大切にしている教え~おれはパスタが好きだ~

おれはパスタが好きだ

人生で壁にぶち当たった時、重大な決断に迫られた時、誰かの言葉が教えとなることがある。
かのポール・マッカートニーは亡き母が夢に現れ「Let it be(あるがままに受け入れる)」と囁いたことを糧に「Let it Be」を書き上げたと言う。僕にとってそんな教えとなる言葉、それはダンという少しばかりクレイジーなアメリカ人が言い放った「おれはパスタが好きだ」なのだ。

ダンという男について

この話をするにあたってまずはダンのことを語らなければならない。
こう見えて僕は20歳の頃、半年ほどアメリカでの語学留学を経験している。…僕の英語力に関して質問はしないでほしい。帰国後はそれなりに話せるようにはなっていたが、もちろん今ではまったく話せないし、この話の主旨ではないのであしからず。
とにかくアメリカで過ごすにあたってホストファミリーにお世話になったのだが、ダンは僕のホストファザーだった男である。年齢は当時で65歳だったかな?ニューヨークで生まれ18歳で空軍に入隊した退役軍人。フィリピン人の妻ジャスミンと38歳の息子、レオナルドとの三人暮らし。ホストファミリー業はジャスミンたっての希望で今までにも十人以上の留学生を受け入れているらしかった。
僕はこのダンという男に「自由の国アメリカ」を見たのであった。

ダンとの出会い

僕が留学したのはアメリカのカリフォルニア州にあるとある田舎町であった。人生初のフライトを終え、アメリカの地に降り立った僕は留学先である語学学校のチャーターバスに乗り、学校へ到着した。そこで僕を含む留学生全員がそれぞれお世話になるホストファミリーを紹介され、各ホストがそのまま自宅まで送る、という流れであった。
僕を迎えに来たダンという男は白髪長身で立派な口ひげをたくわえたTHE アメリカ人といった出で立ちであった。自分の父親よりも年上にも関わらず、服の上からでも分かるくらいに鍛えられた肉体。乗っている車はクライスラー社の旧態依然としたカクカクとしたこれまたTHE アメ車!といったイカしたセダン。もちろん僕は英語がまったく喋れないので軽く挨拶だけしてさっそく車に乗り込み家まで送ってもらうことになった。
アメリカのハイウェイを走ること30分、カーステレオからはラジオが流れていた。正直この時点で初めてのアメリカにえらく感動していたのだが、それはまた別の機会に話せたらな、と思う。
そうしてたどり着いたダンの家。ここで僕は半年過ごすことになるのだ。家に着くとダンと一緒に荷物を運びこんだ。そこでホストマザーであるジャスミンとも初対面。非常に陽気な女性であった。挨拶もそこそこにダンが僕を庭に連れ出した。そして彼は僕にこう言った。
「煙草吸うか?」
僕は当時喫煙者であった。だがアメリカは煙草が非常に高価だと聞いていたし、何より禁煙するいい機会だと思っていたので、ホストファミリーの希望に非喫煙者の家と書いていたのだが、ダンはばりばりの喫煙者だったようだ(ホストファミリーの希望はあくまで希望であって、通らないこともよくある)。
行きの空港で煙草とライターを捨てて禁煙を決意していた僕であったが、アメリカの空気の中で煙草を勧められたとなればそれはもう抗えない魅力であったので、一言「サンキュー」といって一本いただくことにした。Winstonという銘柄であった。
ところで僕が留学したカリフォルニアという町は非常に乾燥している気候のため火事が多い。なので州法で自宅であっても屋内では喫煙してはいけないと決まっていた。
だからこの時も、ダンと一緒に庭で煙草を吸った。周りには高い建物もなく、夕日が綺麗によく見えた。レッドホットチリペッパーズがカリフォルニケーションという曲の中で「最後の夕日が見られる場所、それがカリフォルニア」と歌っていた。「あぁこれが地球で最後に沈む夕日か」とこれまた感動しながら吸う煙草は非常に美味かった。
そして吸い終わった時に「灰皿はどこにある?」とダンに尋ねた。するとダンは「こうするんだ」と言って吸い終わった煙草を庭の柵からポイと横を走る道路に投げ捨てたのだ。
僕はびっくりしてつたない英語でそんな風に捨てていいのか、と聞いた。するとダンは「明日の朝になれば掃除夫が町中の道路を掃除していく。おれが捨てた煙草を掃除するのも奴らの仕事だ。お前が今から捨てる煙草のおかげであいつらの仕事が一つ増えるな」と言ってのけたのだ。僕はそんなもんなのか?と思いながら彼の言う通りに煙草を道路に投げ捨てた。そして「おれはとんでもない家にお世話になることになってしまったかも」と思ったのであった。

