語彙が来い

語彙力が凄いね、と言われたのは小学校6年生の時で、その頃にはもうセンターレベルの現代文と随筆なら難なく解けるレベルの頭がありました。

それから勉強というものを全て放棄し、詩の考察ばかりやっていた中学の3年間。

そして座学から離れ恋愛に溺れた高校の3年間。

小学生の頃秀才だったことは事実なので、受験勉強もろくにせず、なんだか学部名がわくわくするので入った大学で、私の語彙が田舎のヤンキーによって塗り替えられていた事を知る。

これでも、大切な事を伝える時にはできる限り言葉のチョイスを誤らないように“おかたい文体”でお手紙をしたためてしまう人間なのですが、それでもやっぱり語彙の品性が終わってしまっているので、私はかつて凄いねと言われた語彙を再生させるため、数年前に広辞苑を買った。

広辞苑。買って分かったのですが、重いしでかいし、全然開かんから部屋の片隅で置物になってる。広辞苑で漬物とか漬けたら、賢くならんかね。

なんか、売るのは違うと思うんよ。なんかプライドが許さんっていうか、広辞苑が部屋にあることは、語彙を増やしたいという意欲の現れだし、それは未だにあるので。

広辞苑を積ん読。積ん読本は置いておくだけで想像力が駆り立てられ、頭に良いなんて言いますが、広辞苑もそれと同じで置いておくだけで頭が良くなった気がしてとても良いです。……全然良くないわ。

中身が伴っていないのに自分を賢いと思うことは大変危険ですので、やっぱりある程度の語彙を増やすまではヤンキー言葉でいこうと思う。実際、この年の中では頭もよくないしね。

頭が良くない人間が頭の良くない言葉を使っていたらそれはただの馬鹿なのではないかと思うのですが、私は実は勉強が嫌いなわけではないのでゆっくり自分のペースで知識と経験を詰めていきたいものです。


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