見出し画像

ロック史上屈指の名ドキュメンタリー「スパークス・ブラザーズ」の抑えておきたい4つのポイント

どうも。

日本ではこれが公開なんですよね。

はい。稀代のポップ・バンド、スパークスの軌跡を追ったドキュメンタリー、「スパークス・ブラザーズ」。羨ましい限りです。ブラジルではやっていません。

ただ、僕は幸いにして、この映画の宣伝担当をされている会社のご好意で見させていただきました。頼んでいたわけでもなかったので、すごく嬉しかったです。

一昨年に書いていた、この記事が効いたのかなあ、と思っています。

このスパークスなんですけど、70年代ちょうどグラム・ロックとパンク/ニュー・ウェイヴの間の時期に「アート・ポップ」的な感じでイギリスで人気がありました。ただ、そのセンスはニュー・ウェイヴ、とりわけシンセポップの元祖としてリスペクトされました。90年代以降長らく低迷が続いてもいたんですけど、2000sから盛り返し始め、2017年には43年ぶりの全英トップ10返り咲きの奇跡的快挙を成し遂げます。その次作のアルバムも再びトップ10に入り、今や、このドキュメンタリーと、レオス・カラックスの映画「アネット」の脚本を書いたことで一躍、その存在がキャリア史上最高の脚光を浴びています。兄ロン・メエル、弟ラッセル・メエル、ともに70代を超えています。

 そして、このドキュメンタリーなのですが、これはもう、少しでもポップ・ミュージックに興味があるのなら、絶対に見たほうがいい!

 もう、オススメです。ポップ・ミュージック史上で希な奇跡の復活を果たしたアーティストが、いかにそれを可能にするだけの下地と潜在的な才能があったのか。このドキュメンタリーはそれを遺憾なく表現してるので。

 ここで、見ておきたいポイントを示しておきましょう。

①メイル兄弟の少年時代の意味

本人たちも言っていますが、「イギリスのバンド」と間違えられるメイル兄弟はアメリカはカリフォルニアのバンドです。それがなぜに、あのような超文系、超ユニセクシャルなポップ・ユニットとなったのか。それは育ちによるものです。

 ロンが1945年、ラッセルが1948年の生まれですが、それはすなわち、高校、大学時代のビートルズやローリング・ストーンズの影響、直撃世代です。それが60年代を若者として生きた人たちの特権です。

 ただ、それだけじゃなかった。メイル兄弟は大学時代、映画マニアでデタラメなフランス語で「偽ヌーヴェルヴァーグ映画」を自主制作で作っていたんです(笑)!

 この言い分が好きでね。「60年代、アメリカ人でイギリスのロックを聞くということは、フランスのヌーヴェルヴァーグや、ベルイマンの映画を見るのと同義だったんだ」。こう語ったのはラッセルだったんですけど、すごくわかるんですよね。アメリカの60sを生きた人にとっては、これこそがオルタナティヴなサブ・カルチャーだったわけです。ゴダールやトリュフォーのようなヌーヴェルヴァーグ、ベルイマン、フェリーニ、アントニオーニ。こうした、アメリカから見て外国の監督が作った映画がハリウッドのオルタナティヴとなり、それがやがてアメリカン・ニューシネマにつながった。これはメイル兄弟以外の口からも聞く話です。

 そして、僕としては、これに近い感覚の同世代のアメリカ人アーティストにも思いをはせるわけです。それはトッド・ラングレンだったり、エリック・カルメン、リック・ニールセン、スティーヴン・タイラー、ブルース・スプリングスティーン。この人たちにも同じような影響を僕は予てから感じていたんですけど、この原初の影響を最も生々しく表現し続けているのがスパークスなんだということがわかったのは大きな発見でしたね。

②音楽評論家も顔負けな、全ディスコグラフィー・フォロー

 そして、これすごいのは、全アルバムをフォローしてるんですよ。まるで、レコード・コレクターズの世界です!映画のドキュメンタリーでこれやってるの、初めて見ました!