Not My Business

僕は通っていた大学の留学プログラムを使って留学したので、同じプログラムを利用して同時期に留学した同じ大学の日本人が数名いた。留学前の説明会などで何度も顔を合わせていたので、既に知った仲であったのだが、やはり異国の地では知っている顔がいると安心する。入国して3日ほど経ち、時差ボケも治った頃、いよいよ語学学校への登校が始まった。学校で久しぶりに同じ大学の知人で集まり話した。みんな無事にホストファミリーの家で過ごすことが出来ているらしい。それぞれどんな家だったかを話したのだが、やはりダンの煙草ポイ捨てエピソードは群を抜いてクレイジーだったようだ。「あまりにひどかったらホストファミリーの交換も出来るらしいよ」とアドバイスまでされる始末。
当の僕はそれも含めていい経験だ、と思っていたのでファミリーの交換はまったく考えていなかったが。
そうして始まった語学学校では新しい友人もたくさん出来た。もちろん日本人だけでなく韓国、中国、サウジアラビア、トルコなど色んな国の友人たちだ。みな慣れない英語を使って頑張ってコミュニケーションを取っていた。男同士だとやはり下ネタが盛り上がる。下らない下ネタで笑うのは万国共通らしい。
一か月ほど経った頃、みんな週末はどうして過ごしているのか、と話題になった。僕は時々、学校が開催する観光イベントに参加したりしていた。それがない時は家で形だけ英語の勉強したり、近所を散歩したり、スケボー(当時ハマっていた)の練習をしたりして過ごしていた。
みんなはどうか、と言うとホストファミリーに色々な場所に連れて行ってもらっている、という人が結構いた。キャンプに行ったり、おばあちゃんの家に行ったり、ちょっと遠くのショッピングモールに行ったり、てな具合に。
「へぇ、そうなんだ。僕のところは一度もそんなことないな」と思った。
そんな話をした日の夕方。家で過ごしている時にダンに話してみた。
「クラスメイトのみんな、週末はホストファミリーとお出かけに行ったりしてるんだって。どう?来週あたりさ、家族でどこかへ出かけない?ショッピングモールとかそういうところでいいんだけど」
するとダンは僕を真正面から見据え、低くてダンディな声でこう答えた。
「おれは学校を通してお前と契約している。その内容は学校への送迎と寝食の世話。だからおれはきっちりお前を学校に送り届けるし、夕食はママに用意してもらっている。それが出来ていなかったら報酬を貰う権利がなくなるからだ。おれとお前の契約に週末一緒にお出かけする、という内容はない。分かったかい?」
むちゃくちゃ無味乾燥な正論である。そう言われるとこちらとしても「確かに」と頷くしかなかった。
ところでみなさんは「not my business」という英語表現を知っているだろうか?直訳すると「私の仕事ではない」だが、この場合の「business」は「仕事」ではなく、「事がら」のような意味になり「私には関係ない」、もっと砕けて言うと「知ったことではない」のようなニュアンスの表現らしい。
しかしダンにとって週末に僕とお出かけに行くことは契約に含まれていない、つまり本当の意味での「Not my business」だったわけだ。

エア・ショウへ行こう!

