とんでもないクレーマー~闇夜に煌めく日本刀~

「殺してやる」



僕の目の前には目を血走らせて日本刀を携えた男が立っていた。その男を妻であろう女性と、母親と思われる女性の二人が必死に止めている。
ちなみに妻であろう女性は妊娠しているようだ。お腹が膨らんでいて、妊娠8カ月ほどといったところであろう。

なんでこんなことになったのか。振り返ってみたいと思う。

その日、僕はいつも通りアルバイトに精を出していた。シカゴピザ山科店という宅配ピザ屋のバイトだ。いつもと違うのは店内にエリアマネージャーと呼ばれる本部の社員と、今日からこの店に配属された新しい店長がいる、という点だ。
僕が働いていた山科店は長らく店長が不在の店舗であった。もうすっかりベテランアルバイトであった僕は店長代理という名誉あるポジションに就いていた。アルバイトながらシフトを組んだり、発注やその他事務処理を任されていたのだ。いわゆるバイトリーダーってやつだ。
かなり面倒くさい業務ではあったが、店長代理手当がもらえたので、一人暮らしの僕にとってはありがたいポジションだ。
そんな店舗ではあったが、いよいよ店長が久しぶりに配属されることになった。僕の長い店長代理期間も昨日でおしまい。今日からはまた一アルバイトとして気楽に働く、そんな一日であった。

「店長代理手当がなくなるってことは収入がグッと下がるな。これはいよいよ俺も就職活動を始めなきゃいけないか」などと考えながらピザを運ぶ。宅配ピザの仕事は一旦注文が入り、デリバリー業務が始まるとバイクでのんびり一人の時間を楽しめるので、僕は非常に楽でおいしい仕事と思っていた。ちょっと遠い場所への配達なら行って帰ってもう一時間経過、なんてこともあるしね。

店内ではエリアマネージャーが新店長に色々と手ほどきをしていた。この新店長、僕よりも年下ではあったが大阪の繁忙店で店長を任されていたやり手の店長らしい。
店長代理として僕も引き継ぎ業務に加わったりもした。そこでこの山科店の配達エリアの特色の話になった。
ぶっちゃけて言うと、山科という土地はガラが悪い。時代錯誤のヤンキーが町中を闊歩しているし、あの悪の巣窟、ヤンキー御用達のドン・キホーテが嘘か誠かあまりにも万引きが多すぎたということで開店して1年ほどで閉店に追い込まれたり。
そんな地域なのでクレームが多い。配達時間にちょっとでも遅れようものならこちらがどんなに謝っても罵倒を繰り返す客とか。でも実際に遅れてしまったのならこちらに非はあるのでまぁ分からなくもないが、明らかに自分で一切れ食べたあとに「一切れないねんけどどないなっとんねん!」と苦情入れて来る客とか、毎回ピザに髪の毛が入っている、と言ってくる客とか理不尽極まりない迷惑な客も死ぬほど多い土地なのだ。
とあるコンビニが空き店舗のまま数年放置されていた。聞くところによると山科はやばい客が多すぎるのでオーナーがやりたがらない、見つからない、なんて話だったりする。
ちなみに他の宅配ピザ屋がどうなっているかは知らないが、シカゴピザでは注文の受付パッドに「要注意」ボタンがあって悪質なクレーマーなんかは要注意登録が出来る様になっている。なので配達時間に余裕を持たせたり、なんなら注文を断ったりもできる。いわゆるブラックリストってやつだ。
しかしながらクソみたいなクレーマーは新しい電話番号で新しく顧客情報を登録しなおしたり、悪知恵を働かせ、ブラックリストをかいくぐり注文してきてはクレームをつける。本当に人間の最下層にいる性根の持ち主だったりするのだ。

そんなクレーマーたちが非常に多いので気を付けてください、と新店長にアドバイスをした。新店長はどうやらここに配属される前から山科という地域に関しては聞かされていたようで「やっぱり面倒くさい客多いんですね」と少し落ち込んでいた。
隣にいるエリアマネージャーは「クレームなんてたいしたことない。おれが今までどれだけクレームの処理してきたことか。扱い方のコツがあるねん」と自慢げに語っていた。

