虚無に近い

沼だね〜とか、好きだよとか、思ってないのに言うなよと、私は特定の人物に対して思うのですが、まあ思ってないのが分かっているからこちらは安心して受け流せる訳です。

さて、私の職場には沼っている側の人間が何人かいて、彼らは時にはしゃぎ、時に落ち込んでいる。私も何かに沼りたいと言うと彼らは「私の気も知らないで、とても辛いんだよ」と恨み言を言うけれど、その顔はなんだか嬉しそうに見える。

何か思い通りに行かない夢中になれるものがあるのは楽しいのだろう。連絡が来たら小躍りし、来なかったら膝を抱えて座り込む。一体なんだっていうんだ。

そういう意味では私の情緒は安定している。何も沼れない。好きになれない。好きな人はいるかもしれないけれど、客観的に見たらそいつはゴミクズなので沼ることがない。毎日会っていれば変わるかもしれないけれど、会わずに1週間も経てば忘れる。好きだという感情を忘れる。好きが、好きかもしれないに変わり、好きだった気がするに変わり、興味はあったに変わり、やっぱりそうでもなかったかもしれないに落ち着く。1週間。早いし、やっぱりそこまで好きではないのかもしれない。

職場の、彼らは何をそんなに夢中になっているのだろう。客観的に見たらクズっぽい人も「きっとそうじゃない」「自分のことが好きなんだ」と信じて、振り回されて。元気だなぁ、と思う。

私は沼も好きもよく分からない。だから沼と言われるのも好きと言われるのも怖い。思っていないならバカじゃねーの、冗談でも言うなよって笑えるけれど、本気なら逃げ出したくなる。どうすればいいか分からない。でも世間一般では沼とか好きとかそういう過程を経て恋人を作ったり、結婚して家族になるらしい。

私はずっとこのままなのかな。将来とかまだ、どうでもいいけど。また、誰かを好きになったり沼ったり、してみたい。

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