ダンという男(とその妻と娘)と一緒に暮らしてから早3か月ほどが経った。周りの友人たちにダンのエピソードを話すたびに「ホストファミリーは交換しないのか?」と聞かれるが、僕はこの家で過ごすことに居心地のよさを感じていた。はっきりとした物言いも日本人では珍しいかもしれないが、これぞアメリカ人と考えたらまさに異文化交流なのだ。
さて、先日週末のお出かけを提案して断られた僕であったが、ある日、ダンからこう話しかけられた。
「来週の土曜日、エア・ショウに連れて行ってやる」
エア・ショウとは空軍が開催する飛行機の展示やフライトショウが見られるイベント。先日週末にお出かけは行かないと言ったが、反省したのか。いやそうではない。空軍出身のダンは飛行機が大好きなのだ。自分が行きたいイベントなのでついでに僕を誘ってくれた。本当に子どものような無邪気な男である。
理由はどうあれ、初めてのエアショウに行けるのは僕も楽しみだったのでとにかく嬉しかった。
会場は家から30分ほど車を走らせたところにあった。空軍がゲートで身分証の提出を求めたが、ダンのことは知っていたようで顔パスで入場。ちなみに会場内はいたるところに「NO SMOKING」の看板が貼ってあったが、ダンはおかまいなしに煙草を吸いまくっていた。
「見ろよ、あれ!むちゃくちゃかっこいいだろ‼」と目をキラキラさせながら僕に話しかけて来る。本当に子どものような男である。
気をよくしたダンは二本缶ビールを購入し、一本を僕にくれた。飛行機をアテに飲むビールはこれはこれでまたおいしかった。二人で酒を飲みながら色んな飛行機を見たり、フライトショウを眺めて「ブラボー」と歓声を上げた。非常に楽しいひと時であった。
ところでこのダンという男、非常に酒に強い。飲んでは空け、飲んでは空ける。そのたびに僕にもビールを買ってくれる。なかなかのハイペースで飲む。僕は酒に弱い性質だが、日本人が舐められるわけにはいかない!と勝手に自分が日本代表のような気分にもなっていたので必死に食らいついた。結果僕は結構酔っぱらったのだが、ダンはしらふかと思うくらいに平気に歩いていた。2時間ほどでイベントが終わり帰ることに。思いがけない誘いから来たエアショウであったが、とても楽しく、大満足であったが僕はふと「二人とも飲んでしまっているけど帰りは誰が運転するんだ?」と気になった。
駐車場に着きそんな疑問を頭に浮かべていたが、ダンは当たり前かのように運転席に座った。僕も流れで助手席に。
そして車は動き出した。完全なる飲酒運転であった。というか彼は運転しながら右手にまだ缶ビールを持っていた。飲酒しながら運転であった。
こいつ、まじでクレイジーだな、と思いつつも酔っぱらってハイになっていた僕はそれすらも楽しくなっていた。
傍若無人に飲酒しながら運転をするダン。帰り道、後ろから救急車のサイレンが聞こえてきた。道は片側2車線のとても大きい道路であったが、ダンはサイレンが聞こえるとすぐに車を路肩に寄せ救急車が通り過ぎるのを待った。禁煙スペースで煙草は吸うし、酒を片手に車を運転する破天荒(誤用の方の意味で)な男だが、救急車にはしっかり道を譲る。そんなところに僕はまた好感を抱いてしまった。

Don’t Stop Smoking

ある日、家に帰ると玄関の前に血にまみれたタオルが捨ててあった。びっくりしてホストマザーにあれはどうしたの?と聞くと「ダンが吐血したのよ。彼はひどい喘息持ちでね、医者からも煙草をやめろ、と言われているのに一向にやめないの。それで時々血を吐くのよね。まぁ気にしないで」と返って来た。
時々吐血するほどひどい喘息持ちなのに煙草をやめないダン。僕はダンに「どうして煙草をやめないの?死んでしまうんじゃない?」と尋ねた。するとダンは「おれは16歳の時からずっとWinstonを吸っている。煙草はもはやおれの体の一部だ。血を吐くからなんだ?煙草をやめて寿命が延びたところで何が幸せなんだ?」と言い切った。
やはり煙草は「やめられない」のではなく「やめない」のだ。昨今の禁煙ブームの中、時代に流されることなく生涯スモーカーであり続けることを宣言したダンが不覚にもかっこよく見えてしまったのだ。

おれは裁判所に行かなければならないんだ!

