寿司テロと「罪と罰」

スシローの迷惑客の動画が出回り、SNS上で大騒動になっている。「けしからん」「テロ行為」「躾がなっていない」――。ほとんど罵詈雑言だ。そんなに怒るエネルギーがあるなら、子どものマスク虐待やコロナ騒動の公金の行方についてもっと憤ってほしいと思うが、それは本題ではない。ドストエフスキーの「罪と罰」において、秀才の元大学生で主人公ラスコーリニコフとマルメラードフの関係性は物語の中核をなしている。酔いだくれでダメ夫、元公務員だが己の弱さから仕事が続かず、過去に生きているマルメラードフ。ラスコーリニコフは、結果的には殺人を犯すのだが、その前日に、自分より「弱い人間」のマルメラードフに金を与えている。それ以降も色々とストーリーが進行していくのだが、それも本筋とは関係ないので記さない。

私が言いたいのは、なんと情けない人たちが増えたのだろう、ということである。回転寿司で迷惑行為をする。それはよくないことだろう。でも、あなたが「いやだ」と思うのであれば、あなたが回転寿司にいかなければいいのである。あなたは回転寿司チェーンの筆頭株主でもなければ、社長でもない。Mind your business!である。

ラスコーリニコフはマルメラードフとの出会いで、偽りの自信を深めたのと同時に、偽りの自分を発見した。マルメラードフは落ちこぼれであり、それを隠そうともしない。ラスコーリニコフはプライドがある分、他人や社会的な基準に依拠しなければ、自分を評価できない。終局的にラスコーリニコフがリザヴェーダらを殺したのも、マルメラードフの死に際して未亡人にカネを渡したのも、自分のためだった、としかいいようがない。

スシローで炎上した未成年の子どもと、それを叩く群衆(こんな奴らは”畜群”だ)にも同じような関係性が当てはまるのではないか。人は、自分より弱い人間を見ると安心して、それを叩きたくなる。叩く側の人数が多ければ多いほどもっと叩いていいような気がしてくる。日本において、何かが”炎上”するのは、自分の判断基準がない、文盲の大衆が、それを待ち望んでいるからなのかもしれない。第一、炎上したのは未成年である。もちろん、彼も愚かだが、彼を匿名で叩いている人たちは胸に手を当てて自分に問えばよい。「あなたは立派な16歳でしたか?」と。

こういう雑な論考に、私はソリューションを書かないようにしている(笑)どうにでもなれ、だ。

いただいたサポートはこれからのクリエイションに使用させていただきます。