監督エドガー・ライトの「ディテールの美学」、そのものですよね。

普通、このアプローチやられたら、かなりの興味を持っていないとだれるはずなんですけど、テンポの良い見せ方、ユーモアの織り混ぜ方、ポイントとなるところでのドラマの見せ方がうまいので全く飽きないんですよ。この点に関して言えば、僕もすごく勉強になりましたね。このブログにも生かしたいくらいですよ(笑)。

 そして、その間の共演者、影響を与えた人たちのリストがすごい。70sの時点でトッド・ラングレン、トニー・ヴィスコンティ、ジョルジオ・モロダーと共演ですからね!

 影響の与え方も、イギリスのグラムから、シンセポップの先駆、アメリカのニュー・ウェイヴの人気者と、その都度イメージを微妙に変えていて。

特に印象的だったのは

デペッシュ・モードの創始者で、今もイレイジャーを続けているシンセポップ・レジェンドのヴィンス・クラーク。彼が「シンセポップのアーティストがなぜ男性デュオが多いのか」の理由として、スパークス1979年の「Number One In Heaven」をあげてて、「スパークスの二人から音楽とファッションを学んだ」と語った時に、すごく腑に落ちたんですよね。

https://www.youtube.com/watch?v=y5XyvCwPguc

あと、1974年にイギリスの「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出た時の影響の大きさも語られてますね。おかしかったのは「なぜヒトラーがバンドに!」っていう反応(笑)。

あと80s初頭のLAではニュー・ウェイヴは超クールなトレンドで、スパークスが地元のカリスマだった、という話も初めて聞きました。ゴーゴーズのジェーン・ウィードリンとの共演の「Cool Places」は中学生だった僕も当時、結構ラジオでかかってたので知ってましたけど、そこまでビッグに流行ってたのは知りませんでした。

③危機の乗り越え方の達人


そうした、「作品を中心とした軌跡」で見て面白いものであるのですが、やっぱり一番共感を得るポイントは、「危機の乗り越え方」。やっぱ、これに尽きます。

 最初の危機は、イギリスで人気が落ちた70sに早くもやってきていて。そこで「セックス・ピストルズが出てきてやばいと思った」と危機感も本人たちが認めていたりもして。そこを彼らはシンセポップやアメリカでのカルト人気でまず乗り越えて。

 そして90sが圧巻というか。この時期、彼ら、レコード契約が長期でなかったんですけど、その時に映画のプランを進めていて、ティム・バートンが実現しそうだった、ということですね。こんな創造エネルギーがあって、それがさらに20数年後に「アネット」として花が咲くとは。

 で、バートンの企画が経ち消えになって、かなり精神的に落ち込んだようなんですが、それをインディでの音楽活動に転化させて、そこから音楽的にも蘇り始めた。素敵な話だと思います。

④メエル兄弟自身のバイタリティの強さ


そして、これらを可能にしてきた二人のバイタリティがとにかく愛さずに入られません。

 ぱっと見、ヒトラー髭のロンの方が曲者っぽく見えるんですけど、彼自身は気難しそうに話す中、たまにニヤっときついジョークをかますタイプなんですけど、弟のラッセルの方が陽気でテンション高くて、むしろ変なヤツなバランスが良いです(笑)。

 そして、そのキャラの濃さが年をとればとるほど強まっていったのも、この二人の強みで。2008年には「発表したアルバム21枚を、21回のライブで全てやる」という無謀な試みをやってます。「最近のアルバムの曲を覚えていたら、もう前の作品の曲を忘れてるから大変だった」と、若いバックメンバーの証言も出てきて、笑えます(笑)。本人たちも平然と「ああ、あれは大変だったね」と語ってて(笑)。ただ、これが伝説化して、復活の足がかりとなったところもあるんですよね。

 そして、フランツ・フェルディナンドとの共作アルバムも、あれ、もともとラッセルとアレックス・カプラノスがロサンゼルスを歩いててばったりあって、ラッセルが「ほら、10年前に共演しようって言ったよな。あれやろうよ」といって実現したという。口約束に刺せないところがすごいというか(笑)。あれでフランツがタジタジになるくらいのパワー見せて、そこから商業的な復活のきっかけにもしたという。

 そんなスパークス、超文系バンドですけど、ロンは散歩、ラッセルはジム通いを日課にもしていて体調管理にも気を配っていることも明かされたりもして。これは僕も日常を反省することにもなりました(笑)。

・・・という感じです。

ここに書いてあることにピンときたら、すぐ映画館に行ってください!




































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?