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「邦ロック」に関して、いろいろ個人体験で思い出したこと

どうも。

最近、X(ツイッター)で、こういう企画がありました。

この「2000年以降の邦ロックベストソング」というオールタイム企画。結構、賛否も含め盛り上がってましたね。僕も多少、発言しています。

僕は日本に長いこと住んでないこともあって知らなかったのですが、邦ロックという言葉、半ば蔑称的に使われてるようですね。その原因は人によって色々のようで、僕の意見もその中のワン・オブ・ゼムでしかないと思っています。

ただ、気になったのは

僕がチラッと言っただけのつもりだったこの発言が、思った以上の反応をされたことでした。

僕ですね、90年代の終わりにNHKで「ライブビート」というスタジオ公開録音のライブ番組、立ち上げから担当してて4年くらいやってたんですけど、後述しますがシーン作ったアーティストが結構出てまして、それがそこそこ知られたことで、会社やめてフリーの音楽ジャーナリストになった際も、個人ライブ・イベントとか日本のバンドの取材とかも2000年まではやってたんですね。その頃、その関係の仕事をよくやっていたこともあって、その印象で僕のことを覚えていらっしゃる方も少なくないようです。

ただ、それをなんで辞めたか、なんですが、理由は細かく言えばもう少しあるのはたしかなんですが、その一つに「バンプ・オブ・チキンが理解できなくて『これゃ、まずい!』と感じた」ことが実際にありました。

99年の夏前だったと記憶してますが、まだギリギリでライブビートやってたときに、まだインディだったバンプの関係者の方から、出演の依頼を受けたんですね。インディで話題だったことは当然僕も知ってたし、当初は乗り気で下北沢にライブ見に行ったんですね。ところがこれを見て、お断りをしてしまったんですよね。

その理由は、サウンドのフォーマットこそオルタナっぽいものの、「あまりに歌謡曲っぽいな」と感じてしまったから。

あの当時、ライブビートの基準としては「グランジ/オルタナやブリットポップと共鳴するタイプ」にしてたんですね。そこ行くと、ギターサウンドこそ、それっぽくはあるんですけど、メロディがあまりにもそこにはまらなさすぎるなと。

ただ、そのときから猛烈に売れそうな予感だけはしたんですよ。それは、そのメロディがまずそうでしょ。一回聴いただけでメロディ強烈に残りますから。あと、そのライブの場にいたお客さんがライブビートの常連客の人がいなかった上に、その層(大学生から20代)よりもさらに若かったんですね。さっき言ったような、洋楽とリンクして聴いてなさそう(あとで知った話し、実際にしてなかった)な感じがしたから。

イメージとして思い出したの、まさにこれだったんですよ。


BOØWYですね。

僕が、高校の頃、80年代半ばですね、ちょうどバンドブーム前夜で、ロック、もしくは自作自演系のアーティストが勢いよく台頭してて、洋楽リスナーだった僕もかなり興味持ってたんですよ。そのときに一番人気になったのが彼らで、そのときにやっぱ、そのメロディが僕、どうしても受け付けなかったんですね。

ただ、これが売れにうれまくって、そのうち彼らのフォロワーみたいなバンドであふれかえるようにもなりました。高校生のコピーバンドもそういう感じでね。今でも忘れないですけど、高1の時点で洋楽しかなかった学祭のコピバンが、たった1年で8割邦楽に一気に変わりましたからね。その影響力足るや、桁外れでした。

ただ、そうなったときには、僕はもう邦楽聴くのをやめて、また洋楽しか聴かなくなってました。だってコピバンやってる人たちも、こないだまで日本のアイドルしか聴いたことなかったような人たちもゴロゴロいたから。「そういう人を目覚めさせるのが、本当の力だ」というのは今でなら事実だと思います。ただ、当時はそれを認められなくて、ずっと否定してました。

それが、渋谷系以降、あの当時「外資系ロック」なんて言われ方をしてましたけど、せっかくまた日本のロック、レベル上がって面白くなったのに、それがまたあの時のようになってしまうのか、とすごくおそれたんですよ。

 そうしたら、2000年の秋のことだったと記憶しているのですが、バンプがロッキンオン・ジャパンの表紙にインディの状態でなったんですよ。あれを見たときに「ああ、その時、ついに来たな」と思い、この時に「邦楽やめよう」と思ったのでした。