そしてディナーの時間帯に突入し、ぼちぼちと店舗が忙しくなった。僕は引き継ぎ業務に一段落をつけ、またデリバリー業務へと戻った。
とある配達業務を終え店舗に戻ると新しいピザが焼きあがってデリバッグにセットされていた。
「青山さん、次これよろしくお願いします」と新店長が告げた。注文票を見るとここから10分程で配達できる住所で新規のお客様からの注文であった。配達予定時間にもかなり余裕がある。僕は「了解です」と答え、その注文をバイクの荷台に乗せ出発した。
鼻歌を口ずさみながらバイクを走らせる。気候もあたたかく心地よいドライブだ。
長年バイトしている僕は当然道を間違えることもなく裏道を駆使し、難なく目的地へとたどり着いた。注文者はとある団地の一階に住んでいた。
インターホンを鳴らす前に伝票と表札の名前があっているかを確認する。そのついでにデリバッグの中身も確認した。すると注文票にはMサイズのピザ一枚とサイドメニュー(ポテト)の記載があるのにピザしか入っていなかった。
僕はファインプレイ!と自分を褒めた。商品を渡すタイミングで「あれ?一品忘れている」とならずに事前に対策が打てるのだ。さっそく携帯電話を取り出し、店舗に電話を掛けた。
電話にはエリアマネージャーが出た。

「あ、もしもし、青山です。今到着して商品確認したところポテトが入っておりません。まだインターホンは鳴らしてないのですがどうしますか?」
「了解。今から作るから先にとりあえずピザだけ渡しておいて。10分くらいで届けに行けます、と伝えて」
「わかりました。よろしくお願いします」

電話を切った僕はインターホンを鳴らした。「はい」という軽やかな声で玄関から出てきたのは20代半ばほどの女性であった。身重らしくお腹がぽっこりと出ていた。僕は最初にまず謝罪をした。

「すみません、こちらの商品なのですが、ご注文されていたポテトをこちらのミスで入れ忘れておりまして。さきほど店に連絡し、今作っておりますので、すみませんがポテトだけあと10分ほどお待ちください」

すると女性は笑顔で「あ、全然大丈夫ですよ。ありがとうございます」とピザを受け取って代金を支払おうと財布を取り出した。その時、奥の部屋から「ピザ来たんけ?」と30歳前後の男が出てきた。旦那であろうその男性は煙草をくわえながら妻に近づいた。
妻は「ピザ届いたんやけど、ポテトを持って来るの忘れて今作ってくれてはるねんて」と言いながらピザを旦那に渡した。すると男が突然怒りだしたのだ。

「どういうことやねん、こら!」

怒号である。すぐに怒りの沸点に達する人のことを「瞬間湯沸かし器」などと比喩することがあるが、まさにその様相。男は一瞬で怒りの頂点に達したようで、喚き散らしながらこちらを威嚇してくる。
僕はサイドメニューを鞄に入れ忘れたこと、店舗に連絡はしてあって今作っていることをもう一度丁寧に説明し、そして謝罪した。
しかし当然男の怒りは収まらない。「責任者を呼べ!今ここで電話しろ!」とまさに僕の胸ぐらをつかむ勢いであった。
僕は安堵した。「責任者」、これは昨日までなら店長代理の僕のことになる。しかし今日からは違う。店には店長がいる。しかも今日はさらに上の立場であるエリアマネージャーもいるのだ。こんな怒り狂った男の相手をするのが自分ではなくていいと思うとすごく安心した。
「少々お待ちください、責任者に連絡しますね」僕はただのアルバイト店員で阿呆のようにピザを運ぶだけのデリバリーマシーンなんです、というオーラを出しながらその場で店舗に電話した。
「もしもし、青山です。エリアマネージャーに代わってもらえますか」と言い、現状を説明した。スパスパと煙草を吸いながら男はこちらをにらみつけている。どうやらポテトはもう焼きあがったようで、今から持っていく、5分ほどで着く、とのことだった。
「どうなってるねん」と電話中の僕に男が問いかけてきたので、その旨を伝えた。まさに板挟みである。もう二人で直接話してくれたほうがスムーズなのに、と思った。
「お前はここに残れ。お前が帰ったらもっかいお前に運ばせるつもりやろ。ほんで責任者にポテト届けさせろ!」
怒りながら僕に伝えてくる。変なところで頭が働く男である。
ということでエリアマネージャー直々にサイドメニューは運ばれることになった。
電話を切ってからの5分間。僕は何をするでもなく、客前でぼーっとしていた。だって出来ることがないからね。男はずっと煙草を吸っている。一体何本吸うんだ、この男は。
限りなく気まずい時間である。男はまだ怒りを滲ませていたがしがないただのバイトオーラを出す作戦が功を奏したようで、僕に対しては何も言ってこなかった。
5分後、デリバイクに乗ってエリアマネージャーが到着した。僕は正直、少しわくわくしていた。クレーマーの取り扱いには自信を持っていたエリアマネージャーがどんな対応をするのか。そのテクニックが間近で見られるのだ。僕ならこんな瞬間湯沸かし器の相手はしたくない。
「大変お待たせいたしました。こちらの手違いでご迷惑をおかけして申し訳ございません」と謝りながらサイドメニューを取り出した。
男は「お前、どないなっとるねん!」と大声を張り上げながら吸っていた煙草をエリアマネージャーに投げつけた。「わお」と僕は心の中で驚嘆した。「火のついた煙草を人に向かって投げつける」、小学生でもそんなことしてはいけません、と火を見るより明らかな行為を平気で実践するこの男、僕が思っていたよりもやべぇやつかもしれない、と。