ある土曜日のこと。明日はいよいよ僕がこの家を退去するという日だ。ダンは僕を友人の家で開かれるパーティーに連れて行ってくれることになった。朝から車に24缶入りの缶ビールの箱を二箱乗せてご機嫌なダン。「こうして各自が肉やらなんやらを持ち寄るんだ。おれはビール担当だ」と鼻歌交じりであった。
実はこの二週間ほど前にもパーティーに連れて行ってもらったりもしていたのでエアショウもそうだが、結局こうして時々週末に色々と連れて行ってくれているダンに僕は感謝した。
訪れた家は庭にプールがあるこれまた「THEアメリカ」な感じの家で、僕たちが到着した頃にはもう既にたくさんのダンの友人が集合していた。全員空軍時代の仲間だとのことだ。
みなそれぞれ夫婦で来ていたのだが、ダンも含めてフィリピン人と結婚した男性がとても多かった。空軍の中でフィリピン人を娶るブームでもあったのか?
まっ昼間からビールと肉を食らう。大量の酒と肉だ。先にも書いたが、僕はアルコールに弱い。しかし弱みを見せると日本人が舐められる、とこれまた頑張ってしこたま飲んでいた。
そうそう、この時に人生で初めて葉巻を吸ったんだ。ダンの友人がオススメしてきて「サンキュー」と一本もらった。思いっきり吸い込んで肺に煙を入れた瞬間、思いっきりむせ返りそうになるくらいきつかった。が、これもむせたりしたら日本人が舐められる、と必死で肺に入れて行った。あとで知ったのだが、葉巻は本来ふかして(肺には煙を入れず吸った煙をそのまま吐き出す)楽しむものらしかった。通りでキツイと思ったわけだ。
アメリカンパーティーはとても楽しく、あっという間にお開きになった。帰り道、ダンはまた缶ビールを片手に愛車を走らせながら珍しく真面目な口調で僕に話しかけてきた。
「楽しかっただろう。あれは全部おれの大切な友人だ。お互いが信頼し合っている。お前も日本に大切な友人がいるだろう?」
僕は地元の連中の顔を思い浮かべた。アメリカに来てからまだたかだか5カ月ほどであったが、随分と懐かしい気がした。
「友人は本当に大切だ。あいつらの誰かが金を貸してくれ、と言ったらおれは何も聞かずに求める金額を渡す。もちろんおれがお願いしてもみんな同じように貸してくれるだろう。あいつらの誰かが死んでしまったら、おれたちは残された奥さんをみんなで世話をする。そういう信頼関係があるからな。だから逆におれも安心して逝くことができる。おれが死んでもジャスミンのことはあいつらに任せておいたら安心だ。お前も日本に帰ったら友人のことを大切にするんだ。金を貸してくれ、と言われたら貸せばいい。いつだって助け合える、そんな友人を大切にするんだ」
僕は助手席で大泣きしていた。普段あんなに傍若無人な男が友人の大切さを僕に真剣に伝えてきてくれているのだ。僕は彼の言う通り、地元の友人を一生大切にしよう、と心の中で誓った。
退去前日にこんなに感動させられるなんて思ってもみなかった。明日、ダンが学校に送ってくれる。それが彼の最後の仕事だ。きっとその時、僕はまた泣いてしまうだろうな、と思った。やっぱりホストファミリーを交換しなくてよかった。こんな素敵な話を聞けたのだから。
明くる日、荷物をまとめて僕がリビングに行くとダンが何やら焦った様子だった。話を聞くとバッテリーが上がって車のエンジンがかからないらしい。ダンはこの時ちょうど陪審員に選ばれていて、僕を学校に送り届けたあとその足で裁判所に行かなければならなかった。
そして彼は携帯電話を取り出し、友人に電話をかけ出した。その電話で彼は日本人でも分かるくらいの汚いスラングをこれでもか、と使った。感覚的には「このクソ車」とか「役立たず」とかそんなニュアンスだと思う。
そして聞いていると友人にこう話した。
「おれは11時に裁判所に行かなければならないんだ!そう、陪審員。それなのにこのクソ車がうんともすんとも言わねぇ!どうなってんだ!あぁ裁判所に行かなければ。あ、そうだ、それと家にいる留学生を学校に送らなければならないんだ」
僕のことは完全についでであった。彼の頭の中では11時に裁判所に行くことで一杯。なんだかそんないつでも自分を優先するダンを最後の最後まで見られて僕は嬉しくなった。
結局その友人が車を貸してくれることになった。四駆のでかい車だ。さすがダン、困った時に助けてくれるいい友人を持っている。
はじめましての挨拶もそこそこに「ヘイ、行くぞ!荷物を詰め込むんだ!」と僕を急かすダン。まさか最後のドライブがいつもと違う車になるとは。
学校についても感動のお別れなどもちろんあるはずもなく、軽くハグをしたくらいだ。彼は急いで車に戻り裁判所へと向かって学校を飛び出した。あわただしい最終日であったが、僕は「これでいい、いやこれがいいんだ」と思った。

