連帯、旅費、再教育

失われた青春へ


中学一年生の時、どんな生活をしていたかなんて今の今まですっかり忘れていたのだけれど、掃除をしていたら別室登校ファイルなるものが出てきて、それを手にしたことでありありとあの頃の記憶が蘇った。

別室登校ファイルということで、私は別室登校をしていた。

はじめ登校を拒否した理由は部活動における身体的な限界と人間関係のストレス、あとは生活リズムがどうしても合わずに毎日1時間半睡眠とかをしていたことによる無気力だろうか。前も書いた気がするが、本当に大会とか勝負とかどうでもよかったし、それに向かって一生懸命練習みたいなテンションに持っていくことができなかった。

それから、登校を2週間ほど拒否していたらいじめがはじまり、休むくらいなら別室登校しろと学校から言われたのがはじまりだ。よくいじめが原因で不登校に……なんて思われがちだが、実際の前後関係は逆である。

教室と家に居場所が無くなった人間達が集められた別室は、今にして思えばめちゃくちゃなルールがまかり通っていた。

いわば、教師が反抗期の生徒やモンスターペアレント達から受けたストレスのはけ口にしているような場所だった。

不登校でいじめにあった生徒が、教室で青春の思い出を作れないことをいいことに、奴らは別室メンバーで思い出作りをしよう、と提案する。

そこまでは良いことだ。ありがたい気遣いといえよう。実際別室メンバー達とはお互いの傷を共有し、独特な絆のようなものがあったから、メンバーとしては最高だったと言えよう。

ただ、私達には条件が課せられる。それが1ヶ月の教室登校だったり、一人で教室まで給食を取りに行くだったり、朝から毎日登校だったり、めちゃくちゃハードルが高いのだ。

たぶん、普通に教室に朝から登校できていた人にはわからない感覚かもしれないが、私達の学校に対するイメージは地獄そのものである。例え学校から1時間ずっと電話をかけられても、インターホンを鬼のように押されても、親に怒鳴られ殴られても、何がなんでも行きたくない。

誇張とかではなく、毎日学校のことを考えると目眩と頭痛がし、嘔吐する。そんでもってなんとか着替えるも、玄関から動けない。外に出たと思っても足が動かない。車で教師に無理やり学校まで連れて行かれるも、車から降りられず、校門で引き返すよう泣いて懇願する。過呼吸で息ができなくなる。

こっちは尋常じゃなく文字通り死ぬ気で生きてんのに、全く理解されない。というかたぶんそれすら面白がってるんじゃないかという登校に対する異常な執着。そして子供だからとナメ腐ったような教師たちの対応、頑張れば頑張るほどに上がっていくハードルに私達の青春や思い出はかけられてしまったのだ。

私達は別室に集まり、目に入る全てのものを破壊して、完全に不登校になった。

そんな夏の日の記憶。


嗚呼、鎌倉!江ノ島!!湘南!!!


旅費がない。交通費として頑張ってかき集めたお金が片道分しかない。

私の旅行の計画は崩れた。

そもそもなぜこんなに湘南〜鎌倉間にこだわっているのかというと、私の好きな人たちが好きだといっているからに他ならない。

そうして私は気が付く。好きな人たちが湘南や鎌倉について語っている記事やら何やらについてかき集めたら、擬似的に好きな人と一緒に旅行したことにならないか。

いや、というかそもそもキラキラアイドルに関しては一緒に江ノ島デートしてくれるイメージビデオを撮ってくれてるじゃん、やったー!!!

私は負けられない。行ったことのない土地しかないけれど、信頼できる感性の人たちが語る資料がたくさん手元にはある。

さようなら、私の旅行。
絶対いつか住むので待ってろよ。


積み重ねの甘さ


スマートフォンに入っている音楽を全曲シャッフル再生で流していたら、めちゃくちゃ大好きだったバンドのめちゃくちゃ大好きだった曲が流れてきました。

過去形にしてるのは、最近全然聞いていなかったからだけど、やっぱりこの残酷すぎるリアリズムがいいな、なんて思いました。

キラキラアイドルは手放しで応援してくれたりするんですけど、やっぱり積み重ねが甘いとかどストレートに言われると、自分を見つめ直すきっかけになったり、何をすべきかが具体的に見えてくるのでいいですね。

私が好きなバンドの作詞者たちは哲学とかいろいろかじっているので、そういうものの解釈とかが入ってきやすい言葉で詩に落とし込まれていると本当に面白いです。

自身が勉強したものを再構築、いや再教育されているみたいな感じでしょうか。

きっかけは一瞬でも、もう一度来た道を戻って己を見つめ直すみたいな時間がゆっくりとれるといいですね。



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