはそこからかなりの年月を経て、氏のイベントTシャツでタッグを組んで作ることになったりもするのだが、それはまた別の話。今回はそのTシャツを褒めてくれた2人目の人物であり『妄想代理人』の監督である、今敏氏の話を書きたい。

今作品ファーストコンタクトは『千年女優』という作品の試写だったと記憶している。「いい作品でしょー?Tシャツにいいと思いませんか?」と配給会社にお薦めされた。が、正直自分の中ではどうデザインしていいのか浮かばなかったのでその場でお断りしたのを覚えている。次の『東京ゴッドファーザーズ』もありがたいことに試写に呼んでいただいたが、同じ印象。ただ「作品としては凄い!」というのは都度はっきり伝えていた。しかも2回とも「『パーフェクトブルー』なら浮かぶんですけど」とか失礼なことを言っていた気もする。よく考えたらそれは言う必要はなかった(笑)。

でもその次の今氏の作品『妄想代理人』というTVシリーズは違った。今度あるのでTシャツはいかがですか?とこれまたありがたいことに別の会社からオファーをいただき、1話と2話の入ったビデオを送ってもらった。そして、「これはやりたい!というかやらせてください!」と観終わるころにはすぐ電話をかけていた。平沢進の音楽が以前よりさらにぶっ飛んでいて、その時点でももうこりゃスゲエだったのだが、ローラーブレードでバットを持った少年が襲ってくるという内容にワクドキが止まらなくなった。そしてTシャツデザインはテンションの高いうちにあっという間に終わり、非売品を含む3種類のデザインが世に出ることになる。

それまで試写にしてもデザインをしている時でも製作陣と話をする機会は全くなく、当然ながら今敏氏との面識も一切なかった。まあ、それはデザインをしている身からすれば普通のことで、版権担当者や監修担当者を介してでしか物事は進まないもの。しばらくして、ロフトプラスワンのイベントで自分の手掛けたTシャツがプレゼントになってましたよ!とか聞いても「ああ、そうだったんですか。ありがとうございます。」というくらいのもので、ただただ普通に応えていた気がする。

<プレゼントでもらった方の日記。サイン入だったのか!>

そんな自分が今氏を紹介されたのはその『妄想代理人』放送後にあった全話をみんなで観ようみたいな渋谷のイベントの際。ありがたいことに作品の良さのおかげでTシャツはそのころほぼ完売状態だったが、残った少しのものを物販コーナーで売ることになったので、完売の瞬間を見に来てくださいよ!と言われ行った、そのタイミングだった。

初対面の今敏さんは既に酔っぱらっていた。「トークイベントとかね、ほんとうは苦手で」とボソボソ喋っていたが、僕がTシャツのデザインをしました、というと少し大きな声で「あの黒の、すごくよかったです、ありがとうございました」と丁寧に言ってくれた。そしてまた飲みに消え、しばらくしてまた戻ってきたときにはさらに酔っぱらっていた(笑)。僕は遠巻きに座っていたのだが、発見したのかトイレに行くタイミングだったのか、今さんは僕の近くに来て、「黒のTシャツのあの腕についているプレートはシリアルナンバーですか?」と聞いてくれた。「そうです、世界に2つと同じものがない方がいいと思いまして」というと「おもしろいことを考えてますね。ああ、そのままおもしろいことをやっていったほうがいい。それが一番あなたにとってもいいです」と笑って、また自分の席にもどっていった。なんだか、凄く嬉しかったので、僕はもう充分となってまだやっていたイベント会場を後にした。仕事がしたくなったのかもしれない。そこのところはよく覚えていない。

その後、今敏氏は『パプリカ』を発表。これまで何等かオファーをもらえていた僕だったが、その際は何も来ず、そして、「また仕事をやっていれば、会えることもあるのかな」と気楽に考えていたら、いつの間にか氏はお亡くなりになった。亡くなった後氏のHPには自身が好きな映画100が掲載されていて、そのころノイジーズを一緒に収録していた柿崎俊道氏が「あれを順番に観たらすごく楽しいですよ」と話していたことを思い出す。

僕の記憶にあるのは酒に酔っぱらい、僕の目線を外しながら笑っていたあの顔。そして言葉は少なくとも僕にくれたちょっとしたアドバイスだった。


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