「大変申し訳ございません」

エリアマネージャーは平謝りであった。彼のクレーム処理テクニックは今のところまだ見られなかった。
「おい、ピザと一緒に頼んだサイドメニューが遅れて来るってありえへんぞ!ピザ冷めてもうとるやろ!どうすんねん!」
確かに男の言うことには一理ある。あつあつのピザと一緒に食べようと楽しみにしていたポテトが届かない。待っている間に先に届いたピザは冷めてしまう。これではがっかり。怒りたくなる気持ちも分かる。まぁ怒りすぎだろ、とは思うけれども。
この時、部屋の奥からもう一人、妙齢の女性が出てきた。「なんや、どないしたん」と男を嗜めている。どうやらこの女性は男の母親であるようであった。
母親と妻の制止も聞かず、ひたすら吠え続ける男。この怒り狂う男の妻、母親とは思えないほど女性二人はまともなようで、必死になって男を宥めようとしてくれていた。

「大変申し訳ございません。今回こちらのミスで大変ご迷惑をおかけしましたので、お代は頂きませんので」

エリアマネージャーはそうそうに無料カードを切ったが、それがまた男の逆鱗に触れたようであった。
「お前、タダにしたらええと思ってるやろ!」そう言って玄関から奥の部屋に入っていったと思ったらまたすぐに戻って来た。手には日本刀を携えて。

「殺してやる!」

そう言いながら男は鞘から刀を抜いた。「模造刀だよね、真剣が家にあるわけないもんね」と僕は思った。今思えば模造刀であっても家にあるのはおかしいのである。
「あんた何してるん‼」と止めに入った母親にびんたをする男。
「もうやめて!」と縋りついた妻を蹴り上げる男。
男女平等とはこういうことだ、と言わんばかりの傍若無人っぷりである。

「もう警察呼ぼ!」母親が叫んだ。「おう、呼べや!こいつ殺して刑務所入るんやったら本望じゃ‼」国家権力さえこの男をビビらせることは出来なかった。たかがポテト一つが遅れただけで人を殺す。人の価値観ってのは本当に千差万別。人って不思議だね。

ちなみにエリアマネージャーはただただ立ち尽くしていた。僕は男の殺意が自分に向かないように空気と同化していた。「僕はここにはいませんよ」と。
「黒子のバスケ」の主人公、黒子テツヤにも負けないほどの影の薄さを発揮していた。

そして男が刀を振り上げ、エリアマネージャーに近づいた時、母親が言った。
「もうあかん、お父さん呼ぼ。電話して!」と。

すると男は振り上げた刀を下ろし、少し冷静さを取り戻しエリアマネージャーに詰め寄った。
「いい加減な商売してんなよ!商品用意し忘れるとかありえへんぞ!」
「まことに申し訳ございません。今後二度とないように気を付けます」
「お前らのとこでは二度と頼まん。商品置いて帰れ。」

そう言って男は部屋に戻って行った。エリアマネージャーは残された妻にお代金は結構ですので、と伝えてポテトを渡した。結局ピザの代金もなしにすることになったようだ。
そして僕たちはそれぞれのバイクで店まで帰ることになった。クレーム対応に自信のあったエリアマネージャーは何もできずにあわあわしていたところを僕に見られたことが少し恥ずかしそうだった。一言だけ「ありゃとんでもねぇな」とだけ呟いてバイクのエンジンをかけたのであった。

僕がここに到着してからもう一時間が経過していた。やっと解放されてほっとしながらバイクに乗り込んだ。やっぱり山科やべぇ地域だな、新店長、がんばれよ。と心の中で呟きながら、警察にも怯まなかったあの男をびびらせる「お父さん」は一体どんな怖い男なんだろう、と思ったのであった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?