時期も時期だったんですよ。その時、サニーデイ・サービスが解散して、その前年にフィッシュマンズの佐藤伸治が急死して、ピチカート・ファイヴとかイエローモンキーも解散して。電気グルーブの活動休止もこの時だったと思います。不安な予感はなんかよぎり始めていたんですよ。同時に僕が私生活で聞いてたのがデスチャとかエミネムで、こっちの世界で新しい時代が来てるのも感じていて。もともと、根っこが完全に洋楽なのにあたかも「邦楽の人」扱い受けていた個人的違和感もすごく強かったので、それで「バック・トゥ・ルーツ」としての洋楽回帰だったわけです。そのことに関しては20数年経った今も基本そうです。

 あのままもし邦楽続けてたら、お金はそっちの方がはるかに儲かったと思うんですね。特にあの当時、僕は下北沢に根を張ってる人のようにさえ思われてましたから。だけど、「歌謡オルタナ」っぽいものが仮に馬鹿受けしてしまったならば、僕が本気で音楽に向かいあえなくなり、思ってもない美辞麗句並べて嘘をつかなくならなければなる、音楽がただの「金を稼ぐための仕事」になりかねなくなると思ったから、やめたんですよね。

ここで「歌謡曲って具体的になんだ?」と思われる方もいると思うので説明しておきますと、体感上の音数がすごく多いことですね。「タタタタ、タタタタ」の八分音符が連打される感じですね。日本語ノリを重視しすぎて言葉敷き詰めるタイプですね。

 英語って、語尾の子音と次の後の語頭の母音を合わせて発音することにも象徴されるように、語感のリズムを短縮する文化なんです。だから、割とメロディに隙間が多いんですけど、日本語はそれができないからなんか字余りになり、それをメロディに落とし込むと洋楽っぽくはどうしても聞こえにくくなるんですよ。「それは一つの新しい可能性」ではあるのかもしれないんですけど、本来外来文化であるロックの基準としてみた場合に違和感生みやすくなるのは否めない感じではあるんですよね。そして、そんなことしなくても、言葉を簡素にして音符の隙間あけていったら、日本語でもロックすることって可能だし、そういうものもすでにたくさんあった。洋楽と並行して聞いてる立場上、どうしても「違和感のない方」を優先してしまうのは仕方がないことだったのかなと、今にしてみれば思います。

 そうしてたら、思った以上に僕の予感は当たってしまいまして、バンプのフォロワーみたいのでシーンはたちまち溢れてしまいました。これに関しては、たまに地球の裏から漏れて聞こえる、僕のXのタイムラインではまず名前が上がらないタイプのバンドにもその痕跡が残り続けていますね。

 あと、邦ロックのもう一つの傾向で、僕が長年、アンチだと疑われていた(笑)アジアン・カンフー・ジェネレーションに関してなんですけど、真相に関して言えば、実はそんなに嫌いじゃないです。いくらそれが、ナンバーガールとかくるりとかイースタンユースに似ていようが、そのルーツそのものが自分の好きなものであるわけですから、音の要素としては嫌いようがないんです。 

 例えば、「ビートルズが好きなあまりにパワーポップを敵視する」という洋楽ファンを僕はほとんど知りません。それとグランジの時代にもストーン・テンプル・パイロッツとかシルヴァーチェアーみたいな後発バンドで優れたもの結構あったのに、必要以上に世が叩きすぎて本質を見誤ったなという印象も抱いているので、そういうこともあって僕は「先人と似てることが叩く理由にはならない」という考えの持ち主です。

 ただ、彼らだけでなく、彼らの周辺の人たち、ファンも含めてかな、そういう人たちが当時にやったことで僕が評価できないことは、彼らより少し登場が早かった先輩たちを過度に持ち上げる文化を作ってしまったな、ということですね。その「先輩」に当たるのがくるり、ナンバーガール、スーパーカー、椎名林檎といった、まさに「98年世代」ってやつですね。

 そこをあまりにリスペクトしすぎるものだから、それ以外が見えにくくなって、それが音楽を見る視野を極端に狭めてしまった。これはあった気がするんですよね。

 その一つの例が、初期エモとポストロックの日本での突出した人気ですね。この辺り、まさにその先輩バンドとかその世代の人たちがこぞって押してたんですよ。90年代末当時はブリットポップも終わり、オルタナも、このブログで何度となく批判しているウッドストック99の暴力騒ぎで精神的に死んだものになってしまっていたから、「その次」を求める空気があったのは事実です。