「おれはパスタが好きだ」

さてここまでダンという男の人柄について書いて来てある程度は彼のキャラクターが伝わったと思う。自由奔放で自分の意思を曲げない頑固者、そしてちょっぴり子供っぽい、そんな男である。
前置きが長くなったが、いよいよ本題。僕の人生の教えとなっている言葉について。
それはある日のこと。留学前に「現地のホストファミリーに日本食を作ってあげるのもいいでしょう」とガイドに書いてあったので、当時は料理がまったく出来なかった僕はこれなら自分でも作れる、と思いそうめんを一式持って行った。アメリカ生活に少し慣れて、英語での会話もちらほら出来るようになってきた頃、ホストマザーのジャスミンに提案してみた。
「そうめんっていう日本の食事を持ってきてるんだ。もしよかったら今日の夕食は僕に作らせてくれないか?日本食をごちそうするよ」
ジャスミンは大喜び。何度もありがとう、と言って快く僕の提案を受け入れてくれた。
キッチンでそうめんをゆがく。簡単な料理だ。めんつゆに刻みネギ、チューブの生姜を添えてあっという間に完成だ。箸の使い方と麺をつゆに入れて食べる、という食べ方をレクチャーしディナーが始まった。ジャスミンとレオナルドは「ベリーグッド」と言って嬉しそうに食べてくれていた。
ジャスミンがテレビでNBAの試合を見ているダンに「ヘイ、ダンも食べな。日本食を作ってくれたんだよ」と話しかけた。
するとダンはスッと立ち上がり冷蔵庫を開けてタッパーを取り出してこう言い放った。
「おれはパスタが好きだ。ミートソースのな。ママが作るのは逸品だ。そんなうまいかどうかも分からないヌードルはいらない」
彼の持っているタッパーには作り置きのミートソーススパゲッティが入っていた。そう言えばダンはしょっちゅうパスタを食べていた。
僕が、いや僕たちがダンの立場だったらどうしているだろう。海外の人が「異文化交流に」と現地の料理を振る舞うと言って来たら、それがうまいかどうかも分からなくて、むしろ自分の好み的に嫌いっぽい料理でも「ありがとう」と言って食べるのではないだろうか。
そしておいしくなくても「おいしいね」と言うのではないだろうか。
もちろんそういう「和」を大切にする僕たちの習慣はとても大切だ。そうすることで円滑なコミュニケーションを図れるし、無駄な争いが起きない。
でも僕は思うのだ。僕たちはもう少しダンみたいに自分のことを優先したっていいんじゃないか、と。自分にとって自分ってとても重要なもののはずだろう。
人生で壁にぶち当たった時、重大な決断に迫られた時、僕はほんの少し自分を優先してみるのだ。「自分は本当にこれがやりたいのか」「みんなは喜ぶだろうけど、自分にとってこれは嫌なことじゃないのか」。
ダンのように出された料理を「いらない」と一刀両断するほどの勇気は僕にはないけれども、ほんの少しだけ自分を優先させてみる。そんな「自分を大切にすること」を僕はちょっぴりクレイジーなアメリカ人に教えられたのだ。
「おれはパスタが好きだ」、人が聞いたらなんともない台詞だが、そんな何気ない一言が僕にとっては大切な教訓だったりするのである。

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