悦ばしき知識
なにがあったというわけではありませんが、ニーチェの悦ばしき知識を少し読みました。
だからといって、ここで感想とかを書くとかもしなくて……というか、正確には感想を書くのがとても苦手なので、書けないんです。
その代わり自分は小説とかが書けるので、そういうインプットしたものを自分なりに解釈して、いろいろ混ぜ込んで、アウトプットしています。
というか、感想とかスラスラ言ったり書けたりする人って本当に凄いなって思います。自分は感想といえば「なるほどね」か「本当にわからん」か「今は難しい」の3つのパターンしかないです。今回のニーチェはなるほどねと今は難しいの混合でした。
さっき3つとかいいましたけど、「本当にわからん」な物を世間が絶賛しすぎると進化して「気持ち悪い」になります。間違っても、世間が気持ち悪いという意味ではなく、世間の価値観に自身が沿っていないという現実をありありと体感し、ストレスで気持ち悪くなっているのです。
私はそんなこんなで最悪な精神状態で見た「君の名は。」が全く心に届かず、世間とのギャップがトラウマになってしまい、未だ「天気の子」は見れていないですし、今回の新しい作品もアニメ関係の友人やジャニーズ関係の友人や、何なら全く新海監督に結びつかない友人達からもとてもおすすめされており、もちろん私だって見たい気持ちはあるのですが、見たい50ジレンマ50くらいで、いつもの引きこもり出不精に加え、田舎過ぎる為映画を見るのに交通費だけで映画が一本見れるという最悪な立地を言い訳にチケットすら取っていません。
最悪映画が心に届かなかったとしても、松村氏のイケボを映画館の良いスピーカーで浴びれることは確定していると思うと、まあそれだけで怖さは紛れるのですが、やっぱり映画館を出たときに「イケボだったなぁ」なんていう感想一本で出るのは恐ろしい。そうなってくると私は会うたびに「見た?」と聞いてくれる友人達にとうとうつかなくてもいい嘘をつく羽目になりそうだ。
皆、共有したいのだ。感動を。
私は仕方がないのでチェンソーマンの漫画を読んだ。デンジくんとマキマさんが映画館デートをしていた。いい映画に出会える確率の話とかをしていた。このつまんなそうな二人は私の姿と重なった。なるほどね。
いい映画だなって思っても、3ヶ月後とかにまた見ると、もう心が動かなくなってることもある。というか、そんなことばっかだよね。
「なるほどね」も「今は難しい」も「本当にわからん」も超えた「もう違う」。一度は分かりあえていたはずなのに、自分が変わってしまったことによってもうなんにも興味が持てなくなった恋人みたいです。
好きなセリフやシーンは覚えてるよ。元恋人との忘れられない思い出みたいな感じです。
これと通ずるのかは分からないけれど、私は小説を最近書けていません。普通に書く時間がないのもそうですし、書きたいことがありません。生活していても心が全然動きません。美しいものを美しいと思えない。破壊衝動もない。そんな状態で、私の給料は先月の2倍入りました。
尾崎豊がシェリーの中で「夢か金か分からない暮らし」と歌っていましたがそんな感じがします。だって私は夢に触れることすらできていない。私の書くものはそんなにつまらなく、そんなに誰の心にも響かないのだろうか。ゆっくりやらなければならないのに、私は生き急いでいる。
でも、中原中也だって30歳で死んじゃった。私あと何年生きられるのだろう。
ぐるぐる悩みます。そして、私はまた、ニーチェの悦ばしき知識を手にとるのでした。
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