 ただ、洋楽そのものと向かい合った場合に、それが未来のロックの流れになる可能性は決して大きいとは言えなかったので、あの当時のあの界隈の邦楽のファンの子達が誘導されてエモ、ポストロックにはまるの危ないなと思ってたら、案の定、ストロークスとかホワイト・ストライプス出てきたときに反応できなかったんですよ。それどころか、すごく批判するような人たちまで多くてね。それが理由となって、邦ロックのギターの音、かなり長いこと90年代のままだったんですよ。

 そうなってしまった結果、00年代に洋楽リスナーと邦楽リスナーの距離感がすごく乖離してしまったんですよね。これはすごく残念なことでした。90年代末に、その距離が一気に縮まっていたのに。僕もすっかり邦楽には疎遠になってしまってましたね。

それから10数年が経ちました。2020年の話をしましょう。僕はその前の年にツイッターやり始めたんですけど、その時に気をつけてたことがあって。それは、それこそバンプとかアジカンのことについて言及しないでおこう、ということだったんですね。

 というのは、フォロワーの方に、僕より一回り、ふたまわり年下の方が
多いから。彼らの中にはそれこそ聴き始めがそのあたりの人、多いだろうという配慮からですね。生まれた時代の都合上、音楽の出会いというものはコントロールできないわけで、そこを批判するようなことで気分を害させてはいけないだろうし、邦楽だと、その世代以降なりのジャーナリズムみたいなものも存在するのであろう、という気がしてたからです。

ところが!


2020年の秋、これ未だに僕のnoteで最も読まれたものの上位に入ってるんですけど、ツイッターで「みんなが選ぶ邦楽オールタイムベストアルバム100」という企画でですね、バンプもアジカンも100位に入らなかったんですよ!さらに言えばBOØWYも入ってなかったんですよね。

これ見たときに「あっ、僕の感性のままじゃないか!」って驚いたんですよ。BOØWYに関しては入らなかった理由分析を、複数の世代がだいぶ下の人に聞いたんですけど「今の時代と接点がないから」ということだったんですよね。別にエイティーズだって、じゃがたらとか佐野元春とブルーハーツはしっかり上位に入ってたランキングなんですけどね。

そして、上位の大半を占めてたのがミッシェルとか、フィッシュマンズとか、くるり、ナンバーガール、ゆらゆら帝国、スーパーカー、椎名林檎、サニーデイ・サービス、キリンジ、ブラッドサースティ・ブッチャーズといった90年代のアーティストで。「ゲッ、ライブビートに出たバンド、ばっかじゃん!」と驚いてしまったんですね。

「あ〜、よかった〜。僕の価値観、、古いものとしいて淘汰されたわけじゃなかったんだ」と思ってホッとしたし、喜んだんですけど、それ以上に驚きの方が上回りましたね。

「それ、投票者の世代の問題じゃないか」という意見もあるんですけど、それ以降のものも入ってはいて、特に目立ったのがandymori、フジファブリック、シロップ16g、銀杏BOYZだったんですね。

andymoriは知らなかったんですけど、僕が日本を離れている間に出てきた、10年くらい遅れたロックンロール・リバイバルのバンドで。僕も知って聞いてすごく好感持ってます。フジファブリックはいわゆる00年代の渦中にいたバンドで、僕、当時に勧められて歌い方が好きじゃないんで関心持たずに置いたんですけど、「若者のすべて」は少し気になってて、後で振り返って聞いたら、あの世代で一番成長が大きかったバンドの印象ですね。シロップに関して言えば、ライブビート後に僕がライブイベントの主催やってた時に出てもらってたバンドで、僕としてはART SCHOOLと並んで「遅れて出てしまった90年代」という印象でしたね。銀杏は、あの歌詞とかロックンロールのセンス、日本でRCとかブルーハーツの頃から好まれる感じなので、これもわかる感じでした。

