TPO〜!!

命削って偶像やって、命削って表現者として認められて、表現者のみんなで命削って作品作って、偶像だけが偶像として持て囃され、それに付随する(付随という表現の妥当は当然ながらに欠いている)作品及び表現者が蔑ろにされる現象について、偶像の側から苦言が出ましたね。

信者って、まじで視野が激狭で恐ろしいなって思いました。

これは偶像信者の視点で言っているのではなく、一表現者としてですが。偶像コンテンツを摂取する側は金を積んで自身が偶像に認知されれば良いと思っているのかもしれませんが、偶像もその他の表現者もその作品に命削って向き合っているので、まるっと偶像のコンテンツとして捉えられてはかなり辛いものがあります。

そういうことが続くと、偶像はメッセージ性の強い作品には使われなくなります。偶像を立たせるために作られた偶像と偶像信者のための作品にしか呼ばれなくなります。

そうなったら、コンテンツは衰退の一途です。同じ名前、同じ姿で舞台に立っていたとしても、偶像としてその場に立っているのか、表現者としてその場に立っているのかは信者は弁えなければなりません。

偶像は、信者には持て囃されますが、それが一般的な価値観ではないということ、信者のせいで世間的な偶像の評判が落ちるということを頭に入れなければならないと思います。

苦言を申した偶像について、攻撃をする自己の正義を絶対とする信者については、もう話し合いの余地はありません。

ただ、信仰の対象の偶像が信者の言動を持って干されないことを願うばかりです。

以上、試写会うちわ問題のお話でした。

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