 そういう風に、系譜に加わっているバンドも僕が納得できる感じだったので、単に「選ぶ世代が問題じゃないだろ、これ」と思いました。

 それから、この3年後のこの邦ロック企画だったわけですが、この時に「蔑称みたいな企画名」みたいな声も上がってたんですよね。ロキノン系という言葉が揶揄で使われる傾向があるのは知ってましたが、こういう呼び名があるのは初めて知って。ただ、これが浮上した時も「バンプとアジカンは上位に入るだろう」という予想は立ってたんですよね。やっぱ、その様子からも、彼らの登場によって世代が分断されてる何かは確実にあるんだろうなとは思ってました。

 そしたら、その結果がですね、まさにバンプとアジカンを上位に足しただけで、あとはそのまま邦楽オールタイムアルバムの時と全く変わらない結果でした。

 それに関して「全然、邦ロックじゃないじゃないか」って意見もよく見るんですけど、確かに僕が不在の時期をこれで知ることはなかなかできないランキングにはなっていましたね。00年代という時代性があまり見えないものというか。あれだけ盛り上がってたのに。

 ランキングとは別にアーティスト別のポイントというものがあって、1位はダントツにくるりでバンプ、アジカンが2、3位。バンプは2位と言ってもトップ100にはくるりが7曲入ったところを3曲、アジカンは100位には5曲入ったもののトップ10は逃してたから、そこも若干、苦い感じでしたね。

 加わってたのは、きのこ帝国がちょっと再評価的な感じで入ってたのと、あと羊文学とGEZANですね。彼らは僕の年間ベストアルバムにも入る、羊文学は2度も入れてますけど、そういう存在なので僕も嬉しかったですね。

 やっぱ、「ある種の批評性」というのが働いているのかなと思うんですよね。それゆえに淘汰があったというか。この際、本音言ってしまいますけど、「粉雪」とか「赤橙」とか残響系とか入らないでホッとした自分がいたことは否めないです(汗)。

 やはり90年代と00年代の違いって何かというと、90年代末って、例えば99年のライジング・ロック・フェスティバルの伝説的メンツであったりとか、それと同じ年のコーチェラの第1回にコーネリアスとチボ・マットがメインステージで出演してたことでもわかるように、ロックのレベルが世界的なレベルでジャンル問わず海外進出も積極的に行われようとしていた最中だったんですよ。

そのタイミングで宇多田、林檎、ドラゴン・アッシュがミリオンとかそれに近い売り上げ記録した時期でもあって。とりわけあの頃、さっき言ったブリットポップとオルタナも終焉してたんで日本が世界で暫定1位なんじゃないかってくらいに盛り上がった時期だったんですよね。

 それが、その時代の立役者が根こそぎいなくなって、残ったのが近場の先輩ばかり奉る、一つ世代前の音の基準のギター・サウンドのロックで聞き返しても思うんですけど、やたらと歌詞の共感性ばかりが強調される感じになったのでは、やはり「これまでの洋楽との距離の接近はなんだったんだ」とはどうしても思ってしまうガラパゴスが生まれてしまっていた感じはどうしても否めないです。

 ただ、それに自覚が産まれたのが2010年代だったのかな、と言う気もしてます。僕も地球の裏で小耳に挟んだ「四つ打ち系」というの、あれ、なんかすごく批判されてたみたいなんですけど、聞いてみたら「それ、10年遅れたフランツ・フェルディナンド?」というのもリズムだけで、あとは邦ロックの歌謡性をマックスに高めた感じに聞こえましたね。今回、そのあたりがほとんど入ってなかったんですよね。

あと、back numberとかミセス・グリーンアップルとか、オリコンのチャート見る以外にまず名前見ない人たちも聞いてみたら、「ああ、なんか00年代の日本っぽいな」と思います。

 こういう感じが仮に邦楽ロックのメインストリームになったのだとしたら、そりゃシティ・ポップ的なものがカウンターとして出てきてもおかしくはないんだろうとは思いましたね。今回、そんなにceroとかSuchmosとか、King Gnuも入るのかな。そのあたり、異ジャンルと思われたか、あんまり入ってなかったですけどね。

 そこに加えて、90s末的なものと相性の良さそうな羊文学とかGEZANが好まれるというのもなんわかる気がしましたね。

 まあ、今回のランキングそのものは、ここでは紹介しませんが、さすがに音楽にうるさい方々が厳選して選ばれたものなので、いい曲は集まってるとは僕も思います。結果の気になる方は、上のツイートから辿ってみてみることをお勧めします。







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